2002年度 活動報告

はじめに
2002年11月に富樫理事長体制となり、患者以外で初めての理事長が誕生した。また、遠藤が理事に就任し職員理事の二人体制となった。
長く中断していた理事長懇談会も復活し、富樫理事長を中心にして相思社の改革に取り組んでいる。
昨年春の理事会において運営協議会設置及び賃金改定を審議するための理事会・作業部会が設置された。秋の理事会において「水俣病センター相思社運営協議会設置要項」が設置され、メンバーも決まり5月の理事会前に第1回アドバイザー委員会(仮称)が開催されることになっている。アドバイザー委員会は公的な「評議員会」の準備段階として位置付けられているが、当面(2~4年)は自由な立場で「相思社の今後に向けて」様々な意見を出していただくことになるだろう。
南アフリカでのヨハネスブルグサミット参加問題は財政面において大きな負担を負っただけではなく、相思社の運営のあり方の問題をさらけ出すことになった。この問題に関しては別に総括報告を行いたい。
職員による運営委員会も適宜開催してきたが、運営委員以外の職員からの不信感も生まれた。「公平・透明・納得」の意識が不足していたように思われる。2003年度からはスタッフ&パート体制に移行することになっており、運営委員会の存在そのものを考える必要がある。
職員会議は通常の運営における最高議決機関であり、定例職員会議は毎月欠かさず開催し、必要に応じ臨時職員会議も開催した。しかし、古くからいる職員と新しい職員とのギャップが大きくなり発言する職員が限定されるなど職員会議の形骸化も見られ、相思社運営に支障をきたすなど今後の大きな課題となっている。
2004年には相思社設立30周年を迎えるが、30周年に向けて体制は作ったものの本格的な動きには至らなかった。
2002年度は相思社の抱える問題が顕在化した年であり、見えてきた課題を一つ一つ解決していく中で「新生相思社」を作っていきたい。

☆事業部
[考証館・環境学習・グリーンツーリズム]
1  考証館
売店に隣接する暗室の片付けを後期に全職員で行った(元暗室は今後ビデオ視聴室にする予定)。売店の部屋自体も、ただものを売る場所としてではなく、「ごんずい」の表紙を受付の後ろの壁に張ったり、相思社の活動や水俣地域の最近の動きをパネルにして壁に張り、相思社近年の取り組みが感じられるものにした。考証館内部の展示も、船の模型や漁網の模型などを展示物を新しく加えるなど、パネルの入れ替えや新設をおこない、少しずつ更新している。02年度末に予定していた考証館の改築工事はヨハネスブルグサミット参加による出費などを考慮し、断念した。改築工事は費用の面でも手間暇の面でもそう簡単にできるものではない。今後3年間5年間の中長期、段階的に計画を進めていきたい。03年度は展示の内容改訂に力を入れる。

2 環境教育
水俣を訪れる学校や団体、個人に対して、水俣病事件から学んだことを日々の暮らしに反映することができるようなプログラムを提供することを目指した。
2002年度は、熊本県のエコセミナー実施によって、水俣に来る県内小学校は増えたが、考証館には来ないケースが増えた。計画概要がわかった時点で県教育委員会に対して申し入れをすべきであったが、見過ごすことになってしまった。学校側がそこまで県の示したモデルプラン通りに動くと思っていなかったことと夏から秋の仕事の忙しさに取り紛れてしまった。03年度については、年度当初に水俣での学び方の申し入れをおこなう必要がある。
8月に予定していた教師向けのごんずいのがっこうは、参加者が最小実行人数に達せず中止した。企画・広報が対象者に届いてないという問題もあるが、担当者が夏の企画を抱えすぎ、余力がない状態であったことも原因であった。部門内での話し合いが足りていなかたことを次回の教訓にしていきたい。 ごんずいのがっこうは、このところ参加者が集まらない状況が続いている。出会う・体験するプログラムだけでは人を動かす魅力に欠けるのかもしれない。21世紀が引き続き戦争と不安の世紀であるなら、その時代をどう生きるのかという視点が必要である。緒方正人が言うように、水俣で生き方を考える塾的なものが求められている。発題者からの話を受けての討論、生活文化・技術の学びなどを生活学校のような長いスパンは難しいが、2泊から3泊でおこなっていくことを考えたい。

