2003年度 活動計画

【はじめに】
2004年に相思社は設立30周年を迎える。30周年は一つの節目にしか過ぎない。しかし、今相思社は大きな岐路に立たされている。そのような中で、昨 年11月、富樫理事長体制となり、患者ではない初めての理事長の誕生となった。2003年度からはアドバイザー委員会も発足し、スタッフ&パート体制もス タートする。
設立以来29年の間に相思社は何度か大きな節目を経験してきた。設立当時は無からの出発であったと言って良いだろう。「何をなすべきか」は定まってはお らず、職員自らが見い出していくしかなかった。設立から3年目に大きな節目が訪れた。寄付金の急激な減少から「経済自立」を目指すこととなり、一方では未 認定患者運動の事務局も引き受けることになった。このことにより財政と活動の方向性が定まった。それから10年後、職員の努力により財政はようやく安定 し、未認定患者運動は相思社活動の金看板となった。一方では生活学校や考証館を併設するなど、まさしく「水俣病センター」として機能し、全国的にも注目さ れる存在となった。
しかし、そこに落とし穴があった。相思社の自立は職員の努力によるものであったが、いつしか「職員による、職員のための相思社」となり、最高決定機関で ある理事会は形骸化していった。そのような中で、1988年「原因裁定」と「チッソ交渉」の運動が開始された。しかし、原因裁定不受理、204日に及ぶ座 り込みの失敗により、相思社と患者運動は致命的な痛手を被った。そこに追い打ちを掛けるように「甘夏事件」を引き起こし、相思社は財政の柱の甘夏を失い、 看板活動の未認定患者運動は人々の支持を失い、存亡の危機に立たされた。相思社の建て直しが急務となり、検討委員会が設置され、1989年答申が示され た。それ以降、相思社は「水俣病を伝える」ことを活動の柱に据え、多くの人々に支えられる相思社を目指すこととなった。
一方、相思社を取り巻く状況は大きく変化しつつあった。1990年に水俣湾埋立地が完成し、熊本県・水俣市による環境創造みなまた推進事業がスタートし た。相思社は、行政からの働きかけに対し、一定の距離を保ちつつ、水俣市民に対する水俣病理解のための取り組みや水俣病患者が胸を張って生きていける地域 づくり施策に関わっていった。水俣病を理解するための市民講座や集会等への協力の他、相思社の呼びかけで市立水俣病資料館との共同展の開催や『水俣病10 の知識』パンフの発行がおこなわれた。また、このような活動の中で、相思社の職員が水俣の未来を考える人々と出会い、信頼関係を築いていったことは、現在 の活動にもつながる大きな財産となった。
また90年代後半から相思社は、水俣病事件を被害と加害という運動の視点からだけでなく、水俣という地域に元々ある自然と暮らしにまで分け入って水俣病 を理解する、暮らしの中の水俣病という視点を地元学との関わりの中で打ち出した。水俣病が壊してしまったという生活とは、関係とはいったい何だったのか、 そこからどのような再生が考えられるのかという、水俣病の経験を生活者の視点で捉えるものである。
この時期、水俣において住民が水俣病に向き合うという取り組みおよび水俣への新たな窓口を開くことに関しての相思社の役割は小さくはなかったといえる。
しかし、考証館活動を柱とした相思社の財政基盤は脆弱という他なく、推進事業が行われた約10年間に、財政的には行政からの委託事業に頼ることになり、行政との協働のあり方の検証が求められることになった。
甘夏事件以後の職員の変動で、現在、甘夏事件以前からの職員は3名だけとなった。新しい職員を採用し、職員の顔ぶれは新しくなったが、相思社が目指すものについての共有化とその実現のための具体的な活動方針を打ち出すことができなかった。
財政の長期低落、活動の停滞を打ち破るべく、2000年に再度検討委員会を設置し、2001年答申が示された。「患者とのつき合い」、「水俣病を伝える 活動」、「水俣病の教訓を活かしたまちづくり」が3本の柱として示された。再び、試行錯誤の活動が始まった。大きな方向性は定められたものの、財政状況に ついて具体的な改善策を持ち得なかったため、目先の仕事に追われるという状況をなかなか変えることができなかった。
甘夏事件以降の10年あまりの間に何度も職員体制の改革を試みたが、残念ながら有効に機能する体制とはならなかった。失敗を繰り返し続けてきたといってよいだろう。その最たるものがヨハネスブルグサミット参加による混乱であった。
今年度からスタッフ&パートの体制がスタートする。今回の体制変更は「理事会の主導による」体制改革という点にある。理事も職員も今までとの違いを充分に認識しておかなければ改革は必ずや失敗する。相思社は瀬戸際に立たされていると言って良いだろう。
こういった中で相思社は30周年を迎えようとしている。相思社が脱皮し、21世紀に存在を確立できるかどうかは、理事、職員そして相思社に心を寄せてい ただく方々と目指す方向を共有していくことができるかどうかにかかっている。30周年は通過点にしか過ぎないが、単なる通過点にしてはならない。理事、職 員、そして維持会員を初めとする相思社に心を寄せていただいている人々が一体となり、新しい相思社を作るための出発点としなければならない。
相思社は生まれながらにして、自らの手で道を切り開いていかなければならない存在である。決して「これでよい」と立ち止まれない存在なのだ。
また2006年には水俣病公式確認から50年を向かえるが、もやい直しからもやい創りとして関係者を巻き込んだ事業を提案していきたい。

(職務分担図の変更について)
2002年度と大きな変化はないが、事業部を水俣病事業と支援事業の二つに分けたい。そして、すべてのスタッフが水俣病事業、支援事業、総務部に少なくとも一つ以上の職務を持つようにしたい。そのことによって「相思社の運営全体に責任を持つスタッフ」の意識を高めたい。

