2005年度 理事会報告

2005年5月29日 開催

2004年度活動報告
2004年度は相思社設立から30年の節目の年であった。2003年度の初めから30周年事業の検討を開始した。30周年を単に通過点として考えるので はなく、30年の活動を総括し、今後につなぐものとして位置づけてきた。予定していた記念誌、記録誌、記念グッズはイベントまでにできあがった。30周年 事業自体に関しては及第点を得られたと自己評価している。しかし一方では30周年事業に力を集中したことによって、その他の業務に支障を来した部分もあっ た。
8月には新作能不知火が開催された。相思社の自主事業ではないものの、水俣病50年につながるものとして位置づけ、自主事業に準じたものとして力を注いだ。能の開催は1300人もの人々が参加者するなど、大成功裏に終わることができた。
10月に水俣病関西訴訟の最高裁判決があり、22年に及んだ訴訟もようやく決着がついた。一部ではあるが行政責任が認められた。この判決に関連して認定 申請者が急増し、判決後の約半年で2000人以上が認定申請するという状況が生まれた。患者連合ら既存の患者団体の動きが活発化しただけではなく、新しい 患者団体も生まれ、行政はそれらの動きへの対応に苦慮している。

2005年度活動計画
来年は水俣病公式確認から50年の節目の年を迎える。相思社にとってはその他にも大きな課題がある。2007年度に予定されている評議員会設置や水俣市に建設が予定されている産廃処理場問題、それに未救済患者問題も大きな問題となっている。
〈水俣病公式確認50年事業〉
昨年度から水俣病公式確認50年に向けての検討を続けてきた。今年度は準備期間と位置づけられるが、その活動如何が事業の正否を決定づけることになる。
相思社の独自事業としては出版事業(塩田武史写真集)、南アフリカツアー及び海外セミナー企画、それにプレイベントとしてユージン・スミス及び鬼塚写真 展を計画している。その他に協働事業として「環不知火海フィールドミュージアム構想」や「水俣原則の作成」などを計画している。

〈未救済患者問題について〉
認定申請者の急増は1995年の政府解決策においても救済されなかった被害者が多数存在することが明らかにした。相思社は「患者とのつきあい」の延長と して新規認定申請者及び医療事業への申請の手伝いをしているが、それだけではなく水俣病の経験を活かした地域づくりや水俣病及び水俣病患者への偏見差別の 解消につながる絶好の機会と捉え、水俣病への理解を広める活動に結びつけたい。

〈考証館展示の改訂について〉
昨年度、開館以降初めて展示コンセプトの変更を行った。水俣病の現在、相思社の今を伝えるために2003年度から検討を開始し、2004年度に展示改訂 作業を開始した。時間不足のため改訂作業の一部を今年度に持ち越すこととなったが、夏休み前までには掲示壁の設置及び展示パネルの新規作成を行いたい。

(弘津敏男)

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