3 教育旅行
観光物産協会エコ水俣が立ち上げられた。相思社は年間2万円の会費を支払い会員となった。収入のほとんどは水俣市からの補助金(900万円)と会費(300万円)、などで1200万円程度である。支出は湯の児と湯の鶴温泉のイベントに640万円、教育旅行誘致43万円、宣伝160万円、事務局運営費352万円などである。事務局は商工観光課からの出向1名と、ほかに1名雇用している。その中にエコ部会が立ち上げられ、教育旅行や環境学習のプログラム作りなどを行っており、遠藤が参加している。
エコ水俣との関係では、一つは水俣における教育旅行の受け入れ態勢(案内料金統一等)検討と、もう一つは以前に水俣市が立ち上げた水俣案内人協会の整理であったが、どちらも継続的な課題となっている。エコ水俣もMKPも観光の色彩が強く、相思社の行いたい水俣案内とは、だんだんと目的も含めて相違が出てくるように感じている。
下半期には川口青陵高校(360人)、神奈川学園高校(40人)、正則高校(360人)、調布高校(240人)などの水俣案内を行った。特に一昨年神奈川学園高校の担当者と、水俣案内の企画を巡ってトラブルがあったが、それ以上に今年度の正則高校は特筆に値する。様々な問題があったが、①企画の詰め込みすぎ、②観光地と間違っている、③「説明は論理的に整然と行って欲しい」との発言。教室とフィールドの相違が理解されていない、④教師が連絡もなく動くので弁当の数が過不足となった。ことは弁当に過ぎなかったが、学校は相思社からの情報をあますところなく欲しがるが、学校の情報を相思社へは連絡しない、等々の混乱があった。
これからは教育旅行の受託には、契約書を準備して相互の約束事項を確認する。しかし無条件に引き受けていると、一方で水俣病を商うとの批判がある以上に、水俣を観光地として消費することに手を貸しかねない状況にもなっている。案内システムばかりでなく、相思社の水俣案内のスタンスを明らかに提示することが重要であろう。

4 案内
案内料金を4月から改定した。大きな変更点は、案内コースを基本コース(従来からの小学生等の水俣見学などを対象)と自由設定コース(主にグリーンツーリズムや調査などを対象)に分け、前者は案内基本料金10500円(延長2500円/1時間あたり)、後者は12600円(延長3000円/1時間あたり)とした。またコース設定やスケジュール調整のコーディネートに対してコーディネート料金を新設した。特に小学校の水俣見学については3000円と割安に設定している。患者の話の謝礼は、小学校には5000円程度、その他には1万円程度をお願いしている。料金改定での格段のトラブルは発生していない。
案内プログラムの充実(体験学習のメニュー作り&開発)、学校への営業、事前学習の提案およびツール(パンフレット、地図、聞き取り本、講議等)、などは年間を通じてまとまった取り組みはなかった。

5 グリーンツーリズム
湯の児の森づくりと自然体験を組み合わせた企画を8月におこなった。森づくり・キャンプ・カヌーという内容は好評であった。湯の児の平坦地は水はないものの、ある程度用意すれば短期間のキャンプであれば可能なので、キャンプ場としても整備していけば、相思社のプログラムを広げることになる。
カヌー、キャンプ等はそれを客に提供する場合は技術が必要であり、現在のところそのプログラムを運営できる職員が限られる。職員全員ができるようにならなくてもよいが、体験をしておき、サポートできる体制を作りたい。また、インターンシップ等の受け入れでサポートスタッフの養成を考えたい。

6 出版
2001年度内発行が目指されていた患者聞き取り集を、7月1日『豊饒の浜辺から』として出版した。11人の水俣病患者の話をA5版126ページにまとめ500部作成し、1200円で販売している。考証館で販売するとともに、水俣フォーラムの展示会でも販売してもらっている。
聞き取り集2集は、10人ほど水俣病患者の話を収録し、02年度内に発行予定だったが、実際に本になるのは03年5月になる予定。1冊目もそうだが、2冊目も新たに聞き取りしたものと聞き取り記録したものとが半々の割合となった。今後、チッソの労働者など水俣病患者のみならず関係者の聞き取りも計画に入れていくべきだろう。患者・関係者の高齢化も考慮し、聞き取りの優先順位を決めリスト化する必要もあると思われる。
水俣を訪れた人が一人でも歩けるとともに、車でも使える案内マップを構想していた。予算を水俣・芦北振興基金からの助成をあてていたが、残念ながら助成対象に選ばれなかったので作成は不可能になった。既存の各団体が発行している地図は、水俣病関連の情報が少なく観光地主体となっている。水俣の風土と暮らしを楽しむためには使いづらいので、これからも何らかの助成などを獲得して作成を目指したい。
下半期には子ども夢基金助成に、理事長の了解を得て応募した。内容は既存の「水俣病10の知識」は大人向けに作成されており、小学生・中学生向きではない。それで子供版「10の知識」を、小中学生の参加を募って、大人と協働して作成する計画を提出した。助成についてはヨハネスブルグサミット参加で大きな問題となっているが、できる限り事業計画に盛り込んでおくことと、できない場合には企画書を作成して、少なくとも持ち回り理事会での承認を得るようにしたい。(4月になって、助成からもれたことの連絡を受けた)

7 教材作成
来訪者が単独でも水俣病関連スポット巡りできるような冊子を作ろうと、相思社で以前に作成した「水俣病事件資料集」を改訂し、02年度内に考証館で売る予定だった。できなかった。03年度の前期までに原稿の改訂を終え、後期に考証館で販売したい。また、分析室・考証館書庫・資料室にあった余分な資料を商品のかたちにして考証館で販売予定だったが、02年度内には販売できなかった。販売できる量は集めたので、商品のかたちにして値を付け、03年前期中にも考証館で販売したい。

8 大学生(卒論・ゼミ)
大学生や院生で卒論・修論・博論として水俣病をテーマにする人が少しずつ増えている。今後データベースが公開されることもあり更に増加することが考えられる。大学のゼミも少しずつ増えている。ホームページ、あるいは「ごんずい」で水俣病関連資料が閲覧できること、長期宿泊可能であることなどを紹介していきたい。

