それぞれの出自

友人と話していて、水俣病被害者手帳の申請のお手伝いで出会った人のことを思い出した。その人は水俣病症状を抱えていた。

父親は、チッソで働くために県外から水俣へ来た。ここで出会いがあり、その人は生まれた。
「私は会社(チッソ)がなかったら生まれとらんですよ。会社があったおかげで学校も行けた。」

その人の出自は、チッソだ。

その人は、なかなか手を挙げるには至らなかった。
水俣病の歴史や症状が出た原因や、今後増えるであろう身体の負担、症状のケアの仕方、制度の説明を繰り返し、ようやくその人は手を挙げた。
(同じようなケースで、悩んだ末に結局手をあげなかった人が大勢いることも知ってほしい。なぜ挙げられないのかも。手を挙げなかった彼らもまた、手を挙げた人と同じように症状を抱え生き続ける。分かりやすいことだけが、目に見えることだけが現実ではない。)

私が水俣出身と知ったその人は「会社に恩は感じとらんですか?」と聞いた。考えこんでしまった。「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。

白黒つけてしまえたら楽だと思うし、もやもやとした状態は気持ちの良いものではない。昨日も今日も揺れている。

だけど、まずは私の中の混乱や揺らぎを認め、それも含めて相手に伝えようと思う。そうやって共に揺らぎ考えることはできないか。答えは出ないかもしれないけど、答えを考え続けることはできる。そこから何かが生まれないか。

娘に聞かれた。「どうしてママはコメリ(地元のホームセンター)とかローソンとか、もっと普通のところで働かなかったの?どうしてわざわざ相思社なの?」
(娘から聞かれたのには小学校での娘なりの、別の理由と不満があるのだけれどそれはまた今度。)
私は、相思社や考証館が存在することや、水俣病を伝え続けることで、未来は変えられると思っている。

水俣には水俣病があり、水俣病よりも前からチッソがある。

写真は中尾山から見た水俣市。海があり、山があり、里や棚田や温泉があり、人がいる。

さて、私の出自はどこだろう。

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