水俣と相思相愛になりたい(小林光)

小林光 慶應義塾大学大学院(政策・メディア研究科)兼環境情報学部教授、前環境事務次官

はじめに

今は大変に便利な世の中になった。コンピュータを検索するとたいていのことは調べてくれる。例えば、国会での、政府委員、参考人としての私の答弁回数なども、委員会ごとの議事録を検索すると出てくる。ちなみにそれは三七七回で、環境省の幹部職員の中では倍以上に多かった。しかし、この回数は、自分で積極的にした努力の指標ではない。今の自分を作っているものとして、もっと頼りにしている数字がある。それは、水俣病のことで現地の人に会うために、熊本や鹿児島、新潟などに足を運んだ回数である。平成二〇年七月に環境省の総合環境政策局長になり、今年の一月に退官、そして水俣の問題を引き続き担当するために上席参与を拝命して、今に至る。その三年半の間に、九州には四三回滞在日数では七八日、新潟には一八回滞在日数二一日訪問した。
なぜ、そんなに行ったのか。理由は単純である。それは、コンピュータや新聞では教えてくれない肉声を聞くためである。一人の人、一つの団体であっても何回も会ってこそ初めてお話の背景や真意も分かってくるし、信用してもらってようやく判断を頂戴することもできる。
水俣病には長い長い歴史がある。私はその中で、実は新参者である。だから、かつての細かい経緯などは当初全く知らなかった。なので、どこへ行っても聞き役に徹することができた。誰にも批判は一切しないし、言い返さない(本当は、言い返せない)。訪問回数は多くなってしまったが、そのことがかえって良かったように思う。

九五年政府解決策から二〇〇九水俣病特措法へ

水俣では、平成七年のいわゆる政治解決の後に、地域の和解が「もやいなおし」として進んでいく気運が出てきていた。そうした中で、政治解決を拒否してあくまでも司法の判断を望んだ関西の原告の方々が最高裁で勝訴した。その結果、それまでよりもずっと広い症状の方が、ご自分も水俣病の被害者ではないかと考え、補償を求めるようになり、三千人以上のマンモス訴訟も起こされた。こうした中で、水俣病の被害補償をファイナンス面で支える仕事を担当する総合環境政策局長を拝命した。

私は、こう思った。つまり、
(一)被害を慰藉する一時金や、将来に向かっての医療費の担保ももちろん不可欠であり重要である。それが単に予算措置として行われるのではなく、そうした措置の対象となる方々をきちんと水俣病被害者と位置付けること。しかし、その判定は、迅速に行う公的な仕組みがなければならないこと、併せて原因者のチッソが膨大な一時金支払い負担に耐えられるようにする仕組みを整備すること。チッソは普通であれば破産企業であり、いつ解散してもおかしくはない状態なのだ。
(二)胎児性患者さんや小児性患者さんも随分と高齢化し、患者さんも御家族も生活の御苦労がいや増している以上、福祉の強化が必須であること。
(三)被害を受けられた方々の本当の慰藉、お怒りの寛恕には、地域社会の絆の修復、地域経済の活力の再生がなくてはならないこと。
以上三点である。

中身だけではない。これらの取組みを統合的に進める枠組み、基礎も大事である。これらを三本柱にして、現行の補償法制度を補足するしっかりした法的制度を構えた上で、事に当たることが是非とも必要だと思った。幸いそうした考え方は、政権交代のさ中であったものの、新旧与党・野党の多くの方々の共通の思いと一致するところであり、御指導を受けて実際の法案の形に実を結び、制定をいただいた。
新たに起されていた熊本、大阪、東京、そして新潟の訴訟は、裁判所がこの法律を念頭に置いて具体的な仕組みを提案し和解勧告がなされ、おかげ様で水俣病関連訴訟としては政府として初めて和解に至った。この過程では、鳩山総理(当時)が歴代総理で初めて水俣を訪れ、水俣病の被害者すべての方々に公式に謝罪をした。
その後、和解で採用された仕組みの下に、裁判をしていない人・団体に属さない方々も、法律に基づく措置として類似の形でカバーされることとなった。
幸い今日では、法律の要請する三年以内に一時金給付を受けるべき方々等のすべてを確定する事務が終わるように、迅速に被害者の申請受付や判定が進んでいる。
一時金や被害者手帳による医療費等の負担の行程は、このように進んでいる。残りの二本柱もどんどん進んでいかないと、患者さんや関係のご家族の方々などが安心して暮らせる地域社会づくり、被害を受けられた方々のご寛恕、地域全体の融和、そして地域の再生を実現した、真の和解には近づいていけない、と思う。

みなまたへの思い

私自身は退官後、募集のあった慶應大学に採用され、環境経済やエコまちづくりに関して教育や研究をする立場になったが、いつも頭にあるのは水俣の再生のことである。水俣こそ、過去の貴い犠牲を通じて学んだ教訓を踏まえ、強い環境ブランドを持つ地域、例えば身土不二、自然共生の理念を体現するまちや産業となって欲しいと祈っている。
それは、原発事故・放射能汚染によって安全ブランドを失った日本の、再生のさきがけともなる挑戦である。同時に、環境保全という実需で経済を営もうというグリーン・グロースの具体像を提示する営みでもある。ちなみにこのグリーン・グロースは、地球サミット後二〇周年の来年のリオ+二〇のサミットのテーマであって、今や世界はそのための政策大競争時代にあると言っても過言ではない。
水俣は、水力電気で興きたまちである。今度こそ、その電気を汚れた地球を本来の地球に戻す仕事に使い、その仕事で住民が養ってもらう、そうした世界を築いてほしいと思う。そんな難しいことでなくともエコの入り口はどこにもある。例えば、水俣グルメのちゃんぽんの麺は、素朴に徹して鹹水が入っていない、などという切り口だってあろう。
こんな思いの中、私は、水俣興しの環境・エネルギー円卓会議に参加している。
相思社は、役人あがりの私も紋切型で切って捨てず、友だちの一人にしてくれる。私だけでないあらゆる立場、あらゆる思想の人々を結び合わす結節点になろう、というのがその設立の趣旨であろう。その素晴らしい名づけを見てそう思った。実は、この自律・協調・相互支持の考え方こそ、生態系を全体として共進化させていく隠された仕掛けであり、環境対策の要諦でもある。もっと言えば、エコビジネスの成功の秘訣でもある。専門の環境経済やエコまちづくりを通じて、私も、相思う方々を増やし、水俣と、そして地球と相思相愛の仲になり、水俣と共に進化を続けたいと念じている。

(編集註:本文章は小林さんの思いであり、環境省の考え方とは必ずしも一致するものではないことをご了解ください)

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