9 出張講演
6月に水俣フォーラムの定例セミナー、12月に延岡市の人権研修会において弘津が講演した。
3月に大阪市大の水口さんを通じて、西成区役所の「西成差別を考える区民集会」のパネルディスカッションの講師として遠藤が参加した。「出身地が名乗れない」「就職・結婚差別」「ニセ患者」等の水俣病差別の事実を話し、現在の水俣ではもやいづくりをキーワードに様々な協働を通じて水俣の誇りを創っていることの報告をした。
また小里は、6月「九州女性環境会議」パネリスト、8月「高知県池川町地元学研修」講師、9月「屋久島エコフェスタ学習会」講師、10月「北東アジア女性環境会議」パネリスト、2月「ハワイ・カウアイ島スタディーツアー」講師をそれぞれ務めた。水俣病の経験を元にした地域再生の取り組みの理念と具体的におこなっていることに各地で関心が持たれている。その中で相思社が果たす役割を伝えることが重要である。

10 国際会議
世界水会議へのサテライト会議として、2月に世界水会議子どもフォーラム・京都の主催で、水を学ぼう子ども車座会議が開催された。遠藤と市内の子ども(小田南李君。水俣市越小場で農業を営んでいる生活学校参加者の子ども。高校2年生)が参加した。子ども車座会議と大人車座会議が開催され、遠藤の1960年代の水循環システムの絵地図と、小田君の米作りと川遊びの絵地図を展示した。

[資料収集・整備・活用]

1 一般資料
2002年度末までの総入力点数は47,531点、内国水研へは44,200点を納品している。
過去4年間の年間入力件数は次のようになっている。
入力数   国水研納品数
1999年度 : 7,330   6,500
2000年度 : 7,315   6,500
2001年度 : 4,500   6,500
2002年度 : 7,233   5,700
年間入力総点数は7,236点、国水研への納品点数は5,700点であった。
2002年度の納品数が減少したのは国水研の都合によるものであり、資金繰りの面で大きな支障となった。今後は年度初めに契約書を取り交わし、二度とこのようなことのないようにしたい。
2002年度は全職員が入力を体験した。点数そのものは多くはなかったが、今後の活動に役立つものと思われる。入力前の整理、ファイル化が遅れており、今後の体制建て直しが必要となっている。青焼きコピー、湿式コピーのコピー、ビデオ資料のDVD化と整理など少しずつ課題を解消しつつある。

2 新聞
新聞5紙の水俣病関連記事収集・整理は例年通りに行った。
地球環境基金助成(200万円)を得て懸案であった新聞記事整理・データベース化の取り組みを始めた。2002年度の実績は未整理記事を6,000点整理し、画像取り込みが4,600点、見出しデータのチェックと入力が7,600点だった。
新聞記事資料提供は、継続している大阪人権博物館と水俣フォーラムへ以外にはほとんど要請がなかった。

3 年表
年表の入力点数は累計で11,400点となっている。2002年度から国水研に納品する予定であったが、国水研の都合で2003年度からの事業となってしまった。
今後2005年度までに約2万点の入力を終え、その後整形作業、資料データベースや新聞記事データとのリンク作業を2007か2008年度には終えたい。

4 その他の作業
2002年度は約60本のビデオをDVD化した。2003年度中に残り300本あまりもDVD化する予定になっている。
全職員がデータベース入力できるように「資料データ入力マニュアル」を4年ぶりに全面改訂した。

5 今後の課題
(1)写真資料の整理、活用システムの構築
(2)音声資料のテープ起こし
(3)資料整理(資料室の整理、第2資料庫、旧生活学校)

[患者]
〈患者〉
1 患者とのつき合い
2002年度から「患者とのつき合い」の重視を計画に掲げた。聞き取り集作成のための聞き取り作業もあり、ここ数年と比べると患者と会い、話をする機会が増えた。しかし、全体的にはつき合いが不足しており、今後は更に意識して患者とのつき合いを深めていかなければならない。

2 患者の動き
1997年に始まった三団体行動だが、ここ数年はマンネリ化が懸念されている。2002年度はそれを意識し、多少改善されたがまだ停滞の状態から脱したとは言えない。しかし、一方では活動が定常化したことで少しずつだが毎年着実に成果があり、活動の意味は大きい。
「患者とのつき合い」を意識し、関西訴訟原告とも話す機会を増やしている。「関西水俣病友の会」を巡る混乱、「上告取り下げネットワーク」の活動と問題点などが見えてきた。残念ながら問題解決には至っていないが、課題が見えてきたこと自体を一歩前進と見るべきだろう。

3 今後の課題
「患者とのつき合い」は聞き取り本の作成を通じて深めていくのが現実的であろうと思われる。また、「獅子島調査」を通じて、連合や連盟以外の患者・地域の人々とのつながりも広げていきたい。

〈聞き取り調査〉
2001年答申を受けて、継続的に水俣病患者からの聞き取りを行っていくための担当を置いた。しかし、聞き取り本と重複するために今年度は全体的な方針を出すまでには至らなかった。担当は総会や宴会等の機会には積極的に参加して顔を知って知ってもらった。

