2010年度 活動総括報告

〈はじめに〉
2010年度のスタッフはわずか4名のスタートとなった。12月末に高嶋が退職し、スタッフは3名となってしまった。一方、2011年2月にはスタッフ候補として葛西を雇用した。他に、常勤及び非常勤のパート(契約職員という位置づけ)を3名雇用し、なんとか業務をこなしてきた。しかし、スタッフ不足はいかんともしがたく、考証館を土日休館にするなど、さまざまな場面で支障が生じている。
2009年7月に成立した水俣病特措法に基づく救済措置申請の受付が2010年5月に始まった。新規申請者の受付は2011年末に、その時の申請状況により再検討するとされているが、水俣病認定申請者や保健手帳所持者の受付は2011年3月末で打ち切られた。
また、水俣病特措法に基づきチッソの分社化が認められ、2011年4月から新事業会社(JNC)が活動を開始している。
水俣地域の振興策も動き始めているが、地元の動きが鈍く、内実のあるものになっていくかどうかは不透明である。

(地域や相思社の抱えている課題)
(1)公益法人制度改革対応
(2)水俣病を伝える統一事業体設立等、水俣病の経験を生かした地域づくり
(3)未救済患者問題への対応
(4)財政不足・人不足への対応
(5)中長期方針の確立
(6)抜本的な財政改革=財政基盤の確立
(7)旧生活学校・湯の児台地の活用

(個々の課題への対応)
(1)〈公益法人制度改革対応〉
2010年度春の理事会において一般財団法人への移行をめざすことが決定され、一般財団法人移行に向けて具体的な作業を進めている。
【公益法人制度改革対応作業部会報告】
春の理事会の決定に伴い、2011年度秋の理事会で一般財団法人化に向けての最終提案ができるように、必要な作業を進めている。
現在進行中の作業は、①現行寄付行為を基にした定款の作成、②評議員会の立ち上げ(定款に記載。評議員選任のための評議員選定委員会設置:メンバーは監事1名・事務局員1名、外部委員2~3名合計5人。理事は不可)、③公益目的事業支出計画等の策定(基本的に公益目的事業支出=正味財産を公益事業を実施することにより消滅させる)、などである。一般財団法人認可申請のための諸手続については熊本県の担当者と相談しながら作業を進めている。
2011年春の理事会において「最初の評議員選出委員」を決定する予定となっている。

(2)〈水俣病を伝える統一事業体設立等、水俣病の経験を生かした地域づくり〉
修学旅行誘致・フィールドミュージアムなど水俣病を伝える事業はそれなりに成果を上げているが、更にステップアップするために民間を中心に「水俣病を伝える統一事業体設立構想」が生まれた。この事業体は熊本県や国からの事業の受け皿としての機能を持つためにも必要と考えられていたが、受け皿としての組織は今すぐに必要ではないと判断し、当面は環不知火プランニング(KSP)を改組して臨み、事業体の設立は2012年度以降に持ち越すことになった。
一方行政側も水俣病特措法を利用して環境大学構想や水俣・芦北地域振興計画などにからめて事業を考えているが、地元行政の対応の遅れもあり、まだ具体的な構想作りには至っていない。とはいえ、2011~12年度までに具体的構想を作り予算化していく必要があり、2011年度中にはかなり具体的構想が作られるはずである。
相思社としては様々な会合に参加し、国・熊本県・水俣市などの行政や地元民間の人たちと連携を模索してきた。まだ具体的な成果は見えていないが、徐々に動きつつあるという手応えは感じている。
【水俣まちづくり戦略会議】
地域づくりには民間人と地元行政との連携が必要であるが、双方の意識の違い、思惑の違いが大きく連携がうまくいっていなかった。協議の結果、2010年8月に市長の諮問機関として市民と役所の人間が協議する場としての「水俣づくり戦略会議(福祉健康・産業振興・地域振興部門)」が立ち上げられた。この会議は水俣病特措法に関わる地域振興策の提言を策定することと併せて、21世紀になって低調だった市民と役所の協働を再構築することを目的としており、会合を重ねる中で徐々に成果を上げつつある。

