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特集 みなまた環境大学への提言
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水俣は水俣病ばかりでなく、水俣病の経験を環境に特化したマチ作りでも、その名前は知られるようになっている。地元学提唱者吉本哲郎は「ごみと水と食べ物に気を付けるマチ」と表現している。なるほどチッソがアセトアルデヒド(プラスチックや塩化ビニールの原料)製造工程で副生したメチル水銀は「ごみ」であり、それが排水路から海へと流れ「水」を汚染し、その中で生きている魚介類=「食べ物」を摂食することによって水俣病は起きたのである。
一九九〇年に到るまで水俣地域では水俣病はタブーとされ、その事実を積極的に受け止める主体は水俣病患者とその運動を一緒にやっていた人々(支援者と呼ばれてきた。遠藤はこの名付けに否定的)以外には存在しなかった。その限りで水俣に住む人々にとって水俣病は一方的な災難であり、頭を低くして通り抜けるのを待つ他なかった。しかし住民による水俣病患者への共感がなく、またチッソ・行政による責任意識が希薄な状態では、患者たちはふりあげた拳をおろすことはできなかった。
一九九〇年水俣湾埋立工事が終了した。県によるチッソの犯罪現場隠蔽工作のようなものではあったが、水俣病が始まった場所が封印されたことも事実である。これによって新たな魚介類の汚染は起こりようもなくなり、その後湾内の魚介類の水銀値もだんだん減少していき、一九九七年には熊本県知事による安全宣言が出され、一九七四年以来水俣湾を区切っていた仕切網が撤去されることになる。九〇年初頭に話を戻せば、一九九二年に熊本県と水俣市による「環境創造みなまた推進事業」が始まる。
この事業は水俣病患者との相対を避けてきた行政が、水俣病を肯定的文脈から意義付けようとしたと言えるだろう。行政的用語でいえば水俣病の教訓となるが、その内実は未だ確定したものではない。ともあれ行政と水俣病患者との出会い、住民と患者との出会い、支援団体と行政の話し合いおよび協働が始まり、水俣地域における水俣病は新たなステージを迎える。それから、環境創造みなまた推進事業のさまざまなイベントが行われ、九四年には吉井市長による患者への謝罪が表明され、九五年には国による政府解決策が提示される。九五年政府解決策はもちろん万全の内容ではなかったが、患者救済と地域振興がセットにされたことは、地域における水俣病への風向きを変えることにもなった。
一九九〇年以降、水俣市および地域住民が取り組んだ事業は枚挙にいとまがないが、資源ごみの分別・水俣病市民講座・実生の森づくり・資料館語り部・火のまつり・教育旅行誘致活動&受け入れ・環境学習案内・環境マイスター制度・学校版ISO・ごみ減量女性会議・村丸ごと生活博物館等々などがある。これらは水俣の暮らしの一部であるとともに、外部の人にとっては様々な学ぶ・習う形でもある。
さてみなまた環境大学とは何か? みなまたは水俣病が起きた場所であり、被害の記憶を人・場所・風景にためこんでいる。環境は公害の事実を社会化した表現であり、他者に伝えるときに共通認識を得やすいキーワードであるが、公害=環境に収束させられない事実があることには注意しておかなくてはいけない。大学は水俣でおきた事実やその後の展開を、広く世間に伝えるための装置として設定されている。つまりみなまた環境大学は、水俣病が起きた水俣がその事実を受け止め、環境という共通言語に翻訳して、世間に広く伝えたい意志を表している。
実際のところこうした試みは、すでにグリーン・ツーリズムやフィールド・ミュージアムとして構想され実践されている。個別的なテーマも、既に環境学習や教育旅行等で実施されている。なすべきことは水俣が現在持っているテーマとその具体を整理して、水俣内部および外部の人が利用できるような形を明示することである。
IWD東亜熊本が建設を予定している水俣市木臼野の産廃処分場を巡る関係者として、まずは作りたいIWD東亜熊本(以下IWD)、次にそれに反対する産廃阻止!水俣市民会議(以下市民会議)、準備書を公正中立に対応する熊本県環境生活部環境政策課(以下政策課)、おまけに狂言回しのマイクジャックの落とし子(以下落とし子)を、それぞれ紹介しておこう。
IWDはこの事態の発起人である。産廃処分業者として処分場を建設し運営して、利潤を上げることを目的としている。もちろん住民の理解は得られていないが、産廃処分場の公共性を主張することは忘れていない。市民会議は処分場建設に反対する住民と市役所の協同組織である。オール水俣の様相を見せている。政策課の基本スタンスとして公正・中立を標榜しているが、IWDにのみそう見えている。落とし子は水俣市のある市会議員のHP掲示板に登場する。「『行われる説明会は住民側の質問が尽きない限り、完了と認めず、延期しなければならない』というデマが飛び交っています」と書き付けている。説明会の条例的解釈からすればこうした発言は、確かに間違いであろう。しかしこの発言を文脈からは読めば、説明会の条例的解釈をしているのではなく、発言者の説明会への意志を表現したものである。それを取り上げてわざわざデマと評価するところに、落とし子の産廃反対住民への悪意が表現されている。