[調査研究]
1 湯の児台地
「海を育てる湯の児の森づくり」として8月、10月、1月、2月の4回、山の整備作業を行った。平坦部から山頂にかけての道づくり、炭焼き、間伐をおこない、山頂まで一応通れるように整備した。作業は吉井和久氏に指導をお願いした。参加者は各回3~10人で、水俣市以外に熊本市や小川町からの参加もあった。参加者には、今後も森づくりに関わりたいという希望があり、関係を保っていきたい。
吉井氏には今後の整備計画への関わりもお願いしている。平坦地部分でもまだ人が森に入りやすいように整備することが必要であり、継続的に手をかけて行かなくてはならない。また、今後の計画づくりのためにも、他のエリアの踏査が必要であろう。
整備計画と共に今後の湯の児での展開を考えていかなければならない。取りあえず、湯の児のプロジェクトチームを相思社内に作りたい。

2 地域調査
相思社主催の地域調査としては、8月に女島京泊・牛水地区をおこなった。芦北町の教育委員会の井川さんに協力を得られ、地元の若い世代とのつながりも持てた。
また外部依頼としては、7月にお茶の水女子大の地域調査のコーディネイトをおこなった。8月末から9月にかけては高知女子大から池川町でのあるもの探しを依頼された。2月にはハワイイ・カウアイ島の東本願寺、藤森氏の依頼でワイメアであるもの探し、地元学体験の講師を小里が担当した。
水俣の入り方として、トラブルを避けるためにも相思社がコーディネイトをおこなっていることを大学等には周知させていく。

3 助成事業
地球環境基金・新聞記事整備
438万円の助成申請に対して、200万円の助成が認められた。(資料整備の項を参照)

地球環境基金・ヨハネスブルグサミット参加
当初患者連合として助成申請していたが却下された。その後相思社としてヨハネスブルグサミット特別募集に応募し認められた。しかし、約1000万円を申請に対して300万円しか助成が認められなかったこともあり、経済的にはマイナス事業となってしまった。

助成事業の見直し
助成事業については以前から問題が多く、今回の事件をきっかけにして早急に定式化に取り組まなければならない。
「助成金が出るのだから」ということで、相思社として重要度の低い事業を行うべきではない。今後は少なくとも「これこれの事業を行いたい」→「必要性を全体で確認する」→「費用の捻出が難しいから助成申請する」といった手順を踏まなければならない。「最初に助成ありき」は絶対に避けなければならない。
しかし、活動の展開の仕方と、制度的制約によって年度計画に具体的に記載されていない場合も往々にしてあり得る。少なくとも相思社の大方針に沿うことが前提であるが、少なくとも理事長決裁は必要であろう。

4 湯の児
国土緑化推進機構の「地球温暖化防止の森林ボランティア活動支援事業」により、湯の児の森の整備を行った。半額助成のため、9万円の助成となった。

5 三重県自治会館組合研修
下半期には10月2日~4日三重県上野市比自岐でスリーステップ研修、10月16日~18日多気町でスリーステップ研修、11月11日~12日志摩町リーダー研修が行われ、遠藤が講師として参加した。
今年で4年目を迎える三重ふるさと学研修では、自治体職員の研修ばかりでなく、実施地域への行動提案が望まれるようになった。研修で作成する絵地図には、驚いたこと・気が付いたことばかりでなく、「これは今後こうした取り組みが考えられる」とか「調べた結果から、地域での農産加工の可能性や販売所の取り組み」等を、他地域からの情報としても積極的に報知することが問われてきている。
また2回目の実施地域では、以前の調査よりも深まった調査が必要とされ、上記のような提案もより望まれている。しかし三日間程度の調査で、提案することは一方では無責任になりかねない問題も出てくる。実際あるマチでは、住民が大切にしている水域を「埋め立ててレジャー施設を作ったらどうか」などという、研修生の思いつきが絵地図となった。

6 きずなの里
きずなの里からの受託自体が年々遅くなっていることもあり、活動が遅れ遅れになってきている。相思社の信用問題にも関わるので、2003年度からは正常な状態になるようにしなければならない。

7 ISO
相思社における環境マネジメントシステムを構築することを方針に掲げていたが、できていない。チッソや水俣市役所のISO認証について評価する視点を持つ程度にとどまっている。なお、市役所は今後、審査機関による監査をやめ、市民監査による自己認証へ移行する。

[地域活動]
1 もやいネットワーク
せっけん工場、元気村女性会議、ごみ減量女性連絡会、水俣案内人協会には職員が様々な形で参加しているが、2001水俣ハイヤ節には職員が個人で参加している。ほっとはうすとは、ごんずい74号ほっとはうす特集で同運営委員・徳富おれんじ館館長との座談会である程度は、意見交換ができたと考えている。
本願の会とは直接的な関係はないが、以前は「相思社の活動には何の関心もない」と発言していた緒方正人氏と、先日話し合いを持ち、相思社の目指すところについて話し合った。緒方氏は組織として21世紀を活動する困難性についてふれながらも、「相思社に一本芯の通った筋を持ってもいたい」と語った。緒方氏は、水俣病事件の本質に触れるような徹底的に語り合える座談会を相思社が開かないかと提案してきた。
きずなの里は継続的な聞き取り事業を、受託している。同館に展示しているパネルが内容的に古くなっているので、更新を呼びかけている。国水研とは資料データベースの作成で協働で作業中である。
ネットワークと言おうともやいと言おうと、やはり肝心なことは人間的な信頼関係が第一なので、職員がどんどん外へ出て行って、相思社と自分自身を水俣の人々に知ってもらうことが重要である。また現在、平日の考証館当番は臨時職員が行っているが、外からの人を迎え入れる点でも、新たなネットワークを作り出す点でも、この体制には問題点がある。また来客者に対する応対には、個人の温度差はあるが、熱のこもった応対とは言い難い面は改善する必要がある。特に約束なしの来客者に対して、何らかの受け入れ体制作っておきたい。