〈アドバイザー委員会〉
アドバイザ委員会は、水俣在住者5名、熊本県内在住者4名、東京在住者1名の合計10名で構成されている。評議会立ち上げの準備としてばかりでなく、多角的に相思社活動を点検し提言してもらう機関としても期待している。
初年度は全員が集まる会議は年間3回程度として、それ以外に会議の議題で継続になった課題については意見交換の仕組みを作りたい。全員が忙しい人たちな ので、会議に全員が集まることは難しいこともあり、文書やメールでの意見交換がスムーズに進展することが求められると考えている。

〈運営委員会・職員会議・スタッフ会議〉
2003年度からスタッフ&パート体制をスタートさせる。スタッフは相思社運営全体に責任を持つものであり、パートは担当部署においてはスタッフと同等の責任を持つことになる。2002年度までの運営委員、正規職員、臨時職員の体制とは責任範囲において大きく異なる。
従来の運営委員会、正規職員のみの職員会議、全職員参加の朝ミーティングといった会議のあり方も変えるべきである。
しかし、2003年度においては移行期間として会議の持ち方は従来の体制を継続し、運営委員会、スタッフ会議、全職員参加のミーティングといった形で出 発し、可能になった時点で従来の運営委員会を廃止し、スタッフ会議と全職員参加の職員連絡会議に移行していきたい。そのためには職員研修を重ねていくこと が必要であろう。

【事業部】
[水俣病事業]
〔水俣病を伝える〕

「水俣病を伝える」ことは相思社活動の中心をなす。しかし、どのような方向で、誰に、どのような方法で伝えるのかについて明確な方針が定まっていない。 個々のスタッフそれぞれが自分の思う方向で活動を作り上げているに過ぎない。2001年答申の内実化が問われている。ともすれば伝える手法の環境学習やグ リーンツーリズムが浮かび上がって、多くの人に相思社活動に対する誤解を与えている。来年の30周年という節目にむかって、相思社の「水俣病を伝える」活 動を明瞭な形で示せるように、この事業の活動を集中していきたい。

〈考証館〉
・考証館当番の位置づけの再考
考証館は一般の来訪者にとって相思社の入り口である。他の仕事の片手間にやっているという感じが滲み出ると感じが悪い。来館は来訪者の思いを引き出し、 維持会員になってもらったり購読会員になってもらうチャンスである。「ご覧になって質問などございましたら、お答え致します」「来館記念に葉書はいかがで すか」「どんな本をお探しですか」「相思社ではこういうことやっていますよ。こんなことできますよ」とこれからも繋がっていけるなと感じたら考証館のみな らず、事務所や資料室を見てもらうようにしたい。
考証館当番を以前のようにスタッフが常駐する体制として、来客対応の質を向上していく。新規維持会員や考証館売り上げの増加に努めたい。
・考証館で意見交換会
開館15年来、考証館は少しずつ展示物の配置換え更新をしてきた。その結果、全体の流れがわかりにくくなっている。1つ1つの展示は良いにしても、考証 館に入ってから出るまでのストーリーが見えにくい。特に、水俣・水俣病のことをあまり知らない人にはわかりにくい部分も増えている。何のために考証館に来 てもらうのか。考証館が、相思社が伝えたいことは何か、原点にかえって考える必要がある。考証館の基本構想を練り直すと共に、今までの展示で省くところ、 新しく足すところ、洗い直しするところを検討し、見直したい。そのために考証館で意見交換会を開いて考えてみたい。
・パネルを活かす
ここ数年パネルの貸出件数はゼロではないものの、そのほとんどが「考証館簡易パネル」の貸し出しである。「考証館パネル+ユージンスミス作品+鬼塚巌作 品」と「写真展『水俣』W・ユージンスミス&アイリーン・M・スミス作品」は、ほとんどお蔵入り状態である。眠っているパネルの活用を考えたい。例えば、 ユージンのパネルなどを分析室をきれいにして展示したり、将来的に分析室も特別展示に使いたい。見学者が入場料金に比べて、「十分もとをとった」「もっと 見たい」という感じになる考証館にするための工夫が必要である。また、倉庫に眠っている開館当時に作られたパネルは、考証館で使えるものは使い、風景写真 などは集会棟や宿泊棟に飾ることを検討したい。パネルを収納しているパネル倉庫の掃除を03年度上半期に実施したい。
・暗室をビデオ視聴室に
03年度は暗室をビデオ視聴室にする。ビデオ視聴もビデオを買うためではなく、何本も見たい人もいる。そういう場合は1本100円くらいで見てもらっても良いかと思う。何本も長く見る場合を考慮し有料化を検討したい。
・もっと閲覧コーナーを
「ごんずい」をはじめ、ガラスケースの資料など閲覧すべき資料は多い。今後は販売する「水俣」「告発」をファイルにして置いたり、展示物として聞き取り本を拡大してラミネート加工し考証館に置くなど、もっと閲覧スペースを作り出す必要がある。
・シロアリ被害で崩壊が危ぶまれている小展示室の壁や天井について、最小限のリフォームを行い危険がないようにしたい。

〈相思社30周年〉
2004年に相思社は設立30周年の節目を迎える。2001年検討委員会答申に基づき相思社は新たな道を模索し続けている。設立30周年は新しい相思社が目指す方向を内外に明確に示す契機となるものとしたい。

{出版}
30年の相思社活動の集大成としての記念誌ではなく、あくまでも相思社の目指すものを明らかにして、同時にそうした活動を共有化していくきっかけとなる 出版としたい。とくに本文の編集については、相思社職員ではなくある程度専門的な知識を持った編集者に関わってもらえる体制をとりたい。費用は出版助成を 探すと共に、30周年の出版事業での目的カンパを募って作成費用にあてたい。
○書籍目次
・水俣病は何を問うたのか&水俣病事件の意味&水俣病を財産とする&相思社とは何なのか
水俣病関係者数人による座談会と論考
・維持会員、アドバイザー委員、理事、職員の思うところ
資料
・相思社の30年の歩み(トヨタ財団報告と89年以降の活動のあらまし。エポックのみでもよい、甘夏販売、未認定患者運動、労働党問題、実践学校-生活学 校、甘夏事件-検討委員会答申、環境創造みなまた推進事業、1995政府解決策、2001年答申、ヨハネスブルグ総括等々)
・相思社設立の構想と関わった人々の思い(これは機関誌『告発』『水俣』からの転載でもよい)
・水俣病年表

