産廃処分場問題

 水俣の産廃処分場計画が撤退になりました。

 六月二十一日の熊日新聞朝刊に「撤退の意向」との記事が掲載され、二十三日に親会社の東亜道路が正式に事業中止を発表し、二十六日にはIWD東亜熊本が条例に基づいて県に中止を届け出ました。

 産廃処分場の計画が持ち上がったのは二〇〇三年でしたが、そのことが市民に公になったのは二〇〇四年三月の環境アセスメント方法書縦覧の時でした。しかし、その時はそれが大変な問題だということに気づいている住民はほとんどいませんでした。予定地は湯出川と鹿谷川に挟まれ、豊富な湧水を蓄えた台地で、それを台地の下にその湧水を利用して暮らす人々がいます。そのような場所に産廃処分場を計画するというのは前代未聞のことでした。二〇〇四年の夏に反対運動の「水の会」が結成され、その後患者団体なども反対に立ち上がりましたが、当時の江口市長は「反対しても止まらない」といって火消しに躍起でした。その年の選挙で産廃反対の市長を誕生させてから、「市民一丸」の反対の体制ができました。その後、市役所と住民とが協働で様々な活動を行ってきましたが、特にIWDの準備書に対して、ほとんどすべての項目について徹底的な批判をすると同時に、専門家の協力を得て緻密な調査を行い、予定地の危険性を具体的に示してきたことが重要でした。特に、予定地付近で絶滅危惧種であるクマタカやサシバといった猛禽類の営巣が確認され、影響回避のためには事業の中止しかありませんでした。

 県のアセス審査会委員先生方は、私たちの思いをしっかりと受け止めてくださり、IWDの準備書に対して厳しい意見をぶつけてくださいました。また、県の各課からがアセス担当課からの問い合わせに答えて、微々細々にわたる意見を提出していたことも、情報公開によって知りました。

 その結果、今年三月に出た準備書への県知事意見では、四十三項目であると同時に、前文に「水俣市長及び市民等の生活環境への影響を懸念する意見及び水俣病の過ちを二度と繰り返してはならないという思いに配慮し、適切に対応されるよう強く望みます」という異例の文言が付けられました。この知事意見はあるいは四月に勇退された潮谷前知事の置きみやげであったのかもしれません。

 知事意見を受けて四月三日に東京の親会社・東亜道路工業(株)を訪れました。搬入路である平通りの地図を見せながら「このままでは許可は下りませんよ」と言うと、専務(社長)が苛立ち気味に「分かっております」と言ったので、「かなり追い詰められているな」とは思ってはいました。しかし、まさかこれほど早く決着がつくとは思っていませんでした。

 アセスメント準備書段階という比較的早い段階で阻止できたのは、「水俣市民の一丸となって」の反対の声と、全国の支援と、科学的な問題点の指摘とが、うまくかみ合った結果であったと思います。産廃阻止運動に長く関わってこられた馬奈木昭雄弁護士にはその都度多くのアドバイスをいただきました。準備書のチェックや調査活動には各分野の専門家の方々が手を差し伸べてくださいました。また高木基金には調査費用の助成によって支えていただきました。六月二十四日に逝去された土本典昭監督は、東京でいち早く支援組織「水俣に産廃処分場?とんでもない!全国の声」を立ち上げてくださいましたが、病床で産廃中止の知らせを聞き、とても喜んでくださったそうです。

 地元湯の鶴のおばあさんたちは「もう先も短いので重機の下に潜って止める覚悟はしておりました」「産廃の計画を聞いて、水俣はもう何もかもダメになると思いました。本当にありがとうございました」と涙ぐんで喜んでいました。水俣病の運動にも関わってきたある住民は「今までいろいろな運動をしてきたが、市民一丸となって取り組むとすごいことができるんだと分かった」と言いました。