4区寄ろ会との協働
4区あるもの探しを行った。寄ろ会へは以下のように呼びかけた。「相思社では水俣の地域再生を、第一点目は環不知火海調査として、不知火海とその周辺地域の風土と暮らしを調べようとしている。第二点目はもやいネットワーク事業として、地域に役立つ相思社を理解してもらおうとしている。第三点目はイベントではないもやい作りの日常活動を作り上げることが大切ではないかと考えている。こうした事業によって地域の人が、「自分の住んでいる地域はこんなところだ」と、誰にでも分かりやすい形で示すことができる。住んでいる人が自分の住んでいる場所を誇りに思えるようになることは、水俣病事件の教訓の一つでもあるし、地域づくりの大事な一歩だと考えている」。
2月15日に実施したが、参加者は水俣内外を含めて15人。あるもの探しや聞き取り調査を行い、その結果を撮影した写真を使って地域の絵地図を4枚・地域情報カードを30枚程度作成した。

ごみ減量女性連絡会議
連絡会議が作成した「ごみ減量紙芝居」を市内全小学校に配布した。
生ごみ分別・堆肥化を巡って、商工会議所が企画した討論会の呼びかけ人に勝手にされていたが、討論会の趣旨が不明であることから、呼びかけ人となることも発言者となることも断った。
事務局としての環境対策課に、市民との協働の取り組みでごみ減量を実現していくという姿勢が見えず、上意下達になりつつある。この状況を分析し、連絡会議で今後の活動について十分話し合っていく必要がある。

元気村女性会議
もやい通貨の参加者は徐々に増えているが、実際に結い・もやいの関係を結ぶケースは限られた人同士になりがちという課題が見えてきた。
元気村に集まったメンバーの有志で、8月から1月まで中央商店街の店舗を借り、げんき市を開いた。村とまちをつなげる試みとして、庭先野菜、有機栽培米、無農薬茶、海産物、せっけん、リサイクル品など、水俣にある身体と環境にいい品々が手に入り、出会いがある場所として機能した。
店番や加工所の総菜類の確保が難しくなり、1月いっぱいでこの試みは終了したが、自分たちでやってみようという人たちがいること、メンバーそれぞれが多様な生産物と能力を持っていることなどがわかり、水俣の地産地消の可能性を計ることができた。

火のまつり
火のまつりは、寄ろ会を中心とした住民主導で行われるようになって3年が経過した。相思社として受け入れられて来たように思う。火のまつり自体の進行は申し分ないが、祈りの時間と空間を演出することがまだまだできておらず、魂を入れることには成功していない。水俣病患者の参加を増やしていくことは課題としておきたい。

せっけん工場
液体せっけんが完成し、果樹用はミカンのカイガラムシ防除などに出荷を始めた。新田九州男さんによる学習会を開いて、使い方の普及を計った。

おれんじ館運営委員会
2001年度は1年間休止の状態だったが、1年ぶりに委員会が再開され委員(任期2年)を引き受けた。委員長が田上政弘区長に代わり活動が活発化するかに思えたが、結局会合は2回開かれただけで問題点が指摘されたにとどまった。「日曜休館の変更」と「学童保育への取り組み」への問題が指摘されている。

牛乳パック再利用を考える全国大会
田中商店(エコボみなまた)の田中専務からの要請で関わるようになった。吉永氏の推薦だった。当初は実行委員を要請されただけだったが、その後実行委員会の司会役と分科会責任者も引き受けることになった。
当初参加した目的はこの事業を通じて水俣のネットワークを作り、強化をすることであった。パック連を通じて他のNGOとの関係も深めていきたい。

もやい直し巡回展
3月末の土曜日に、もやい館主催で開催された「映像によるもやい直し巡回展」の、企画の総合プロデュースを相思社が受託した。ほっとはうすのトークも交えながらの土本監督の映画上映、ドキュメンタリーテレビ番組のビデオ上映、パネル展示を行った。
もやい館は、外への発信拠点である市立水俣病資料館に対し、道半ばのもやい直しにおける地域内への発信拠点であるべきだが、資料館の存在を理由にこれまで水俣病を前面に出した企画は行ってこなかった。そのもやい館としては初めての試みであり、収益事業としてだけ考えると委託料は十分ではなかったが、地域との関係構築という点で重要だと考え取り組んだ。来場者からは「1日だけの催しとするのはもったいない」「もっと多くの人に来てほしかった」という感想が聞かれ、企画としてはよいものにできたが、年度末の他のイベントと重なったこともあり来場者は30人に満たず、今後の行政の取り組みを後押しする規模とできなかったことが懸念される。また、来場した人はよそから水俣に移り住んだ人が多く、それもまた地域の現実かと考えさせられた。イベント主体のもやい直しから日常におけるもやい直しへの移行が求められているが、今回はむしろイベント型に分類される取り組みであった。市民が受け入れやすい形という意味で映像を用いたわけだが、今後は、さらに一工夫をした上で、日常型のものと両輪となってこうした取り組みもまた継続していくことが必要だろう。

