【東京出張報告二日目・三日目】

7/8 患者検診→報告会→懇親会 7/9 患者検診→偶然の大西暢夫さん→水俣あかり試飲会

水俣病に寄り添う医師、緒方俊一郎さんに依頼をして、3年連続、東京のニコライ堂での水俣病患者検診。関東で認定申請のための診断書書きを断られた患者さんを中心に2年間検診を行ってきましたが、この日は昨年診察をした方たちのフォローアップが主でした。

今回も緒方さんが検診、関東のお医者さん2名が見学に来てくれました。 患者さんは、歩くことが容易でなくなる、しびれがきつい、舌の感覚が鈍い、構音障害などの症状が去年より悪化していて、加齢によって病気の進行が早まる印象を受けました。

患者さんとの時間で胸に残ったのは、幼い頃、船に乗って不知火海に浮かぶ三ッ島という島々へ行き、生牡蠣やナマコの海の幸を口に入れたときの様子を再現する、喜びの表情でした。

見学に来てくれたお医者さんの一人は相思社ツアーに参加した安達さん。丁寧に問診したり、病気について詳しく話したりする彼女たちを見て、関東の患者さんたちはこの方たちにお願いできる、と、一緒に考えてくれる人がいると心強く感じました。

夜の報告会には突然の呼びかけにも関わらず、駆けつけてくださった皆さんの顔を見てすごく嬉しくなりました!最首塾の丹波博紀さんには、準備から何からお世話になりました。受付やお茶の販売はイモトさんが担当してくださり、ジャパンマシニスト、ころから出版、水俣病を告発する会も出店。

緒方さんの話1時間、休憩後、二人での掛け合い30分、相思社活動報告40分、質疑を10分。御年76歳の緒方さんとの掛け合いでは、相良村で育ち九州大学に入って出会ったサリドマイドの人たちの運動、インターン廃止運動、水俣病の検診に出かけた日々のこと、原田正純さんの「現場に、患者さんに学べ」の言葉を守り貫く医師人生、水俣病への思いを語っていただきました。

患者相談の仕事は孤独だったり重たかったりもするけれど、こうして聞いてくれる人たちの存在に救われます。そして、患者さんたちにとっても、水俣や水俣病を語れる場ができるとどんなに良いかと思います。今回検診に来られた方を含め、今も出身を隠している人が多いのですから。

【三日目】 朝から検診。昨年、お母さんの付き添いで来られていた娘さん(昭和30年代生まれ)にも症状があることが分かりました。不知火海周辺で生まれ、小学生までこちらにいた方です。昨年もお会いしたのですが、改めて聞いていくと、小さい頃から虚弱で、水俣病に見られる症状をお持ちでした。そしてお母さんの方は、体感温度の調整ができない、しびれる、感覚が分からない(どこの指を触っているか、まったく分からないのです!) 。

別の方は、「水俣病」「水銀」という名前が嫌ですぐに反応してしまうのに、そういう新聞記事ばかりが気になって、つい切り抜いてしまうそうで、話を聞いて切なくなりました。そして、「いまの水俣の話」を一番求めるのも、この方です。

東京のお医者さんから患者さんに連絡先を渡してもらい、患者の人たちには、困ったときは連絡をしてもらうようにお願いしました。東京の患者さんとお医者さんを繋ぐ。お医者さんの掘り起こし。今回の目的の一つが達成です。 終了後、ほっと一息ついたあと、東中野を歩いていると、相思社で上映会をしたいなぁとかねてから思っていた「水になった村」の監督、大西暢夫さんに遭遇!驚きました。夜はすぺーす・ はちのこでは総勢15人での水俣あかりの試飲会。原酒を持っていったのですが、「飲みやすいね」と一気になくなってしまいました(!)そこへ関根浩さんも登場し、昔話に花が咲きました。 写真は内田和稔さん

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