 安賃闘争と水俣病事件によって、幾重にも引き裂かれてきました。チッソ、新・旧労組、患者、患者以外の市民、支援者、それから患者や支援者の内部も多くの派に分かれていました。「もやい直し」はまだまだ道半ばでした。私たちは産廃処分場の問題が明るみに出たころ、この問題がその溝を埋めるのか、それとも新たな分断を生むのか分かりませんでした。しかし、水俣病で苦しんだ水俣市民は、IWDの計画から故郷を守りたいという一念で違いを越えて手を携えることができたのです。相思社も今までは「怖いところ」だったのが、「がんばっている」「頼りになる」と言われるようになってきました。分断の痛みを嫌というほど味わった水俣にとって、「市民一丸となっての反対運動」とその勝利という経験は、計り知れない重みを持っているのです。

 新聞で第一報のあった六月二十一日、喜ぶ間もなく考えたのは、この経験をどう活かし、次のステップに向けて何をすべきかということでした。今この瞬間にも、産廃はどこかの町に埋められています。水俣にとって本当のたたかいはこれからです。

 これまで何の見返りも求めずに手弁当で協力をくださった方々、おにぎりを握ってくださった方々、折々に励ましてくださった多くの方々、お一人お一人の名前を挙げることはできませんが、本当にありがとうございました。そして、今後も水俣の行く末を暖かく見守っていただきますようお願い申し上げます。(高嶋)

経過(詳細はこちらをご覧ください

2004年3月 株式会社IWD東亜熊本が環境アセスメント方法書を提出
2005年2月 産廃反対を掲げる宮本市長が誕生
2005年6月 産廃阻止!水俣市民会議結成
2007年2月 同社が環境アセスメント準備書を提出
2007年3月、5月 準備書に関する説明会開催
2007年12月 準備書に対する市長意見を提出
2008年1月 熊本県の公聴会開催
2008年3月 熊本県が準備書に対して43項目の意見書
2008年6月23日 親会社の東亜道路が、事業からの撤退を発表
2008年6月26日、事業者が産廃処分場計画の中止を熊本県に届出

概   要

予定地の航空写真
処分場の概要

処分場の種類 管理型最終処分場
計画地 水俣市長崎字東山、字馬尼田
水俣市湯出字清水、字建壁、字村上、字村下 の各一部
敷地面積 834,000平方メートル
埋立面積 83,000平方メートル
埋立容量 2,030,000立方メートル
埋立期間 15年
廃棄物種類 燃え殻、汚泥、廃プラスチック類、紙くず、木くず、繊維くず、ゴムくず、金属くず、ガラスくず・コンクリートくず及び陶磁器くず、鉱さい、ばいじん、政令13号廃棄物(処分するために処理したもの)、がれき類、一般廃棄物

調 査 報 告

水質 地質 大気    搬入路   

資 料

相思社声明「水俣市の産廃処分場問題について私たちはこう考える」

レポートなど

ごんずい99号 特集I : IWD産廃処分場緊急報告

ごんずい95号 特集1 : 産業廃棄物4 産廃処分場を多角的に捉える

ごんずい92号 特集 : 第三弾 IWD産廃処分場を多角的に検証する

ごんずい91号

ごんずい90号 特集 : 特集 水俣に産廃処分場は、 いらない

ごんずい87号 特集 : 産廃処分場 I

   産業廃棄物処分場がやってくる? 川部岬

要望書・要求書・公開質問状

  1. 2005年12月20日 IWD東亜熊本への公開質問状  回答
  2. 2005年12月20日 水俣市への公開質問状  回答
  3. 2005年12月20日 熊本県への要求書
  4. 2005年12月20日 環境省への要望書

行 事 予 定

2006.7 講演会「市民による環境調査の考え方と方法〜久留米市の処分場反対運動から学ぶ〜」
2006.11 ながみね先生と歩く楽しい地質学講座
2007.1 「水環境と産廃問題」高木基金助成事業報告会
>>> 事業報告書(PDF)

リンク

産廃問題に関するリンク集

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