[物販・生産]
一方で相思社本来の仕事ではないとの位置づけがあるが、他方では活動資金の確保のためにはずせない仕事との位置づけもあり、担当者に混乱をきたしている。いわゆる収益事業は相思社目指すところではないが、必要な事業としてきちんと意義を明らかにしないと、担当者はその仕事に誇りを持てないことになる。相思社の歴史からしても即時に物販事業を中止できるわけではなく、また収益性からも手放せない。また2002年度は、ほぼ計画通りの収益を上げた実績は見逃せない。

〈みかん〉
裏年ではあるが、それなりに収穫もあると予想された。しかし、7月・8月・9月とカメムシの被害があり、幸い台風は来なかったが、猛暑で雨が少なく、日やけや玉割れ、サビダニなどの被害を受けた。カメムシの発生により、9月上旬から下旬にスミチオンを2回散布した。生産者により散布時期がまちまちで、残留日数が4週間あるために、例年とすると出荷が遅れてしまった。温州・青島の案内発送時点では、どれだけ出荷できるかわからない状態だった。カメムシの被害を受けたみかんは、見た目にはわかりづらく、落ちずに成長したものが出荷され、かなりの苦情があった。
雑柑については、カメムシ被害の影響はなく、作柄に関しては、問題はなかった。しかし、生産者の福島さんのみかんには、見た目の悪さ、痛み、味についてクレームが多かった。その都度、福島さんには事実を伝え、お客様には代品を送り、ほうじ茶や手書きの手紙も添えた。
急な出荷に対応できるのは福島さんだけが、相思社以外にもみかんを出していることもあり、他の生産者の中からは批判も聞こえてくる。福島さんも今後、相思社以外への出荷の物と、相思社へ出荷する物を別に栽培するのか考えなくてはいけないと言っていた。
注文量も大口の共同購入が減り、今年は21とうほくからの注文はなかった。新規顧客については若干ではあるが、増えてきている。他県での無登録の農薬使用問題などが浮上し、消費者は「安心・安全な物」を求めているので、相思社も疑念が生じないように生産者と良く話し合いを持つ必要がある。

〈りんご〉
販売はほぼ予定通りおこなうことができた。客からの苦情等はほとんどなかった。ジュースの売れ行きがよく、今後も伸びが期待される。
ふじで、小玉、傷果の多い箱が発見された。須田保さんに生産者の話し合いを持ってもらい、その報告によれば、「ここ数年は全量、相思社で売れなくなっているので、売れるところならどこにでも出している。出荷先としては一番遅い相思社に2級品が出てしまった。生産者の意識の差が現れた。最近は出荷数を伝えるだけで3人で出荷の確認もきちんとできていなかった。須田保のところで全量まかなえればいいのだが、そうもいかず、仲間を引っ張っていくのが大変である」ということで、2003年度は、予想出荷量の連絡の徹底と生産者との話し合いが必要と思われる。

〈お茶〉
無農薬一番茶を前年度よりやや少なめの131.5キロ(水俣茶41.5キロ・人吉茶90キロ)他に無農薬紅茶340袋、ほうじ茶300袋仕入れた。例年通り5月に新茶の案内を出し、りんご、みかん企画にも載せ、無農薬茶は完売・紅茶、ほうじ茶もほぼ完売した。
予算は達成したが、売上の割には利益が少ないので、来年度以降は仕入れ価格と販売価格の見直しが必要だろう。

〈書籍〉
古くからある在庫を目立つ場所に置き、在庫の消化をはかった結果、なかなか売れなかった本がほとんど売れてしまった。「売り出し方」の工夫で売れ具合が違うのだと実感させられた。今後も本は同じ場所に置かず定期的にレイアウトを変えることを心がけたい。本の売れ具合は考証館の来館者の数に対応しており、02年度は苦戦した。今後は考証館に人を連れてくる努力もさることながら、費用対効果も考えた上でイベントでの販売やダイレクトメールの発送を実施したい。本の仕入れは「買いすぎず少なすぎず」を心がけてきた。02年度のデータをもとに適正在庫数を出し、03年度も工夫したい。また、考証館で取り扱う物品の基準を定め、相思社ならではの物販にする。夏にはヨハネスブルグ・サミットで書籍を販売することになり、急遽英文の水俣病関連書籍を購入したが、ほとんど売れなかった。この部分では買いすぎが出たかも知れないが、英文資料の要望もまったくないわけではない。この先2、3年ぐらいで販売してしまう量であろうと思われる。