{楽しむイベント}
設立から30年を迎えた相思社の新たなスタートを、水俣の人々、相思社を支えている人々、これまでの関係者等と共に祝うイベントを行う。職員と様々な参 加者が相互に交流し、楽しい雰囲気の中でこれからの相思社を共に担う気持ちを持つ場としたい。 内容については、水俣ならではの食材によるパーティー、コ ンサート、フィールドツアーを検討する。
会場としては、相思社の今後のフィールドとして現在整備中の湯の児台地を見てもらうこともあり、湯の児台地も候補地のひとつにする。

{まじめなイベント}
相思社が事件史上のいくつかの時代画期を経て30年継続してきたことを記念し、現在という時点において、地域に根ざしながらも社会全体への視点を持っ て、水俣病事件が私たちに問いかけていることを改めて問うシンポジウムを開催する。一つのテーマとしては、相思社の「もうひとつのこの世」構想があるであ ろう。当初それが掲げられた設立当時と現在とで、「もうひとつのこの世」の意味するところは変わっていないのであろうか、変わったのならどのように変わっ たのであろうか。このイベント自体が、水俣病の経験に基づいて未来を創造する流れを生み出すことを目指すとともに、そうした相思社の今後の活動方針を理解 してもらうことによって新たな支持を集める。基本的な視線は未来へ向けていたいが、相思社に引きつけて考えるために、これまでの相思社の果たしてきた役割 を振り返る必要があり、そこから、これからの相思社の担うべき役割を構想する。
参加者としては、古くからの相思社の支持層である患者運動支援者から、近年ともに活動するようになった水俣の地域づくりに取り組む人たち、最近環境とい う共通テーマによってネットワークのできた人たちまでを対象とする。しかし、テーマを別個に分散させるわけではなく、あくまでもテーマは水俣病であり、そ れを核として共通の目指すところを持ち得ることを共感してもらい、それぞれを結びつける役割を相思社が担えるようになることを目指す。パネリストは、こう した広範な人たちに来てもらえるよう、それぞれの分野におりながら水俣病という視座によってそれらが結びつくことにすでに気付いている人の中からお願いす る。会場としては、市内の300人規模のホールを想定。

{ものづくり}
相思社30周年記念品として考証館で販売可能なオリジナルグッズをつくりたい。04年度初めから半ばには考証館で販売予定。形としては、①下敷き ②バ ンダナ ③エコバッグ のいずれかを今のところ考えている。単なる物ではなく、相思社としてのメッセージが込められた物にしたい。まず商品企画から、製作 費用、製作時間、製作部数、販売価格などを具体的に計画する。全くの自費でやるか、いくらかスポンサーを募ってやるのかも検討しなくてはいけない。03年 上半期中に企画書を出し、具体的な作業に取りかかりたい。

〈ホームページ〉
昨年までは「機関誌編集」の一部に位置付けられていたが、これは初期のころ、ホームページの中心が「ごんずい」のダイジェスト掲載だったからであるが、 今では内容も充実し、「ごんずい」ととともに「水俣病を伝える」メディアとして機能するようになっている。今後はホームページを独立して職務として位置付 けたい。
1997年11月にホームページを開設して以来閲覧総数は15万回を越えている。徐々に内容も充実させてきているが、閲覧者に小学生と大学生が多いこと もあり、今年度は「水俣病入門」のページの充実、「学生向けのページ」の開設を目指したい。相思社の「今の動き」を伝える「相思社日誌」といったページも 新設したい。また、新しく開設した「職員のページ」と「読者のページ」の充実も図りたい。
ホームページの容量もほぼ満杯となり今年度は容量を増やすか、新たなプロバイダーとの契約、あるいは独自のサーバーを持つことも検討していきたい。

〈出版〉
昨年からの継続としては、①環不知火海調査報告書作成、②不知火海の食卓、③患者聞き取り本「豊饒の浜辺から」第3集がある。特に②については作成のコ ンセプトを明らかにして、協働作業とする段階となっているように考える。目次の洗い出しを行って、各職員間での情報交換がスムーズに進展するように計らう ことが必要だ。①については資料はそろっている状態なので、できる限り上半期に作成するようにしたい。③についてはごんずいの記事とも連動させて、早い時 期から聞き取りを行うことにしたい。聞き取りの視点としては、水俣病の被害実態を暮らしの視点から聞き取る。不知火海の自然と暮らしのありようと、水俣病 の出会いを際だたせることで、水俣病の現実とは何であったのかを伝えていく。基本的には10人程度からの聞き取りで、120ページ程度のボリュームとす る。第3集の発売は2004年度となる。本年度は第2集の販売を行う。
また教材作成部門とも重なっているが、「水俣病事件資料」作成は水俣案内の資料としても、また思ったところに行ける簡単な地図を添付することで水俣を訪問した人の便利を計りたい。

