離島の患者さんたちを巡った

離島の患者さんたちを巡った。最初に会った若い患者は「私たちはね、認定申請ば取り下げた。長い紛争に、争いごとば長引かせんように、国のためになればちいう一心のことやった。この気持ちば、汲んでほしか」。短い言葉の中に詰め込まれた無念の気持ち。どんなふうにして気持ちを汲めばいいのか。

次に訪ねた年輩の男性。「父ちゃんが昔、よう親に向かって『こん馬鹿が、な~んヨダレば垂らしよっとか』ち言いよったばってん、そういう父ちゃんも同じこつ、ヨダレ垂らして手ぇは震えて。土地が豊かなわけじゃなし、食うもんは魚しかなかった。父ちゃんもじいちゃんも水俣病に間違いはなかった。昔はな、役場も漁協も『水俣病に申請しちゃならん』『患者ば出したらならん』ち言いよった。俺たちは、守った。この島で出た45人か50人の認定患者はみんな隠れて申請したやつやっか。熊大の学生たちが来て、そんやつらば説き伏せて。うちん親はじいちゃんは、役場の言うことば守って認定申請もせず、できず、アル中ち言われて死んでいった」。

先週、この方の息子さんから酒は好きかと聞かれて答えた。「●●さんは」と尋ねると、「俺はな、どっだけでも飲まるっと。だけど、じいちゃんの姿ば見とれば飲む気にはならん。ヨダレば垂らしてひこひこ歩いて、道端にうっ倒れて、島中の衆からはアル中アル中ち言われ。そぎゃん見苦しか姿ば見て育てば、飲むごつなか」と言った。今日聞いた「父ちゃんは水俣病だった」という話を、見苦しいと思っているこの息子さんにすぐに伝えたいと思った。

40年以上前の「水俣病隠し」の話は知っていた。でも隠した本人から話を聞いたことはなかった。お上から押さえつけられ自分たちの被害を名乗り出ない選択をした人と、隠れて認定申請をする選択をした人。どちらの選択をした人からも、その人たちの思いを聞きたい。残したい。このことを選択と言って良いのか、分からないけれど。

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