〈甘夏園〉
草刈り・剪定はシルバー人材センターに委託した。収穫量は約700㎏あり、86ケースを出荷した。木の樹勢が弱くなっていた1本は切った。

【総務部】
[庶務]
〈一般庶務〉
庶務の仕事の目的は、相思社・考証館の運営を円滑に行えるようにすることであり、無駄な経費を削減することである。庶務を中心に経費削減に努力している。
2002年度はパソコンが次々に調子が悪くなり結局3台購入した。考証館のビデオも故障したので買い換えた。集会等の畳・事務棟の畳・床が随分と傷んでいたので畳替えと床の張り替えをおこなった。また、カラーレーザープリンター・ビデオプロジェクターも購入した。なお、カラーレーザープリンター・ビデオプロジェクターの購入費は助成事業から支出した。
また、常務理事の弘津が事務棟に常駐する方が仕事上望ましいため、遠藤が事務棟から倉庫だった部屋を整理して3月に移動した。
庶務の業務としてはほぼ計画通りにすすんだ。

〈名簿管理〉
これまで通り、日常作業を川部が、メンテナンス作業を神沢が分担し、機関誌発送名簿・会員名簿・物販顧客名簿など複数の機能を持つ名簿の管理を行った。機関誌発送では、郵便振替は必要時のみ同封することにしたので、区分けの作業が複雑になった。
今年度より毎月の自動払込の処理の作業が必要になり、これも自動化しルーチンワークとしたいが、名簿管理システムの更新が進んでいない影響でできていない。

〈名簿管理システム〉
WINDOWS上へ移植することが課題であるが、書籍等の販売システムを作ったことにとどまっており、2年間で実用化するスケジュールからすると遅れている。書籍については自動集計により品目ごとの売上数を把握できるようになった。

[会計]
昨年度より始めた月度ごとの収支把握もまだぎこちないが、次第に神沢から坂本へ作業分担も移すことができ、軌道に乗りつつある。仮払金の早期回収・伝票購入のチェックのため規則の変更を行ったが、仮払金が残っていたり伝票購入チェックがおろそかになるなど運用面はまだ完全ではない。
こうした運用面の厳密さが不十分であったことが、ヨハネスブルグサミット参加事業での赤字につながったと言える。また、ヨハネスブルグサミット参加事業では、規模の大きさや外国通貨であることなどのため会計処理が遅くなった。また、資金繰りに影響を及ぼした。
県の監査指摘に従い、行政指導上の区分においては、相思社の事業活動はすべて公益事業としてよく、収益事業との区分を廃することになった。

[管理・営繕]
相思社敷地及び元生活学校の草刈りは、引き続きシルバー人材センターに依頼した。事務棟の床張り替えや集会棟・事務棟の畳の表替え、グリーンツーリズム倉庫横の空室も事務所化して、窓枠の取り付け工事を行った。台所に電子レンジ・ガスコンロ・炊飯ジャーなども備品も購入した。資料室・事務棟のファンヒーターが故障し、4台購入した。2階の倉庫にある寝具は、今後廃棄処分し、倉庫の整理をする必要がある。設備は充実したが、掃除や花壇の手入れが不十分であった。3月より掃除の時間を決め、しばらくの間全員作業で分担してすることになった。

[寄付・維持会員]
維持会員の分析を暫定的な範囲で行った。これまでに会員になっていただいた方は約1300人おり、そのうち現在も会員の方は約600人だが、半分の300人は1990年~93年に会員になってもらった方であり古くからの人に支えてもらっている部分が大きい。しかし、1994年をピークに会員は減り続けている。そこで、どう新規会員を増やすか、どう会員の減少を防ぐかでアイデアを出し合った。新しくごんずいを送るようにした人には、会員のお願いに一言肉筆を加えるようにしている。また、職員が使用する名刺の裏側に維持会員募集を刷り込んで使用している。新しく出会った人々をごんずい特別郵送者にした場合は、最初に送付する際に印刷物ばかりでなくできるだけ一言肉筆を書き添えて送るようにしている。
年度末に2003年度カレンダーを作成して、維持会員に送付した。今年は「水俣でできること」というテーマで、主にはいわゆる体験学習のスナップを特集した。水俣体験学習としなかった理由は、体験学習という名前はそれ自体が教育システムの言葉であり、風土と暮らしを体験する・感じることは、それを越えた生活文化創造の一歩であると考えたからである。
維持会員を増やす努力は従来と変わったものはなく、暫時減少状態が続いている。相思社の目指すところを明瞭にする事で、相思社への支援を増やしていきたい。また2004年には相思社30周年を迎えることもあり、その機会に維持会員の提言や意見や批判を聞いて、その結果を公表して、支えられる相思社とその意義を明らかにしたい。
甘夏事件以前の相思社は、経済的自立をもって自立と考えていたが、相思社は水俣病に心を寄せる人々の支えによって存在し続けることに意義があり、その心に答えるべく芯の通った活動を提示することを求められている。

