水俣病特措法を巡る最近の動きと課題

相思社職員 弘津敏男

三月二五日、不知火患者会が提訴していたノーモア・ミナマタ訴訟が和解した。今回の一連の動きに一段落ついたわけだが、現段階での状況と残された課題について報告する。

ごんずい一二〇号では主にチッソ分社化に触れたので、今回は分社化以外の問題について触れたい。

まず、二〇一一年三月の動きを追ってみると、

三日
新潟水俣病訴訟和解

一〇日
特措法の申請者が四万人を超えたことが判明

一五日
不知火患者会、訴訟原告のうち九二.六%が一時金の対象になり、和解に向かうと発表

一八日
不知火患者会、対象地域外の原告や昭和四三年一二月以降に出生した原告の中に救済対象となった人がいると発表

二三日
出水の会、芦北の会、獅子島の会とチッソが協定を締結

二五日
熊本地裁で不知火患者会訴訟が和解成立

つまり、今年の三月末までに「紛争状態」が「ほぼ」解決したことになる。「紛争解決」=「水俣病の解決」ではないことはごんずい読者には自明のことと思う。

では、「水俣病の解決」とは何か。私は次の三点が必要と考えている。

①すべての被害者が補償・救済されること

②被害者が地域で普通に安心して暮らせるようになること

③水俣病のような過ちを繰り返さない社会をつくること

この三点は相互に関連している。①ができなければ②や③は意味がない、と考えるのは間違いだ。実際には②や③が進まないと①も前進しないのだ。そのことを具体的に見てみたい。

水俣病の歴史は紛争の歴史であり、今回は「四度目の紛争解決」だが、「解決」の度に対象者数が急増していることに注目する必要がある。

最初の解決=「見舞金契約」対象者 一一一人

二度目=「補償協定」適用者 二二七三人

三度目=「政府解決策」対象者 約一二〇〇〇人

今回=「水俣病特措法・訴訟和解」対象者 四・二万人以上

対象者の増加は「潜在患者の発掘」と同義だ。つまり、「すべての被害者の救済」とは「潜在患者をすべて顕在化させる」ことにほかならない。

ご存じのように水俣病の被害者認定は(見舞金対象者を除いて)「申請主義」をとっている。したがって、被害者を顕在化させるためには「申請」という「壁」を乗り越えなければならない。この壁は地域や世間の理解によって徐々に低くなってきた。壁が低くなればそれだけ潜在患者が顕在化しやすくなる。逆説的に言えば、「壁」がなくならない限り、すべての被害者の救済はあり得ない、ということになる。

水俣現地に住んでいれば、壁がなくなったとは言えない状況が続いていることが体感できる。

「申請して手帳をもらったが妻や子供には内緒にしている」、「兄弟に内緒で申請しようと思ったが、すでに兄弟は自分には内緒で申請して手帳を持っていた」、「チッソは一番のお得意さんだ。もし申請していることがバレたら仕事が来なくなるかも知れない」、「会社には内緒で手帳を申請したが、その直後に配置換えになった。会社にバレたからではないだろうか」。よく耳にする話であり、特別な例ではない。これらの話は壁の存在を裏付けるものであり、潜在患者の存在を示しているともいえる。

水俣病特措法は「第一条(目的)この法律は、水俣病被害者を救済し、及び水俣病問題の最終解決をすることとし、救済措置の方針及び水俣病問題の解決に向けて行うべき取組を明らかにするとともに、これらに必要な補償の確保等のための事業者の経営形態の見直しに係る措置等を定めることを目的」とし、「第三条(救済及び解決の原則)この法律による救済及び水俣病問題の解決は、継続補償受給者等に対する補償が確実に行われること、救済を受けるべき人々があたう限りすべて救済されること及び関係事業者が救済に係る費用の負担について責任を果たすとともに地域経済に貢献することを確保することを旨として行われなければならない」としている。

第三十五条では「地域の振興等」をうたい、第三十六条(健康増進事業の実施等)では「政府及び関係者は、指定地域及びその周辺の地域において、地域住民の健康の増進及び健康上の不安の解消を図るための事業、地域社会の絆の修復を図るための事業等に取り組むよう努めるものとする」とし、第三十七条(調査研究)では「政府は、指定地域及びその周辺の地域に居住していた者(水俣病が多発していた時期に胎児であった者を含む。以下「指定地域等居住者」という。)の健康に係る調査研究その他メチル水銀が人の健康に与える影響及びこれによる症状の高度な治療に関する調査研究を積極的かつ速やかに行い、その結果を公表するものとする」としている。

水俣病の被害者を「あたう限りすべて救済」するためには「地域の振興等」や「調査研究」が必要なのだ。

水俣病患者や支援者がチッソを「悪の権化」のごとくののしれば、チッソは患者団体や支援者に対して不信をつのらせ、チッソを地域経済の中心としている被害地域の住民は水俣病に関わることをおそれるようになる。そういった現象を見ると、患者団体や支援者は「チッソや行政の怠慢だ」となじる。この負の循環を断ち切らなければ「すべての被害者の救済」はあり得ない。

例えば、チッソが被害者救済に主体的に取り組むとか、患者団体や支援者がチッソの製品の販売に協力することなどが実現すれば、地域の状況が大きく変化し、被害者の救済が劇的に広がるであろうと思われる。しかし、長年に渡り、つもりに積もった相互不信はそう簡単には除けない。まずできること、実現可能なことからとりくむしかない。

今年二月、チッソは土を使わないトマト栽培に取り組みをはじめていることを明らかにした。チッソの担当者は「試作したトマトは市販のものより甘みがあり、付加価値がつけられる。新たな技術を生かして、地産地消や農業による地域活性化に貢献したい」と話している。

同じく二月に、チッソと水俣市が共同で竹を原料にしたバイオ燃料製造に取り組みはじめていると発表した。

四月にはチッソと水俣市が「環境学習のために水俣を訪れる学生や社会人に交通費や滞在費を援助する奨学金制度を創設し、来年度から運用開始をする」と発表している。

これら一連の取り組みを是々非々の見地から、ポジティブに評価してもよいのではないだろうか。チッソが地域貢献を真剣に考えはじめた、特措法三十五条(地域振興等)に取り組みはじめたものと評価したい。

企業としてのチッソが犯した過ちを、裁判や直接交渉で問うていくことは現在も続いているが、現在の大部分の従業員に直接の罪があるわけではない。個々の従業員は水俣病被害者と同じ地域の住民であり、お互いに存在を認め合わなければ地域全体がギクシャクしてしまう。地域の混乱の被害が弱者に被さってくることは古今東西の常である。水俣病被害者は水俣地域における弱者といえる。被害者の味方をするつもりで、チッソを攻撃することは、結果として地域弱者である水俣病被害者を苦しめることになりかねないことを考慮すべきだ。

チッソ従業員やチッソに頼って生活している人は特別な人間ではなく、善良な地域住民なのである。地域で生活していれば、日常的に顔を合わせ、PTAや地域の問題には一緒に取り組むことも多い。

相思社としても「すべての被害者の救済」や「水俣病被害者が地域で普通に安心してくらせる」ために、市民と行政の協働を活発にして、チッソへの働きかけもしていきたいと考えている。

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