部落解放同盟津屋支部のみなさんを案内

福岡市東区から部落解放同盟津屋支部のみなさん一八名が来水した。朝から翌日の昼までという充実したコースを担当した。
研修の効率を高めるために主催の方と話し合った結果、最初に座学を行うという異例のパターンとなった。スライドを用意し、約一時間水俣病事件基礎講座を行った。初対面の人に講話をするのは緊張するものだが、和む雰囲気を持っている方々だと感じると安心してうまく話をすることができた。
バスに乗っていよいよまち巡りに出発した。天気がよく空気も澄んでいて、芦北のリアス海岸、天草の島々まできれいに見渡すことができる絶好の案内日和だった。漁船もいくつか出ているのが見えた。
お昼は駅前の食堂「曽木の瀧」に行った。店に入ると予約しておいた地魚定食(鯛の煮付け・鯵の刺身・太刀魚の塩焼)がすらりと並んでおり、気持ちがよかった。若旦那が沖縄好きで店じゅう沖縄の雰囲気。琉球民謡がゆったりと流れており「(泡盛)やっちゃいますか!」という冗談もでた。
水俣に来て五年の間に福岡の人と付き合うことがあるたびに、独特の明るさや柔らかさを感じることがあった。今回のみなさんは私の好きな福岡人の印象を広げてくれた。だから対話する時間を持ちたくなった私は相思社の集会棟でお仏壇の説明をしたあと、予定外の自己紹介タイムを始めた。学校の先生や保育園・幼稚園の現職とOBの方がほとんどだった。感想を言ってくださる方もいれば、しみじみとご自分の仕事や「解放」の話、昔話をする方もいた。いずれもみなさん水俣のことは心のどこかにずっと引っ掛かっていたようだ。いつも案内のあとに感想や質疑応答の時間をつくるのが理想だと思ってきたが、今回はゆったりとした。時間のなかでそれができてよかった。
翌日は、谷由布さんと坂本しのぶさんに、宿泊していた湯の児のホテル「海と夕やけ」でお話をしてもらった。ホテルに用意してもらった部屋が記者会見場のように大仰にセッティングされていてやや苦笑したのだが、ホテルの方のホスピタリティはたいへんよかった。谷さんとしのぶさんは五年以上コンビでお話をしているので息が合っていた。ひどい差別に晒された生い立ちの話は胸がしめつけられる思いがした。特別学級の教員に「あなたたちに何を教えてもいっしょ」と言われた、という話は教員・元教員の方々にとってはかなり堪えたという感想を聞いた。ご一行のなかでしのぶさんと同い年の方が数名、年が近い方も多かった。水俣病公式確認六〇年のいま水俣で、六〇歳の自分が六〇歳のしのぶさんと会い、お話を聞くことができ感慨深いという感想を頂いたり、今回は生涯忘れられない旅になったと、案内冥利に尽きる感想もいただいた。

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