{不知火海の食卓(仮題)}
02年度は素材を集めること(エピソード・写真)に終始した。03年度は具体的にカタチにしていきたい。この本を作る目的は、読者に、”水俣病だけでは 水俣(地域)は見えないし、水俣病抜きでも水俣(地域)は見えない”そんな水俣に肩肘張らずに触れてもらい、関心を持ってもらうことである。そうすること で水俣への入り口が広がるのではないかと考える。
相思社職員が環不知火海の地元の人・水俣病患者でもある地元の人・風の人に聞いた、あるいは自ら体験した「忘れられないあの食卓(思い出の)」や「ふら りと出会った旬の食べ物」を、写真・イラスト・食べ物の作り方、食べ方・エッセイで綴る本を作成したい。「食卓」とは主に家庭料理を指す。水俣・環不知火 海で生きる人々の喜怒哀楽、そして素材そのものが活き活きとしている「食卓」を記録し伝えたい。構成は野菜・肉・魚というふうに項目を分けるのではなく、 四季ごとにする。『ごんずい』に掲載した「食」関連の記事を使うことも考えられる。対象は水俣に関心がある人、暮らしから水俣をみてみたい人、食べ物が好 きな人。手頃な値段で、気軽に読め、水俣に行ってみたくなる、台所に立ちたくなる、そんな本にしたい。素材集めは常時頭に置いておく。03年度6月には目 次と見本ページを職員に提示、04年度初めが出版目標。費用の点からは、媒体は書籍形式ばかりでなく、CDロムなどの電子媒体も考えてみたい。

{教材作成}
小学生にわかりやすく伝える教材が十分にないので、相思社で既に作っている「絵で見る水俣病」(書籍)・「水俣病の質問箱」(ホームページ掲載)・水 俣環境学習の手引き(パンフレット)などをもとに、オリジナル教材を作成し販売したい。水俣病歴史考証館に教材コーナーを設け、「水俣授業セット」として 売り出せる状態にしたい。また、水俣病関連スポットを一人でも巡ることができるようなガイドやマップなども作りたい。

〈大学生(卒論・ゼミ)〉
募集はホームページやごんずいを通じて行う。今年度中の早い時期にホームページに「学生向けのページ」を開設したい。また、予定よりずいぶんと遅れたが近々資料データベースが公開される予定であり、卒論等で相思社所蔵資料を使う学生も増えていくのではないかと思われる。

〈出張講演〉
要請があれば受けている。ホームページで宣伝するつもりだが、実際には口コミで依頼が来ることが多く、一つ一つのつながりを大切にすることで要請が増え てくると思われる。講演を聴いて維持会員になる人も多く、講演そのものには十分な謝礼がなくても、相思社の持ち出しにならなければ受けていきたい。

〈環境教育事業〉
2002年度の「水俣病を伝える」部門のうち、環境学習、教育旅行、案内、グリーンツーリズムの4分野を環境教育事業に統合する。水俣病を伝えるため に、4分野が協働してプログラム開発・企画・広報・料金体系・受け入れ態勢等を整備し、対外的にわかりやすく魅力のある相思社の事業としていくことを目指 す。

{環境学習}
熊本県(教育委員会)に対して、考証館も見学コースに加えることと、エコセミナーのシステム改善を要求する。単なるまち案内とは別に、自由設定コースに ついては、地域のネットワークを活かし、水俣だからできること、こんなこともできる「体験型環境学習」のプログラムも事業として、取り組んでいきたい。そ のためには、地域を知り、人とふれあい学ぶなどの研修が必要である。
水俣の中で様々なことに取り組んでいる人・団体との連携はある程度できているが、水俣の高校生や若い人たちなど、相思社が回路を持っていない分野も多 い。水俣の高校生に対して水俣の人と自然を知るプログラムなどの働きかけができないだろうか。よそから来る高校生が水俣のことをよく知り、人とも出会うの に対して、水俣に住みながら、自分の住んでいる土地を知らないアンバランスを解消したい。これは水俣病を伝えることと共に、ネットワークボランティアな ど、相思社と若い世代のつながりを作ることにもなるだろう。

{教育旅行}
ここ数年水俣では、教育旅行で水俣を訪れる高校が増えている。相思社がコーディネート・案内を行う高校は年間数校程度だが、水俣滞在時のコースを全くお 任せの学校から細かくメニューや話を聞く相手を指定してくる学校まで様々である。しかし有料の水俣案内は長く続けてきたが、トータルとしてどのような水俣 病と水俣を知ってもらうのかという、いわば相思社のコンセプトを明示してこなかった。これについては相思社全体の活動と関連するが、「水俣病を伝える」活 動をわかりやすく提示することが求められている。
90年頃の水俣案内では、水俣病関連スポット巡りと水俣病事件史からの説明が中心だった。ここ数年の案内は水俣病関連スポットばかりでなく、水俣市の環 境への取り組み視察やエコ産業の視察が新しく加わった。また水俣病関連スポットにしても、そこで一方的に説明するばかりでなく、体験できるような手法が求 められるようになった。また細かく指定してくる学校からは、行動中の安全確保についての相思社のスタンスが問われるようになった。
従来は案内の受託はこちらからコース見積書を送る程度で確認してきたが、案内期間中の責任問題や料金支払い等でトラブルが発生した場合、現状では相思社 の立場が危うくなる可能性が増えている。この問題については、受託時に契約書を取り交わすことで対応していくことが望ましい。よって本年度は案内受託の契 約書を作成すること。同時に案内する側としての責任を果たすために、職員ばかりでなく現場で手伝ってくれる人々も保険をかけようと検討している。
エコ水俣は基本的には水俣の観光が主テーマとなっているが、やはり水俣地域の最大の財産は「水俣病を経験した地」であることから、観光にも環境や水俣病 をくっつけていくことが新しい視点になっているように見える。このあたりでMKPの吉永氏が悪戦苦闘しているが、相思社としては教育旅行でどのように「水 俣病を伝えていく」のかを明らかにすることで、水俣における環境の産業化と考えている。

