三人委員会水俣哲学塾

三人委員会水俣哲学塾の議論が本になりました!

2014年10月、三人委員会水俣哲学塾を開催いたしました。
原発事故以降、事実が語り合えないような閉塞状況の中で、高度経済成長の光と影を象徴し、いまなお苦しみと闘いが継続する水俣から、タブーを設けず水俣、そして福島を大胆に話し合いたいと思いました。
水俣が重ね続けてきた失敗を振り返り、すべてを我が事として捉えなおすことで、参加者がそれぞれの場所で社会や未来を変えていくきっかけになることを望んで、漁師、緒方正人さんをゲストに招いて水俣哲学塾を開催しました!
その議論が本になりました!ぜひお読み下さい。 永野三智

ご注文、お待ちしています!
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左から 内山節、緒方正人、鬼頭秀一

<水俣哲学塾に寄せたメッセージ>

緒方正人さん
人間の危うさと愚かさと、されどどうしようもなさ。
いま、その巨大な壁にぶつかっている。
まやかしの虚構、偽りのシステムの中で延命的に続く幻想が崩れた時、
絶望が生まれる。その絶望感からしか何も生まれない。
どうしようもないけれど、絶望の淵で普遍性を探している。
大転換が起きるところは、方法論ではない。
立場、加害者・被害者、年齢、国籍、性別でもなく。
一人という地点では、決定的な違いではない。
私が一人という私に立ち返ることが、立場を超えることに繋がる。

内山節さん
自分に立ち返るとは、自分はどんな関係のなかで生きているのかを
見つめ直すことだと思っている。自然や他の人々との直接的な関係もある。
自然とどんな関係をつくって生きているのか、
人々とどんな関係をもちながら生きているのか。
それだけではない。
原発とどんな関係のなかで生きてきたのか。
原発を成立させてきた時代と自分はどんな関係をつくっていたのか。
水俣病との関係も同じだろう。
私にとってそれは、一面では遠く離れた地域の出来事だった。
しかし水俣病を生みだし、その後も患者さんたちを
苦しめつづけたこの社会とも、私は関係をもちながら暮らしてきた。
その意味では、被害者、加害者という言葉ではくくれない
関係者として生きてきた私がいる。
自分とともにある関係の世界をみつめ、どの関係を守り、
どの関係を変えるのか。
自分に立ち返るとはそういうことだと思う。

大熊孝さん
1974年私は新潟大学土木工学科の助手(水理学・河川工学担当)として赴任し、
阿賀野川の昭和電工排水口付近河床の水銀封じ込め工事を始めとして、
新潟水俣病とかかわりを持つようになった。
1989年に映画「阿賀に生きる」(佐藤真監督、1992年完成)の
製作員会代表となり、映画の資金集めを担当した。
この映画は新潟水俣病患者の日常を描いており、
自然と共生してきたがゆえに新潟水俣病になってしまった矛盾が描かれている。
しかし、自然との共生が“からだ”と“こころ”を強靭につくり、
矛盾の中を生き抜く力を育んでいたことも描いている。
3.11以降、再度この映画が脚光を浴び全国的に上映会が展開されている。
自然との関係性が切れた我われは今後を生き抜くことはできるのだろうか?

鬼頭秀一さん
宇井純の有名なテーゼに、「公害には第三者はいない」というものがある。
第三者でいることが結果的に加害者として振る舞ってしまうということである。
第三者を装ったメディアなどの言説は往々にして、
まるで官僚が政策論的に問題を見るような視点で行われている。
しかし、私たちは一人の生活者として、生身の人間として、
一つの生物として、自然に根ざし、
さまざまな動植物や地域の人たちの関係性の中に生きている。
「水俣」の「被害」も、「福島」の「被害」も、
そのように地べたを這いずり回って生きている
一人の生活者の「生活」の総体に及んでいる。
加害者の視点にも通じる第三者的な視点ではない形で、
その「被害」を捉えることでしか、問題の本質に迫ることはできないし、
この問題を招来した「近代」を越えることはできない。
自分に立ち返り考えることから始めたい。

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