水俣病に向かい合わないことのツケ

水俣に帰ってきました。早速患者相談をお受けしました。「待っとったよ」とか「子どもさんは大丈夫だったね?」という声掛けに加勢いただいています。

先ほど来られた患者の方は二回目です。前に来られたときも、さっきも「世間体が気になって、いままで声をあげなかった」とおっしゃいました。
前回は、体調の話、人生の話を聞きました。いままでどんな病院にかかっても原因不明と言われました。
緒方俊一郎先生にみてもらい、ようやく「水俣病」の病名を受けました。この方はこれから水俣病を受け入れ向かい合う作業をはじめられます。

二回目の今日、「さっき世間体が気になって声をあげられなかったと言っていたけど、具体的に、どんな風に世間体が気になったんですか?」「水俣病患者に対してどんなふうに思っていましたか?」と聞いてみました。

患者になろうかという人に対してそんなふうに聞くのはどうかと思われるかもしれません。先日東京で、「老人が過去に戦争で犯した責任や罪に対して、歳を とってしまった人がやったことだから、もう追求はしない」という考え方があると聞きましたが、それと似ているかもしれません。でも聞きます。

私を含めて、彼ら自身が水俣病に向かい合わないことのツケは、必ず若い世代が被ることになります。見ないふりをして無かったことにすることは、同じことを繰り返すことにつながります。
生きている内に自らが犯してきたことと向かい合い、問い、蓋をされてきた水俣病事件を開きたい。語られない事件の蓋を開くことができるのは、経験していない私たちかもしれないと感じています。

今日の場合に限りませんが、どう思っていましたかと問うた時、惨めな病気、恥ずかしい病気、あんな風にはなりたくない、汚い人・貧しい人の病気、よそ者の病気(最初に発症した人々は、水俣への移住者でした)、カネ欲 しさ、見苦しい、厄介者、患者がいるからこのまちが暗くなる、障害者よりも下(障害者への差別と患者へ の差別)、チッソを潰す気か、ニセ患者ばかり・・・そんな言葉が出てくることも。

患者になろうという時に、「あんなふうにはなりたくない」という思いが拭いきれず、結局誰にも言うことができずにいる人もいます。
反対に、「可哀想に」と思っていた人もいます。
家族が認定患者で、つらい思いをしてきたという人もいます。

以前にある患者の方と出会い、お宅へ通い始めると、その方は近所の人たちから水俣病であることでいじめられた経験を語りました。それからというもの、行く と必ず恨み節、私自身が潰れそうになった経験でした。彼らに対する恨みの中で亡くなっていかれたことを忘れることができません。

水俣病は惨めな病気ではない。見苦しくも、恥ずかしくもない。自らが患者となることで、これまでの加害や胸に抱いてきた気持ちと向かい合い、「恥ずかしくない」と思えることが、ご自身たちの救いにも、なるのではないかと思っています。

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