{案内}
この部門では、水俣案内を実際に行うにあたっての実務的課題や問題点を整理・改善する役割を担う。
最近直面した課題としては、相思社を単なる観光ガイド業者としか考えていないような来訪者とのトラブルがあり、依頼を受けた時点で前提となる考え方の確 認(契約書の作成も含めて検討)が必要である。野外活動における外部講師の損害賠償責任保険も課題となっている。また、相思社のこの部門と同様の事業を 行っている水俣教育旅行プランニングとの間で、料金体系や受け入れ窓口等について整合性を検討する必要にも迫られている。
こうした課題は実は単なる実務上の問題ではなく、教育旅行の項でも触れたように、相思社が考えている水俣案内の基本理念と物語を明らかにする必要があ る。個々のメニューの是非は、全体性に照らし合わせて初めて意義をもつものであり、個々のメニューに相思社も依頼者も目を奪われないようしなければならな い。全ての事業が「水俣病を伝える」という一点を巡って組み立てられる状況となっており、そのための作業が急がれる必要がある。
また、次のような営業的問題がある。熊本県の施策として県下小学校の水俣見学が義務づけられるようになったが、その具体的仕組みにおいて、基本コースの 中に考証館が組み込まれておらず、資料館・環境センター・情報センターを訪問することが義務と受けとられることによって、相思社にとっては不利益が発生し ている。この仕組みはまた、交通費の半額援助を、1年では県下小学校全体の3分の1に対して行い、3年で一巡するようになっている。しかし、積極的に水俣 病学習に取り組んできた学校(教員の取り組み)に対してはブレーキとなっているようである。一つは熊本県教育委員会にこの仕組みの見直しを要望しながら、 小学校に対しては相思社がどのような水俣病学習や体験学習ができるのか営業していく必要がある。
その他に、案内プログラムの充実、学校への営業、案内ツールの開発等もこの部門の担当であるが、他の部門との共通課題でもあり、協力し合いながら取り組んでいく。

{グリーンツーリズム}
水俣のグリーンツーリズムは、水俣病の経験を日常の暮らしに根づかせている人、自然と共にある暮らしを創っている人、もやいあう地域を目指している人た ちの取り組みと、水と生命が巡る自然に出会うことがである。これまで相思社が築いてきた関係とノウハウによるコーディネートが、来訪者と水俣のよりよい出 会いを生んできた。
しかし、グリーンツーリズムは人との出会いが大きな要因であるが故に、地元の受け入れ先が少数である場合、グリーンツーリズムに力を入れることによって その少数の人たちの負担を増やすことにもなってきた。天野家や杉本家などこれまでの関係に加え、カヌー夢クラブや水俣カヤックス、無酸処理で海苔養殖をお こなう出水の生産者との関係を作りつつあるが、グリーンツーリズムも環不知火海という視点で、広く受け入れの関係を作っていく必要がある。そのためには、 環境教育事業の他の分野との協働、地域調査や聞き取り調査との連携、湯の児台地の活用を進めていく。
2003年度は、環境教育事業の広報の中で、相思社に頼むと何ができるのかがはっきりわかるようにしていく。また、来訪者受け入れの技術向上のための職員研修を企画したい。

〔資料収集整備活用〕
相思社には約10万点の一般資料とほぼ同数の新聞記事資料、400点の映像資料、1300点の音声資料、3万点以上の写真資料がある。1997年から本 格的に一般資料のデータベース化を開始したが、今までに5万点弱が入力されており、相思社の活動にはなくてはならないものになっている。初期の頃からデー タベースの公開を模索していたが、ようやく2003年度の早い時期に国立水俣病総合研究センターから公開していく予定である。データベースが公開されれば 相思社所蔵資料は徐々に活用されていくものと思われる。特に大学生などからのアクセスが増えることが期待される。
昨年度は国水研との契約が遅れ、相思社の年度計画の収入が確保できなかったことから、今年度からは年度初めに契約書を作成して間違いが起こらないようにする。
現在資料整備事業は一般資料、新聞資料、年表作成の3つを中心に進めている。今年度からはそれらを統合し、企画・営業、管理・整理、整理・入力、資料提供といった縦割りの業務分担としたい。
中長期の課題としては、写真資料・現物資料の整理、音声資料のテキスト化などがある。

〈企画・営業〉
今年度は一般資料と新聞記事資料整備、年表作成を活動の柱におきたい。そのうち、一般資料、年表作成は国水研と早期に年間契約を結び、新聞資料は地球環境基金助成事業として行いたい。

〈管理・整理〉
今年度から担当を小里に変更したい。資料のファイル化だけでなく、資料室の整理も行い、「使いやすい資料室」を目指したい。また新規入手資料は使用頻度も高く、滞りなく整理・入力に努めたい。
資料入手は例年どおり実施したい。(①相思社の活動において入手した資料や送られてくる資料(主に紙資料)、②熊日・西日本・朝日・読売・毎日新聞の記事のうち水俣及び水俣病関係の記事、③水俣や水俣病に関するテレビやラジオの特集番組、④その他)

〈整理・入力〉
一般資料、新聞見出しの入力、記事取り込みに加え年表入力、ビデオ資料のDVD化、音声資料の整理も並行して行いたい。必要に応じてパート雇用も考えたい。

〈資料提供〉
データベースが公開されることもあり、資料提供の要請が増えることが予想される。2000年に「相思社所有資料使用規定(暫定版)」を作成したが、資料提供が増加してくれば、①基本の料金体系の見直し、②維持会員割引、③学生割引新設が必要になると思われる。
大阪人権博物館や水俣フォーラムへの新聞記事資料提供は継続していきたい。

[支援事業]
〔患者〕
〈患者〉

今年度も「患者とのつき合い」を重視していきたい。担当者だけでなく全スタッフができるかぎり患者のところへ出向いていって話をするようにしたい。連盟の会計を川部が担当する。
1、患者運動をめぐる状況
97年1月から始まった患者連合・被害者の会・平和会の三団体による共同行動は今年度も継続されるだろう。従来と同様、統一申入書を作成し、環境省と場合によっては熊本・鹿児島両県、関係市町などへの申し入れを行うことになるだろう。
平和会の石田会長が昨年脳卒中で倒れ、2003年4月から明水園に入園している。出水の井島氏が会長代理として会合などに出席しているが活動が低下することは否めない。
関西訴訟は支援者が中心となり「上告取り下げよう要望署名運動」を展開している。2002年2月に関西水俣友の会が発足した。一審で認容された患者への 返還命令の取り消しと水俣病を伝える活動に重点を置いている。相思社としては「支援」ではなく「患者とのつき合い」を大切にしていきたい。

