生産者インタビュー
  • 田上英子さん・百合子さん(2006年)


生産者インタビュー



田上英子さん、百合子さん (2006年)
        <聞き手>坂西卓郎

水俣の金さん銀さんこと田上英子さん(写真右)と百合子さん(写真左)。二人はとても仲良しで、おしゃべりが大好きです。二人の会話にはいつも笑いが絶えません。そんなお二人に苦労をした時代のお話を伺いました。

坂西:英子さんと百合子さんは、いつ頃からミカンを作り始めたんですか?

英子:1928年生まれじゃもん。28歳ぐらいじゃったかな。

百合子:私は1927年生まれじゃっで、今度の8月で79になっと。80までみかん作りばするて思うとるばってんが。今年も、もうやっと作ったっじゃ。後がおらんじゃって、ここ(英子さん)は後継者がおるで良かばってん。うちはおらんで。

坂西:いきなり暗い話は止めて下さい(笑)。それにしても1956年ぐらいから作ってるんですね、半世紀ですよ。水俣病の歴史とも重なりますね。百合子さんは水俣にいつ来たんですか?

百合子:私は愛媛の新居浜で、こっち来たとは1946年、終戦後。うちの親父さんと、ここの親父さんが兄弟じゃっで。私は七つのときに田上家に養女としてもらわれて。だけん、英ちゃんとは血は引いとらんばってん、いとこ同士になるわけたい。 もう、そりゃ、あわれなもんだったよ。この人(英子さん)たちは、やっぱり親がしたり、見たり聞いたりしとるばってんか、(私は)こっちの生活は全然わからんがな。あん苦労は誰ん言ってもわからん。(井戸の)釣瓶を使ったら手に豆ができたち、笑うばってんか。うちが(水汲みが)下手なもんじゃっで、(井戸の)下でバケツとバケツとガチャンこ。水は濁って大変じゃった。うちんばあさんが「バケツ傷むで」ちゅうて汲み直して。愛媛にいた頃は水道とかポンプがあったもんじゃっで。こっち来てからが苦労も苦労(笑)。

    

坂西:相思社にミカンを出し始めた頃、相思社が扱っていたのは水俣病の患者家族のつくったミカンだけですよね。百合子さんもそうですか?

百合子:じいさんが認定されとった。だけん好かんでな、水俣病が。英ちゃんのところの信義さんが裁判に行って、テレビに映れば「また今日も行っとると? 会社(チッソ)を首になっとじゃっで、すんな」っち言うとったばってん。区長会議の時、湯飲み茶碗ば出して茶ばもらうとき、手が震えてこげんしたら「あら、あんたは水俣(病)じゃなかろうか」ち言われてな。「申請すれば」っち言うたばってん、じいさんがあんまり好かんでな。 そしたなら、原田先生の来て診察してくれなはったたいな。右手は震えて食べられんばってん、左手でご飯ば食べよらった。認定されたのがちょうど、63年か64年じゃなかったかいな。じいさんは死ぬまで頭がぼけんかった。じいさんの部屋には本がいっぱいじゃっで。こけ座っとってな、こまんか字ば読んどらった。

坂西:英子さんのお家では、連れ合いの信義さんが裁判に行っていたという話が出ましたが、水俣病ではなかったんですか?

英子:うん。申請せんもんね。ほっで、ばあさんがな、症状があったばってんが、水俣病っちことは恥ずかしいことっち。旦那もそげんやった。ほっで、坂本しのぶさんの家族の人が「せろ」て言うたばってんか、申請せんかった。

坂西:信義さんはどんな人だったんですか?

英子:そりゃ、やかましかよ。ここんあたりじゃ、月浦から袋から知らん者はおらん。もう、確実なことでなからんば、ちょっとでも曲がったことは大嫌いで。もう何でんまっすぐいかんばいかん。

坂西:信義さんはチッソで働きながら裁判に行っていたんですか?

英子:じゃった。第1組合やっで給料は少ないし。第2組合と、第二組合とはボーナスがえらい違うたでな。昇給もまぁ、なかった。裁判に4、5年かけたもんな。毎月1回か2回必ず行きよったでな。患者とバス貸し切ってな。「もう、何もせんで、裁判にばっかり行って」って、うちはもう腹が立っとった。給料は安かとに、仕事もせんと、そげんとばっかり行ってと思って。会議も、夜に何遍もありよったがな。裁判やなんやで、もう戦争のごとあった。

坂西:英子さんから見れば、仕事はしないわ、給料は安いわ、夜は家に居ないわで、大変でしたね。

英子:大変じゃった(笑)。ほっで、「そげんと(裁判)すればもう、会社を首になっとじゃ」て言うたが、「組合運動やっとるもんが首になったら、水俣病ん人が助けに来っとじゃっで。絶対首になるちこたぁなかっじゃっで」って。チッソも、結局首はできんとだった。

坂西:そういう信義さんを誇りに思ってたんですか?