(3)〈未救済患者問題への対応〉
2010年度は5月に始まった水俣病特措法に基づく救済申請手続きに多くの時間がさかれた。「一時金に申請すると今持っている保健手帳まで取り上げられる。一時金申請するヤツはバカだ」といったうわさが水俣・芦北を中心に県外にまで広がった。相思社近辺では更に「(公的検診は)ウソ発見器をつかって検査するらしい。だから保健手帳も取り上げられる」というデマまで広がった。
こういったデマは情報不足と人びとの不安感によって広がったと思われる。その影響もあり、熊本県では保健手帳所持者のうち約7割が一時金申請を断念し、被害者手帳への切り替えを選択するという状況になっている(鹿児島県は6割が一時金申請)。
チッソは特措法に基づく事業者と認定され、新事業会社JNCが設立され、大阪地裁によってJNCへの資産譲渡が許可され、2011年4月からJNCは活動を始めている。

(4)〈財政不足・人不足への対応〉
2010年度はスタッフ4人体制で出発し、12月末に高嶋が退職し、ついにスタッフ3人という危機的状況に陥っている。幸い、2月に新しいスタッフ候補の雇用が決まり、また、2011年度下半期からはスタッフ候補を一人追加雇用することになった。
2010年度の財政は様々な要因やスタッフ・職員の努力もあり、3年ぶりの黒字に転換した。

(5)〈中長期方針の確立〉
2001答申からすでに9年が過ぎ、根本的に中長期方針を見直すべきと考えていたが、当面は年次活動計画を検討する中で実質的に中期方針(3~5年)を検討していること、長期(5年以上)の方針を立てても、めまぐるしく変化する状況の中ではあまり意味をなさないであろうこと、を考慮するならば、「毎年、単年度及び中期方針を検討する」とする方が妥当であろうと思われる。

(6)〈抜本的財政改革:財政基盤の確立〉
相思社には確固とした財政基盤がなく、その時々において新規事業を立ち上げたり、ニーズに合わせて特定の事業を拡大したりしながら、綱渡り的に組織を継続してきた。その状態が36年以上にわたって続いている。1889答申以来、財政基盤の確立を課題としてきたが、20年以上かかっても有効な策は見いだせなかった。
それ故、相思社という組織は、生まれながらにして試行錯誤を繰り返し、変化し続けることにより、存続が成り立つという特殊な組織だと判断すべきだろう。
従って、今後は財政基盤の確立ではなく、短期・中期の経営戦略・活動方針を打ち出しながら活動を続けるしかないだろう。
なお、会計作業にコンピュータが導入された1997年度から2010年度までの収支の平均は40万円程度の黒字となっており、財政的には危機的状況とは言えない。
その時々状況に柔軟に対応していく限り、相思社が存続し、活動を続けることは可能であろうと思われる。

(7)〈旧生活学校・湯の児台地の活用〉
湯の児台地の活用については、具体策をすぐに見いだすことは難しく、手をつける状況にない。
一方、旧生活学校については昨年春の理事会において賃貸料を引き上げることが決定され、賃借人の金刺氏と交渉をしたが、了解を得られなかった。賃貸開始時の理事会議事録等を検討する中で、「相思社は1993年から3年間という期間限定の賃貸契約を望んだが、金刺氏の要望により5年間の契約に延長した」という経緯が確認された。契約期間の5年を経過した1998年からは2年毎に契約を延長し、最後の契約は2010年6月末で切れている。
ずるずると賃貸契約を延長している現状を根本的に見直す時期に来ていると思われる。
相思社は2012年度から一般財団法人となる予定であり、少なくともそれまでには基本的な方針を打ち出すべきだろう。

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