[機関誌編集]
5月70号(特集:水俣というマチ。江口市長インタビュー、アクトB見学記、ワクワクするマチ水俣)、7月71号(特集:リアスの山河。川漁師吉村勝徳のインタビュー、横浦島の海漁師松崎信義インタビュー)、9月72号(特集:進化した水俣案内。子供たちから来た手紙、大学生の調査等の感想文、教員の思いなど)、11月73号(特集:ヨハネスブルグサミット)、2月74号(特集:ほっとはうす)、3月75号(特集:相思社のお・仕・事)を発行した。計画では75号は、反植民地主義・反帝国主義の延長ではないグロ-バリズム批判を予定していたが準備不足と、相思社の活動からそこまでは批判しきれなかった。しかし3月にUSAによるイラク侵略があり、グローバリズムの本性を曝露した。とりあえず表紙に反戦を訴えた。
最近相思社職員の書き手が減ってきているので、多くの職員にテーマを定めて自分の仕事を表現できるように働きかけていきたい。また印刷所を福岡のゼンリンPXから水俣の旭印刷に変更した。最大の理由は印刷費の軽減であるが、ほかにも原稿締め切りから印刷までの上がりを早くすることができる。また従来編集レイアウトを東京の市川事務所にお願いしてきたが、ここ1年間は遠藤が編集・レイアウトを行い、書き手のための時間を確保してみたい。
年間を通じて「ごんずいに患者の姿が見えない」と、おしかりを受けた。また75号で相思社の仕事を特集したのは、相思社の目指すところが分かり難いとの批判を受けたものであった。ただ分かり難いのは、「何をしているのか」ばかりでなく、「何を目指しているのか」が本質的な問題としてある。2004年には相思社設立30周年を迎えることもあり、相思社の目指すところを明瞭な形で提示できるような活動を添加したい。ごんずいはそれを表現する場でありたい。

〈ホームページ〉
1 閲覧件数
2002年度の年間閲覧数は43,471件、日平均119件。2001年度と比較すると13,000件減少している。ホームページを掲載し始めて初めて減少した。原因は小学生・小学校からの閲覧数が減ったためと思われる。小学校の指導要領の改訂により昨年度までは11月が閲覧件数のピークだったが、今年度は2月がピークとなっている。2001年の10~12月の合計閲覧数は約32,000件、2003年1月~3月の合計閲覧数は約18,700件であり、約13,300件の減少となっている。この期間は7~8割は小学校、小学生の閲覧と考えられる。小学校・小学生の閲覧件数の減少がそのまま総閲覧数の減少につながっていると思われる。減少した理由は小学5年生の副読本から相思社のホームページアドレスが削除されたためではないかと推測される。
2 掲載内容
相思社の活動を身近に感じてもらう試みとして、2002年度末に「職員のページ」を新設した。しかし、いまだ全職員のページがそろっておらず、技術的な面も含めて課題を残している。
ヨハネスブルグ・サミット参加を契機に英文ページを大幅に増加させ、「英文ページもあります」と言える程度のものにはなった。また、閲覧件数の多い小学生向けに「水俣病入門」のページも充実させた。
2003年度は「読者のページ」や「大学生向けのページ」の新設を予定している。
3 その他
ホームページを見てメールで書籍やビデオの注文をする人が増えてきている。2002年度に予定されていた国水研による「資料データベース」公開は2003年度にずれ込んだ。国水研に頼らず、相思社独自のデータベース公開を検討すべきだろう。また、ホームページ閲覧(主に資料)の有料化も今後の課題である。

[ネットワーク・ボランティア]
2002年度は、大学生が水俣を様々な切り口で調査研究するために、相思社をベースに水俣を訪れた。1泊2日の学生もいるが、長い学生は1週間程度泊まり込んで、自分のテーマに沿って人に会いにいったり、現地を見て回っている。その際に職員がアドバイスしたり、相手につなぐ役割を果たしてきた。特に東京農大の学生と中京大学のグループは、水俣に移り住んでNGO活動をしている人間のあり方を研究対象として、継続的にヒアリング調査を行っている。
夏にはアジア太平洋大学の倉田のえさんが、相思社の活動を体験するインターンシップとして1週間滞在した。ちょうどヨハネスブルグサミットへの参加準備の時期でもあり、英語が得意な彼女に関連した作業を行ってもらった。
下半期は取り立てて言及する活動はなかったが、東京農大佐々木君からは「相思社が学生たちの調査を受け入れる理由」について原稿依頼意があったり、九州大学の裏ゼミの水俣調査につきあった。
この分野は新しい考え方によるものであったが、ボランティアについてははかばかしい進展はなかった。ボランティアについてはさらに、相思社自身が仕事を整理して、誰にでも手を貸してもらえる仕事の組み立てをする必要がある。

[職員研修]
毎月2時間ほど時間をとり、ドキュメンタリーテレビ番組等のビデオを見て、感想を述べ合う研修会を続けている。この研修会では臨時職員にも同席してもらい、水俣病を個人的に勉強しようとする動きも出てきているように、手間をかけず、水俣病事件への理解と関心を喚起し、日常業務を行うにあたってのバックボーンを形作る貴重な役割を果たすことができつつある。
9月には、水俣在宅ケア研究会の永野ユミさんを講師に招き、福祉と水俣病というテーマで学んだ。
各自がテーマを定めて報告書を作成する自己研修は、当初1月末を締め切りとしていたが、年度末に差し掛かり他の業務に圧迫されて締め切りを延期したまま終了に至っていない。締め切りの時期は適切に設定する必要がある。
研修の必要性としては、まち案内をするにあたっての最低限の統一性の確保(相思社としての主張や見方など)や前提となる見識の習得(八幡プールについてなど)、体験学習の体系化された手法の学習なども挙げられている。また、職務評価を導入する組織改革の観点からも、今後はさらに、研修は非常に重要なものとして位置付けられることになるであろう。

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