久留米市の看板と、声にならない声。

昨日は患者の方と一緒に久留米市で出張講演をさせていただきました。

沢山の方たちに集まっていただき、皆さんの真剣な眼差しに襟を正してお話をしました。300人もいるのに、不思議と一体感がありました。久留米の方たちのチームワークからでしょう。

自分のこと、水俣病発生以前の水俣、発生したあとの行政や企業や市の対応とその歴史、患者達と自然界が受けた・受けている被害、現状、話し始めればキリがなくなりますが。

久留米の人たちはとにかく元気でした。水俣にも積極的に関わってくださる方が多く、何故なんだろうと思っていたのですが。
被差別部落の人、行政や公務員の人たちがしっかりと自分を持って運動をしていて、皆さんが水俣病事件を我が事のように捉えてくださっていることが大きいように思います。教員間の世代交代や伝達も上手いことなされている感じでした。

「水俣出身の胎児性水俣病の女性から『久留米でひどい差別を受けた』と相談を受けて水俣病の勉強を始めた」という男性が居て、そのこと自体は哀しいのだけれど勉強を始めてくれたことが嬉しくなりました。就労支援をされていた方なので、就職差別でしょうか。数年前のことです。

水俣病患者は全国にいます。就職や結婚や何やらで引っ越していった人たちです。こうして自分と置き換えて考えてくれる人って、患者にとっては心強い存在と思います。

日本中のあなたの周りにも、水俣病患者はいるのです。

もう一つ。久留米の町のいたるところにある「わが町は差別をなくす 人間都市」という看板がわざとらしいという意見もあるそう。実際できているかどうかの問題もあるだろうけど、理想を掲げるということは大切だと思います。そして差別があることを認めることも。
水俣市には一個もないな、「なくそう、水俣病差別」とかって看板。(代わりに「チッソと水俣は運命共同体」ってのはあるけど)。

この前もらった水俣市発行の外部者向けの冊子には「水俣市内での水俣病による差別や偏見はほぼ見られなくなりました」と書いてありました。

どっこい。 日々患者相談受けていますが、差別や偏見、今もあります。市内外での差別は、新聞に載ってようやく気付かれてきましたが、載らないからといって「差別がなくなった」わけではないのです。声にならない声を無意識のうちに「なかったこと」にすることの怖さ。

相思社でやっとの思いで語られた思いも少なくありません。受け止め悶え加勢することや、その思いを発信することを続けたいと思います。そうしていつか、この人たちの存在が認められますように。

久留米、見習いたい気分にさせてもらいました。

昨年全国人権ネットワークの総会を相思社で受け入れ、その時に出会った方たちに「必ずそちらへ行きます!」とお約束しての別れだったのですが、皆さんにお呼びいただく形でその夢が次々に叶っています。今回もその一つ。ありがたや♪

スッキリとした朝。さぁ、これから水俣へ帰ります。

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