2001年度 理事会報告

1989年の「甘夏問題」を契機に再出発してから11年あまりの時間が経過し、その間に水俣病問題をめぐる状況も大きく変化した。特に、1995年には未認定患者の「救済問題」が一応の決着を見たことは相思社にとっても大きな出来事だった。相思社の活動の軸は患者運動支援から徐々に水俣病を伝える活動にシフトしてきた。しかし、状況の変化に対応し切れていたとは言えず混乱も生じていた。これまでの活動を点検し直し、状況の変化を踏まえ、今後の活動の軸を再構築する必要があった。昨年度「今後の相思社を考える検討委員会」を発足させ検討を重ねていただき、今理事会に「転換期を迎えた相思社の活動のあり方」(今後の相思社を考える検討委員会答申)が提出された。今後はこの答申を軸にして活動を再構築していくことになる。
2000年度活動報告&収支報告:活動面においてはほぼ計画通りに実施できたが、維持会費の減少やミカンの不作などにより収入が予算を大幅に下回った。そのため予定していた特定預金支出を取りやめるなどした。
2001年度活動計画&収支予算:検討委員会の答申を一部先取りして、運営委員会を設置するなど組織の変更を行う。患者とのつきあいを重視し、聞き取りなども随時行うと同時に小冊子を作成する。湯の児の森に作業小屋をつくり、今後の活動の足がかりにする。活動範囲を水俣市だけではなく不知火海沿岸に広げ、調査を開始する。資料収集整理だけでなく、データベースの公開、卒論支援など資料活用にも力を注いでいく。
検討委員会答申:(活動面について)今後は患者運動支援だけでなく患者の生活に入ること、地域との活動を主体的に作り出す必要があり、次の3つを活動の柱とする。(1)患者とのつきあいの深化・拡大、(2)水俣病事件を伝える活動の拡充、(3)地域との主体的な関係の構築。(活動を支える組織体制について)職員だけですべての活動の実施は困難であり、ボランティアを組織する体制を作り出す。(財政基盤の確立について)維持会費・寄付と事業収入を財政の2本柱とする。寄付や維持会費で運営できるようになるのが理想であり、事業収入は安全弁と考えるべき。

1974年に相思社が設立されてから27年が経過した。設立に関わった患者のうちこの世を去った人も多い。初期の職員はすべて退職し、設立当時の苦労を知る職員はいない。今あるのは集会棟とそこに祀られている100体余のお位牌、考証館と10万点以上ある水俣病関連資料、それに水俣病センター相思社の名前。
水俣病事件や相思社に寄せられる熱い想いと支援が8名の職員と理事を鼓舞し、活動の原動力となっています。これからも事ある毎に相思社をしかり、また支援していただきたいと思います。

(弘津敏男)

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