問題はこれに食いついた政策課であろう。政策課は二〇〇七年五月七日付け文書で、質問を出した自称一般県民(落とし子と同一人物と想像される)と水俣市長とIWD小林社長に、政策課長名で回答文書を送付している。質問者に回答することは不思議ではないが、まずここでは政策課は一般県民の質問には回答すると覚えておこう。送付した理由を政策課は、処分場関係者だからということらしいが、このわざとらしい質問への回答を求める落とし子の動機について、政策課は自身の立ち位置を考えなかったのであろうか? その結果政策課の回答書は、IWD東亜熊本の作ったばかりのホームページに華を飾ることになった。
問題はここに止まらない。この経過を眺めれば、一般県民の質問状の内容はどんなモノだったのかと誰でも思う。その回答が内容に対応した適切なものかどうかは、出した本人と政策課以外には誰も分からない。ひょっとしたら都合の良い場所だけを取り上げて、都合の良い解釈を行ったと疑うこともできる。そこで質問を文書開示請求してみた。すると八月一〇日付けの通知に「…説明会に関する個人の意見等を記載した部分については、公にすることにより、個人の権利規定を害するおそれがあるため、…不開示としました」とある。そして公開された文書はそのほとんどが黒塗りで、「先日は急な問い合わせにも関わらず御丁寧な対応ありがとうございました。−−−でございます。水俣市内で五月に行われます株式会社IWD東亜熊本さんの説明会について二点、県庁の御見解をお伺いしたく、メールに改め直し送付させていただきます。−−−(三八行に渡り延々と黒塗りが続く) −−−御多忙のところ恐縮ですが県としての御意見・御見解を宜しく御教授くださいませ。−−−」(二〇〇七年四月一七日付け)とまあこんな調子で文章はたわいもない。
政策課への批判は続く。市民会議は五月一六日に県庁を訪れて、政策課に対して「IWDに対して第三回目の住民説明会を実施するように要請・指導して欲しい」と要望した。六月五日に政策課より水俣市産廃対策室へ電話で、「ご要望の件についてはIWDに伝えた」と回答してきた。対策室では「口頭ではなく文書で回答をもらいたい」と言ったが、政策課は「文書で出すつもりはない」と繰り返した。政策課課長は、市民会議の返答には文書要求されて拒否したにも関わらず、先の自称一般県民には要求もされていない文書で応えている。その判断基準を明らかにすべきである。でなければ政策課とこの自称一般県民およびIWD小林社長とは、何らかの利害関係があると判断する。
そもそも政策課は五月一六日の要望を意図的に読み間違えて、IWDに市民会議の要望を伝えたのである。ここで肝心なことは、政策課は市民会議の第三回目の説明会要求に対して、それが適切な要求と判断するのか、それともIWDの説明会打ち切りを適切な対応と評価するのか、その判断が問われているのだ。七月六日の政策課と市民会議の話し合いで、「子どもの使いじゃないんですから」と馬奈木弁護士にたしなめられていたが、政策課の判断が求められている。
環境影響評価準備書とその進行については、事業を立案・計画する当事者が当該事業を実施した場合の環境影響を、自らが調べ評価を下すというものだ。子どもにも分かる茶番劇に他ならない。しかし産廃処分場許可申請を行う場合には、この環境影響評価は義務であり、その段階を通過することが許可申請の前提となっている。だから準備書が用意され、住民縦覧と住民説明会を行い、出された住民意見書に業者見解を作成し、県知事意見と市長意見に回答して、さいごにそれぞれの意見を取り入れた評価書が作成される。それ以降は産廃処分場の環境影響について、IWDは何ら住民に対応する義務は負っていない。設置許可申請に対して熊本県廃棄物対策課が対応するが、対策課は環境影響を顧みる必要がないと言い放っている。
未だ住民意見書へのIWD見解は公開されていないが、あれほどずさんな準備書−−水質・地質・大気・交通・生物・植物などの、不十分かつ非科学的な独断に満ちた調査と未だ修正されていない大量の誤字脱字−−でも、政策課がIWDの手直しをした評価書を受け取れば公式に通用するものになる。
IWD産廃処分場に対する疑問や質問を、熊本県環境政策課に聞いてみよう。分かり切った条例解釈にも親切に応えてくれるのだから、きっとIWDより丁寧に一般県民の疑問や質問にも答えてくれることだろう。
(2007年10月1日発行)