2、活動計画
①患者連合・患者連盟の事務局として、総会・世話人会・三団体共同行動・役員会などの手配や参加。会費徴収、会計作業などの日常業務の遂行。
②患者からの相談事があればなるべく出向いて対応する。
③「もやい直し」活動や水俣病の教訓を伝える活動に協力する。
④「患者とのつき合い」を重視して患者と話し合える機会を多く作る。

〈聞き取り調査〉
聞き取り対象となる人をリスト化し、「聞き取り可能な人」のみならず「聞き取りすべき人」「聞き取りを急ぐ人」にスポットを当て、計画的に聞き取り作業 を進めたい。また、相思社には過去に録音した聞き取りテープが存在する。これらをテープ起こしする作業も計画的にやる必要がある。中長期の課題として計画 を立てたい。

〔調査研究〕
〈湯の児台地〉

吉井和久氏を講師として、水俣内外に呼びかけておこなう森づくりは継続しておこないたい。2003年度は間伐、遊歩道整備、山頂に展望台設置を企画する。
上記作業を進め、学校等の体験学習のニーズにこたえられるフィールドとしても整備する。
環不知火海200年計画を進めるため、相思社内に作業チームを設置する。
相思社の予算のほか、国土緑化推進機構やイオンの助成活用を検討する。

〈地域調査〉
今年度は、昨年からの課題となっている獅子島、もやいネットワークで行っている4区でのあるもの探し、夏の企画として水俣もしくは芦北あたりで聞き取り とあるもの探しを行いたい。全体を環不知火海調査として位置づけて、不知火海を自然と暮らしが行き交う小宇宙として再生することを展望したい。また球磨川 -川辺側のダム問題と、環不知火海調査を連動させて、どんな不知火海、どんな熊本にしたいのか意見交流を図って行く。そこでは不知火海周辺の人々が、それ なりに食べられる仕組み作りと、地域自治を実現することが重要なテーマとなるだろう。

〈助成事業〉
環境事業団に「水俣病関連新聞記事資料の収集と整理、データベース作成並びに情報発信」事業を申請し昨年同様200万円の助成が認められた。昨年と同規模の事業を行いたい。

〈三重県自治会館組合研修〉
7月から10月にかけて3~5回程度の、三重ふるさと学研修が予定されている。この事業はいわば出張講演の変形として位置づけられる。水俣の経験を他地 域に伝えることで、同時に水俣自身のやっていることの見直しとなり、また参加講師や三重県自治体職員とのネットワーク作りに役立っている。
ベースとなっているのは吉本哲郎氏の地元学であり、相思社が水俣地域で環不知火調査を行っていくことで、遠藤に替わる講師を養成できることにもなっていくであろう。相思社内部で、相互の経験を交流させることが問われている。

〈きずなの里〉
02年度分は2人の聞き取りを依頼されている。前回、前々回の提出が伸び伸びになってしまったが、このような状態が慣例化するのは非常に良くない。今年 度は遅くとも7月中には聞き取り文書を形成し提出したいと考えている。また、今まで聞き取ってきた文章を本にまとめること、きずなの里の展示パネルの更新 なども呼びかけていきたい。
また2003年度の契約についても、2002年度受託を早急に納品して、少なくともは上半期には結べるようにする。

〈ISO〉
相思社活動の中で異質の分野であり、具体的な貢献もできていないが、活動の多岐性を作り出し、環境が重視されるようになった社会に対する視点を持つ役割 において、継続したい。具体的活動としては、昨年と同様であるが、ISO規格にこだわらず、相思社における環境マネジメントシステムを形にする。

〈夏企画〉
緒方正人氏と「水俣病タブーを徹底的に語り合う」
水俣病事件がどんな事件だったのかについて、様々な人々が様々な切り口から闘い・運動し・調査し・考え・発言してきた。それでは水俣病事件は解明された のかというと、これまた様々な評価がある。「水俣病事件は全く解決されていない」という意見がある一方で、「水俣病は終わった」という意見があるが、どち らが真なのか確かめられてこなかった。
水俣病事件を巡る運動はその多くが被害補償を巡るものであったことから、お金について多くのタブーが生まれた。被害補償金の適切な額はどの程度なのか (一時訴訟患者と弁護団の対立)、受けとった補償金についての様々な見解(奇病御殿)、補償金欲しさのニセ患者がいる(熊本県議発言)、95年政府解決策 での団体加算金(被害者に届いたのか)等々。またお金ばかりでなくナイーブな立場の被害者がおり、チッソが犯した行為への評価が市民と患者で相違している ことがもたらした不調和、高度成長時代と現在の国民意識の相違等々。また水俣病事件史では輝かしい画期となった補償協定書の評価、旧認定患者と新認定患者 という意識等の患者間の不調和等々。
議論の収束地点としては、水俣病事件の意味を明らかにし、これ以降の世界をどのように展望するのかに置きたい。水俣病事件史の中で異色を放ってきた緒方正人氏を中心に、「水俣病タブーを徹底的に語り合う」機会を作る。

〈環境社会学会からの受託事業〉
環境社会学会が水俣で開催される。事務局代表の丸山定巳さんからエクスカージョン等の協力を依頼された。相思社としても相思社の視点からの水俣病を提示でき、また書籍販売等で実利もあることから引き受けた。
水俣でアクティブに活動している団体は、ほとんどエクスカージョンに関わっていることから、相思社独自の視点が要求されていると感じている。水俣病事件 史では94年に委託事業で作成した「水俣市の35年」(抜粋)をメインの資料として使う予定にしているが、これには1995年政府解決策に関する経緯と評 価がないので、その部分を新しく作成する必要がある。
期日:2003年6月27日(金)~29日(日)
場所:もやい館

