水俣病事件が残したもの

今週は相談が多いです。わざわざ関西から来られたある患者の方、様々な症状を抱えておられて、”病気のデパートのようだなぁ”と思いながらお話を聞いていると、「体のことを、こんなに丹念に聞いてもらったのは初めてです」と突然涙ぐまれました。よくあることなのですが、その様子に長崎県の五島列島に住むカネミ油症患者の宿輪敏子さんを思い出しました。

原田正純さんの葬儀での宿輪さんの言葉は印象的でした。「原田先生に会うまで、私は医者が嫌いでした。ここが痛い、ここが苦しい、といくつもの症状を訴えると『あなたは一体何がしたいの』と冷たくあしらわれて、病気なのに医者に行くことが嫌いになりました。先生は全てを受け入れ、症状全てを聞いてくれました。」
宿輪さんと水俣病患者の方たちが重なったのを覚えています。原田先生のその姿勢はどれだけの患者の心を救ってきたでしょうか。
http://kotobank.jp/word/カネミ油症

先に上げた患者の方は、小さい頃から頭痛、めまい、耳鳴り、体の痛み、手先の感覚が鈍い、内臓器官が悪い、足が夜中に何度もつって眠れない、毎日午前中は両手がこわばって動かない、寝ても覚めても手足がしびれている、皮膚病、不眠に物忘れなどの症状があられます。たまになら、まだ耐えられるでしょうが、日々悩まされての50年以上。
どこの病院でも原因不明。たまに病名を付けられるけど、薬を飲んでも治らない。病院代や健康食品にいくら注ぎ込んだか分からない…

症状をうかがったあと、私からも病気の原因や水俣病事件の歴史についてお話をしました。

水俣病事件の歴史の中で、今現在に至るまで法律によって漁獲や摂取が規制されたことは一度もありません。
水銀は1932年~68年までの間、36年間にわたって流されました。公式確認の翌年である1957年、水俣湾を調査した熊本県は「湾内の魚が危険、食品衛生法の適用を」と厚生省へ訴えます。
しかし、当時の日本の高度経済成長を下支えしていたチッソを擁護した国は、「水俣湾内すべての魚が有毒化しているという明らかな根拠はないため、食品衛生法の適用は行わないものとする」との文書を返しています。以来、熊本県からは何らのアクションもありませんでしたし、国から水俣湾や不知火海に対して何らかの規制がされたこともありません。
1958年には熊本大学らの猫実験などによって水俣病の原因が特定されたときも、行政やチッソの御用学者が幾人もチッソ擁護の誤った情報を流し、原因究明を混乱させました。踊らされたというか、自ら踊ったというか、マスコミにも同じ事が言えます。

私は、この時期に危険だと知らされることなく魚を食べ続けた住民たちは、一人残らず水銀の影響を受けていると思っています。しかし現在まで住民調査など行われたことがありませんので、その全体像はいまも分からないままです。

相談に来られた方も、食べることや漁が規制されたり水銀が止まっていれば、水俣病にならず健康な体で生まれてきたはずの方。

その後、身体の話をしました。水銀は、他の毒とは違い、体の中に入ると栄養と同じように内臓器官から吸収されていきます。脳の神経細胞を壊し、妊娠している女性であれば、胎盤を通過し赤ちゃんの体に侵入します。そしてこの相談者のような症状を引き起こします。
しかしこの水銀、時間が経つと体から排出されます。壊された脳細胞や内臓器官だけが残り、血液検査やMRIなどの検査をしてもその原因を特定することは極めて難しいのです。

症状を持った方の中には、自分を責める方が多くおられます。
原因が分からないまま体調不良を持ち続け、家族の理解を得られず、怠け者などと言われるケースもままあります。
昨日今日来られた方の中にも、「検査では異常はないのだから、こんなに体が辛いのは私の気のせいだ」「メニエール病だと言われて薬を飲むけど治らない。家族にまだ話しても辛いことを信じてもらえない。」「しびれがずっと続いていて辛いから手術を受けたが治らなかった」「何度も流産するのは私の不養生のせいだと姑から責められた。」という話を聞きました。
ご自身の体がなぜこんな状態にあるのかを説明すると、「俺のせいじゃなかった」と泣き出す方もおられます。

私は、水俣病事件は犯罪だと思っています。水銀を流した行為そのものもですが、その後の放置が犯罪なのです。水俣病事件とは、無差別殺人・傷害事件です。捨てられた人たちは、今もこの日本で症状に苦しみながら暮らしています。きっと原発事故ではこんなの比較にならないくらいの人たちが苦しむことになるのでしょう。

日々患者の方と接していると、どうしてもそんなふうに感じてしまうのです。接していない人とのギャップを感じることもありますがが、私から発信することで埋めていきたいと思っています。
お話を聞くという活動は目に見えないしお金にもならないけど、地道に続けていくことが大切だと改めて思います。そしてこういう場所が広がっていくことを願っています。

設立時からある仏壇とお預かりしているお位牌

写真は相談をお受けする部屋にある、相思社設立からお預かりしている水俣病患者の方々のお位牌です。私たちの活動の原点です。

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