2004年度 理事会報告

相思社は甘夏事件以来、水俣病を伝えることを活動の中心においてきた。1995年の政治決着を経て、水俣病患者が普通 に暮らせる地域づくりにも積極的に関わるようになってきた。そのことは2001年答申において「患者とのつきあい」「水俣病を伝える」「地域との主体的な 関わり」を活動の三つの柱に据えることによってより明確になった。
2003年度は変革の第一歩を踏み出した年であった。新しく設置されたアドバイザー委員会では相思社の根元に触れる議論が展開された。スタッフ&パート制を導入し、スタッフは相思社の運営全体に責任を持つことを明確にした。給与体系も抜本的な改訂を行った。
2004年度は改革2年目であり、設立30周年の節目の年でもある。

2003年度活動報告&収支報告
予定より少し遅れたが『豊饒の浜辺から(第3集)』を発行した。「水俣と相思社の入り口」としての考証館の重視し、日々の考証館当番をスタッフが務める ようになり来館者との対話の時間が大幅に増加し、展示についても「気づいたらすぐに変更」することを心がけるなど水俣病を伝える活動には一定の前進があっ た。また、修学旅行などの来訪者も少しずつ増加し、「案内料収入」は過去最高となった。
すでにごんずい誌上でも報告しているが、30周年に向けて記念誌・記録誌・グッズ作成、講演会・交流会・ツアーなどのイベントの準備は整いつつある。
患者や地域との関わりも少しずつだが増えており、全体として2001年答申に沿った活動が実を結びつつある。
財政的には130万円弱の黒字決算とはなったが事業費支出減によるところが大きく健全な財政とは言えない。また最も重視している維持会費や寄付金は予算を下回っており大きな反省材料である。
なお、「7.20水俣水害義捐金」として160万円あまりをお預かりしたことも改めて報告された。

2004年度活動計画&収支予算
今年度は若い職員を2名採用した。11月に予定している30周年イベントに向けての活動が今年度のメインとなるが、2006年は水俣病公式確認から50 年という節目の年でもあり、通常の活動にプラスされる活動も増えているが、こういった若い力の活用などで乗り切っていきたい。
水俣病50年に向けての活動はまだ構想段階ではあるが、徐々に動き始めている。相思社単独の事業だけではないので、まずは関係者が集まって話し合うことから始めなければならない。秋の理事会ではもう少し具体的な計画を示すことができるだろう。
『豊饒の浜辺(第4集)』や考証館展示の改定、資料整備事業の継続・発展、ホームページの充実、若い人たちに向けての働きかけなどに力を注ぐ計画となっている。
予算的には決して楽なものとは言えないが、数年前のように「どうあがいても実質的に赤字予算しか組めない」という状況は脱出できたように思われる。た だ、事業収入に負うところが大きく、維持会費・寄付金の長期低落傾向に歯止めをかけることができるかどうかが今後を考えていく上で最重要の課題となってい る。

(弘津敏男)

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