〔地域活動〕
〈もやいネットワーク〉

すでに予定されている事業としては、4区寄ろ会との協働による4区あるもの探し(6月頃丸島地区、10月頃丸島・塩浜地区)がある。これは地域調査の環 不知火海調査と連動して行われる。国水研との協働で構想されている獅子島調査も、地域調査ともやいネットーワークにまたがった事業であろう。
ネットワークが継続されている、せっけん工場、火のまつり、水俣フォーラム、元気村女性会議、ごみ減量女性連絡会、水俣案内人協会、2001水俣ハイヤ 節、ほっとはうす、環境熊本ネットワーク、おれんじ館、もやい館、きずなの里等々、相思社として関わっていることと個人として参加していることが雑多に存 在するが、それぞれ関わるスタンスを明確にしていきたい。とくにほっとはうすや水俣フォーラムとは活動分野が重なることもあり、お互いに関係することで活 動分野の広がりができ、また協働事業が可能となっていくと考えられる。ネットワークはお互いに役に立つ関係作りが大切であり、相互協力として考えなければ ならない。
もやい館、おれんじ館、きずなの里は、1995年政府解決策を受けて設置された施設であるが、特に前2館は現在まで期待された活動が行われてこなかった。相思社としてどんな活動が協働できるのか、積極的に提案していくことが必要ではないだろうか。
また一時関係が希薄となっていた前理事緒方正人氏から、水俣病事件のシリアスなテーマで徹底的に議論をする場を持ちたいと持ちかけられている。相思社 30周年とも関係させて、水俣病事件のタブーとなってきたテーマについて討論の場を持って、水俣病の意味を明らかにしていくことをおこないたい。

韓国 ソロクト訪問企画 2003年8月7日~8月9日
韓国のハンセン病者に対して、植民地支配していた日本は1935年に日本本国と同様に隔離政策をとった。それ以来ソロクト島へ隔離されたままとなってい る。ハンセン病者に対しては日本では国家賠償を求める裁判があったが、韓国ではほとんど忘れ去られたような収容生活が続いている。まずはその事態を知るこ とから始めるということである。
また韓国の公害運動をしている団体とは以前に関係があったが、現在はほとんど韓国とのネットワークはなくなっている。多くの市民活動家たちが集まる機会に、韓国また日本の団体・個人との新しいネットワークを構築してゆく可能性を見いだしたい。
相思社としては、「水俣病10の知識」の韓国語版を作成して、水俣病の事実をまず伝えたい。水俣病を補償問題として考えるだけではなく、病気差別や国家犯罪の切り口から伝えることで、韓国のハンセン病についての取り組みに役立てることができる。

〔物販生産〕
蜜柑・林檎・お茶の販売は、少なくとも3~5年は継続して行う。昨年度は予算以上の収益があり、粗利設定が適切でかつ仕事の進行がスムーズに行われたの で、本年度も引き続きその体制を維持する。蜜柑については表年で豊作が予想されるので、なるべく多くの量を販売できるよう営業したい。林檎については販売 法について、生産者と協議が必要な段階となっている。
書籍・ビデオの販売額が減少傾向となっているが、一つには平日の考証館受付を職員がおこなうことで改善していきたい。またパートについても一定の説明が できるように、研修を継続的に行う必要がある。また書籍・ビデオ販売は、考証館ばかりでなく、集会やセミナーで出張販売することで販売量を伸ばすことも追 求したい。

〈みかん〉
今年は表年なので、温州みかん(40トン)、雑柑(20トン)程度の販売量を目指したい。6月中旬に北海道、旭川、仙台に売り込み出張に行く予定。雑柑 の販売量の減少している。その理由は、一つは景気の悪さで果物等の購入が減少していること。顧客からも昨年の規格では家族で食べ切れないなどの意見もあ り、温州・青島は5キロ規格と10㎏規格の二本立てとする。雑柑は基本的に5キロ規格の取り扱いする。それに伴い、仕入れ値と販売価格の改定もおこなう。 農薬使用については、せっけん工場の液体せっけん(マシン油と同じ効力)の使用を新たに認めることにした。

〈リンゴ〉
2003年度も4種類のりんごおよびりんごジュースを取り扱う。2002年度の取り扱いで、相思社への出荷基準や量について3軒の生産者で共有されていない問題が起こったので、リンゴ担当者と生産者との話し合いを予定している。
価格の改定は予定していないが、天候不順で品薄が予想されるときは、価格の変更もあり得る。

〈お茶〉
昨年通り、薄原の松本さんの水俣茶と球磨郡相良村の宮崎産の人吉茶、石飛の天野さんの無農薬紅茶・ほうじ茶を取り扱う。販売価格については、売上の割には利益が少ないので、今後様子を見ながら仕入れ価格と販売価格の見直しを検討する。

〈書籍〉
02年度のデータをもとに適正在庫数を出し、03年度も工夫したい。考証館で取り扱う物品の基準を定め、相思社ならではの物販にする。また、分析室・考 証館書庫・資料室にあった余分な資料を商品のかたちにし、03年度前期に考証館で販売したい。POPを付けたり手に取りやすい商品配置にする努力を続けて いく。

〈甘夏園〉
下草刈り、剪定については外部委託とする。約800㎏程度の収穫を見込んでいる。収穫は例年どおり職員全体作業とする。

【総務部】
〔庶務〕
〈一般庶務〉

庶務の仕事の目的は、相思社、考証館の運営を円滑に行えるようにすることであり、無駄な経費を削減することである。庶務を中心にさらなる努力を続け、改善すべきところはその都度みなおす。
2003年度は、老朽化した電話セットの買い換えを考えている。購入の際はOA機器の積み立てを取り崩してまかなう予定である。

