2007年度 理事会報告

2007年5月27日 開催

2006年度活動報告
2006年は水俣病公式確認から50年の節目の年であった。水俣は未救済患者問題・水俣産廃問題という大きな課題を抱え、50年事業の影が薄くなってしまった。うがった見方をするならば、これが50年目を迎えた水俣の現状ということなのだろう。
2006年相思社はベテラン・中堅のスタッフがほぼ同時に抜けたために、当初は最低限必要な作業さえこなせないような状況に陥った。それも夏に事務職対応のパートが、秋からはスタッフ希望者が一人加わることになり、ようやく一息つける状況にはなった。しかしまだ昨年前半に積み残した事業はそのままであり、2007年度以降に持ち越すことになってしまった。
懸案の一つであった評議会については、理事会に作業部会を設置し、2007年度からの評議会設置に向けて検討をおこない、2006年度秋の理事会に評議会設置に向けての提案を行った。理事会において提案は承認されたものの、2006年6月に可決・公布された、「公益法人制度改革関連3法案」によって状況が変わり評議会設置案は白紙に戻すことになった。

2006年度活動計画
2007年度は産廃問題が更に大きくのしかかり、未救済患者問題にもまだまだ大きく手を取られる状況が続くと思われる。とはいえ、現在の脆弱な財政・活動基盤を考えれば、5年後、10年後を見据えた計画づくり、土台作りに着手・発展させていかなければならない。
〈抜本的財政改革:財政基盤の確立〉
ここ数年は臨時的な収入があり黒字となっているが、財政基盤の脆弱さは克服されていない。2006年度に物販プロジェクトを立ち上げたが、これは財政再建を強く意識したからであった。初年度という事もあり目に見える成果は上げられなかったが、従前の物販の問題点が明らかになったことや今後の方向性がある程度見えてきたという点は大きな収穫であった。また、「プロジェクトチーム」による取り組みは今後の相思社の運営のあり方を示唆するものであり、2007年度からは新たに、患者・マチ作り・水俣病を伝える事業についてもチーム制を試行することになった。
〈未救済患者問題〉
与党水俣病プロジェクトチームは第二の政治決着に向けて動いている。2007年3月には熊本県の認定審査会が2年7ヵ月ぶりに再開した。保健手帳の申請者は毎月500人を超える状況が続いている。相思社にも毎月100人以上の人たちが相談に訪れている。今後しばらくはこの状況が続くと思われる。相思社としてはこれを相思社や水俣病のことを地域の人々に知ってもらえる好機ととらえ、対応に力を注ぎたい。
〈水俣産廃問題〉
IWD東亜は環境アセス準備書を提出し説明会を開催した。阻止派住民の戦いは今後本格化していくものと思われる。相思社としては「水俣病の経験を活かした地域づくり」のひとつとして産廃処理場問題に取り組んでいる。運動を支えるとともに「産廃処理場の要らない地域の暮らし」を提案し、水俣病の経験を伝えることで水俣病に対する偏見・差別の解消を目指している。

(弘津敏男)

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