〈名簿管理〉
これまで通り、新規登録、住所変更への対応、会費・購読料・寄付の入金処理、物販受注対応、年賀状入力、全名簿打ち出し等の日常作業を川部が行い、機関 誌・物販案内・法要等催し案内などの発送ラベル打ち出し、物販企画や伝票の変更への対応などのメンテナンス作業を神沢が行う。
また、単に作業ツールとしてだけ名簿を捉えるのではなく、相思社活動の根幹であるネットワークという視点から活用を考えたい。例えば、種々のお知らせをE-MAILでも行う。

〈名簿管理システム〉
名簿データベースのWINDOWS上への移植を実用化させる。それに伴い、これまで名簿データベースとは切り離されていたお茶販売・書籍販売も連動させ るなど、各担当と相談しながら事務作業全般の検討・整理も行う。会計との連動や各種伝票への対応の必要性から物販システム部分の構築が膨大であるので、物 販の時期が始まる前、つまり上半期中に形にしておく必要がある。

〔会計〕
引き続きパソコンを活用し、迅速・正確な会計作業に努める。名簿データベースのWINDOWS上への移植と連動して、会計もOA化を進め、月度ごとの収支把握もスムーズに行えるようにしたい。
ヨハネスブルグサミット参加事業の総括を踏まえ、支出基準の厳格な運用が必要である。また、この間、簡易課税制度の廃止や公益法人への課税制度の変更が取りざたされており、注視していく必要がある。

〔管理営繕〕
相思社施設内の掃除および寝具などの管理は、全職員で分担してやることにした。作業の時間を毎週月曜日と決め、担当者のみならず職員全員が「来訪者に気持ちよく利用してもらうこと」を心がけたい。担当者はその促進および全体の管理・営繕につとめたい。
食堂の二階の部屋を始め、整理整頓をし、空間を有効活用できるようにする。また、長期滞在者が利用しやすいように宿泊棟に置くガスコンロ1台、掃除機1台、寝具3組を購入予定にしている。

1.日常作業
①公共スペースの清潔度チエック・・・・・・・・・・管理担当者
②相思社施設内の掃除および寝具などの管理・・・・・全員作業
③相思社敷地(庭)、花壇の整備・・・・・・・・・・・・外注または管理担当者
④雨樋の掃除・排水溝の掃除・・・・・・・・・・・・・・外注または全員作業(5月)
⑤給水塔の掃除・・・・・・・・・・・・・・・・・・・外注(5月)
⑥その他の小さな補修・・・・・・・・・・・・・・・・・・外注または担当者

2.大きな外注作業
建物の老朽化部分は少しずつ改修していきたい。03年度は以下のことを外注する予定である。
①考証館のパソコンLANケーブルの工事
②集会棟の板の間張り替え
③集会棟の蛍光灯取り替え

〔寄付・維持会員〕
昨年度からの継続となっている維持会員制度の分析を行う。また暫時減少傾向を食い止めるために、考証館来館者や案内した人および様々な集いや様々な作業で出会った人々に維持会員への勧誘を行う。12月と3月の請求を早めに行って、年度内の入金を目指す。
維持会員の増加は、基本的に相思社活動への共感やネットワークでの相互利益に規定されているので、理事・職員が更に対外活動を強化する必要があるだろ う。宣伝活動についてはとくに部門を作っていないので、各部門での宣伝活動を意識的に組み立てて連動させることが問われている。つまり各部門の構造は、企 画・宣伝(事業の創造)と実務(必然化された作業)によって成り立っており、とくに前者の意識的強化が必要である。
とくに常務理事には相思社の宣伝塔となってもらいたい。今年は30周年事業とも重ねて、東京地区での維持会員の集いを開催したい。東京地区での企画については、水俣フォーラムとの協働が得られないと現実的には難しいと思われる。

〔機関誌編集部〕
機関誌ごんずいは相思社の宣伝媒体として重要である。本年度は創立30周年を意識しながら、相思社活動の整理と「相思社の目指すもの」を明らかにすることを主テーマに置いた。

◎2003年度の発行日と特集予定
・2003.5発行 76号(特集:あるもの探しは地域を開く)
・2003.7発行 77号(特集Ⅱ:相思社の姿 維持会員&アドバイザー委員)
・2003.9発行 78号(特集:水俣病を伝える 夢の考証館)
・2003.11発行 79号(特集:もやいネットワーク)
・2004.2発行 80号(特集Ⅲ:相思社30周年
・2004.3発行 81号(特集Ⅳ:相思社の目指すもの)

◎定番記事
・職員日記:相思社の日々の仕事を題材として、少しくだけた視点から紹介する。
・水俣トピックス:水俣周辺および水俣病関係のトピックスを、相思社からのまなざしで紹介するコーナー。
・水俣病関係者の聞き取り:直接患者からの聞き取りの場合もあれば、特集のなかでのインタビューなども含む。患者の姿が少しでも見えるようにする。

〔ネットワーク・ボランティア〕
まだまだ研究中の事業だが、様々な調査でのデータが処理されず溜まってきているし、また以前からの患者聞き取りのテープも多数ある。このようにある程度 誰でもできる作業が一方でありながら、他方でボランティア受け入れ体制が整っていないことで、日の目を見ない情報がある状態をすみやかに改善していきた い。
長期に相思社でのボランティアができるように、インターンシップを制度化して住居・食費の援助等を検討したい。その際にもボランティアの作業は机の前だ けはなく、夏企画の手伝いや案内・ツアーへの同行等も行って、相思社活動のおもしろさを分かってもらうチャンスとすることも、相思社ファンを作っていく上 で重要ではないかと考えている。またこのようなつながりから相思社スタッフへの道が開けるとも考えられる。

〔職員研修〕
甘夏事件以降、正規職員6名、臨時職員は短期の人も含めると9名雇用している。定着率が低く業務に支障をきたしている。今年度からスタッフ&パート体制をとることもあり、職員研修に力を入れたい。
①新任研修の充実、②水俣病関連のマチ巡り(水俣・芦北・御所浦)、③ビデオ研修会の継続、④読書会、⑤講習会などを毎月1~2回程度開催していきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です