英子:そげんとはなか(笑)。人ん為にはなっとるとじゃったがな。じゃっで、葬式にはびっくりするごと人が来てくれらった。「さすが信義さんじゃ」っち言うてくれたもんな。今でも「信義さんがいれば、やかましかことや役所との交渉なんかしてくれるのになぁ」っち言われることは多かがな。ばってん、うちんとはミカン倉庫作った他は何もせんじゃった(笑)。

    


百合子さんのミカン畑。
作業しやすいよう、剪定して樹高を低くしている。
坂西:英子さんと百合子さんの、ミカン作りのこだわりを教えて下さい。

英子:出荷のときに、あんまり(外見の)おかしかとは、出されんど? ミカンは5トンちぎれば、(選別するので)3トン出せば良よかほうじゃもんな。フ(カメムシ)が吸った小玉は出せん。実がいっぱいなっても、小玉が多かもんな。小玉は人にやれるばってん、フが吸ったとはだめやもんな。堅くなって、皮もむけんもんな。

坂西:見た目のこだわりは強いですよね。「外見が少し悪くてもいいから」って言ってもくれないですもんね。

英子:そうたい。それで出されんとたいな。買う人の身になってやらな。「無農薬が良か無農薬が良かっていうばってん、みんなやっぱ、綺麗かミカンば好むがな。人にやってもな、「おかしかで良か」ってみんな言うばってん、いなかとは(よくないやつは)やられんもんな。

坂西:逆に外見の良くないミカンを欲しがるお客さんもいるんですよ。低農薬じゃ綺麗なミカンばかりはできないですもんね。5トン中の3トンじゃ、残りの2トンもったいないですから。80歳までとは言わずに、今後もお2人で元気にミカンを作り続けて下さい。



田上英子さん、百合子さん (2008年)
<聞き手>坂西卓郎・芳田弓生希

『水俣みかん今昔物語』

〜いろいろあったったい〜


<温州みかんと甘夏みかんの境界線>

坂西:今日は昔の話をお聞きしたいと思います。水俣は甘夏の産地として有名ですが、ずっと昔からですか。
英子:いんや、この辺は温州たい。甘夏は農協から規制されとったっもんな。最初は、袋小学校の横に川が流れとっがな。あれからこっち(北)は作っちゃならんち。
百合子:規則で決まっとった。ほっでも、作っとるもんな居らして。結局もうけたったったいね、そん人たちは。
坂西:川よりこっちでも作ってる人がいたんですか。
英子:ようさんおった。温州はうんと作ったっちゃ、収穫が大変じゃが。甘夏は後でちぎってよかっで、なら甘夏も作ろうっちてから。苗は袋ん人に頼んでもろうて、買うたったい。
坂西:その規則は途中で無くなったんですか?
英子:無くなったったいな。
百合子:甘夏は他んごつ(他のみかんの様に)手がいらんもんね。植えたもんがもうけじゃったばってん。おげんじさん(我が家のじいさん=百合子さんの夫)は、くそ真面目やったっで。
<高級みかんが泥棒を呼ぶ>

坂西:
その当時、甘夏は値段が良かったんですか?
英子:よかったな。
百合子:前は奨励金までもろうてね。植えさせたったい。
英子:前は1m掘って、そこに木やらなんやら植えて。今はなんもせんばってんな。昔は松の木がいっぱいうわっとったもん。それば切ってな。昔はみかんを植えっとも大変じゃったもんな。熔りんば入れて、堆肥ば入れて、盛り上げとってそっから作ったったいな。今はブルドーザーであれして。
百合子:一時はみかん様々だったばってん。
英子:「みかんの木一本に米2俵」っち。昔は。
百合子:そげんとじゃ。「腰ば曲げてする仕事は銭にゃならん」ちて。「上向いてちぎっとは銭んなる」っち。
英子:月浦でも、やっぱお金持ちだけ、うんと植えとったな。うちはお袋が一人やったっで、「お前とこごた貧乏人は、みかんば植えゆるもんか」っち、うちんお袋に言わったっち。しょっちゅうそれば言いよった。そげんなめとったっち、女じゃっで。10本ぐらい早生みかんば、お袋が植えよった。親父が早く死んで、お袋が一人で育ててくれたっで。女は発言権がなかったい。何言うたちゃ、潰されとったって、お袋は残念がっとった。そっで、うちが今言うとたい。人からなんももろうて食わしとらんもん。
百合子:みかん泥棒も多かったたいよ。抱えよれば我が家から見えるもん。急いで走って父ちゃんと行った時があっと。
英子:なんでちぎったかちゅえば、明日子どもが運動会じゃっでちぎりに来たっち。月浦はそれがひどかったな。
百合子:今は子供でん、みかんな取るもんはおらんばってん。
坂西:泥棒を見つけたらなんて言うんですか。
百合子:見つけたってもうしょんなかがな。トラックで取りに来っとじゃっで。おそろしかっで。今はそげんとがなかっで、よかね。









<80歳超えてなお現役 「みかんが枯れるか、人が枯れるかじゃっで」>

坂西:
みかん作りはあと何年ぐらい?
百合子:今年までじゃろうか?
英子:まだまだよか。まだまだ作るちゅわんば。(言わないと)
百合子:もう体が動かん。草刈から、薬かけっとに人頼まんば。精一杯作って、来年まで行けばよかほうたい。今で10回目刈りよるよ。盆過ぎに刈って、また昨日からしかかったったい。
坂西:やっぱりまだ草は刈らんとだめなんですか?
英子:うん。刈らんば歩かれんもんな、ひっかかって。
坂西:みかんをやめても畑はするでしょう?
百合子:畑はちっとは、野菜どんは作らんば。人にやらんばでなぁ。
英子:もう単車に乗らならんば、畑は大変じゃもんな。歩くっちゃ腰がもう。ミカンのてっぽう虫は、ほうとってな。
百合子:草刈と薬かけがなからんばねぇ。脚立で上ったり下ったりせんばんで。摘果がもうせからし。
坂西:でも畑に出れば、落ち着くでしょう?
英子:もう血圧が高こうて、ふらふらするもんな。ばってん、うちで寝とるよっかは、畑で。行ったちゃ、仕事はできんばってんと思っても行くもんな。気持ちがすっとする。家におってテレビばっかり見とるよりはな。うちのが(夫)雨のじゃばじゃば降っともいくともん。なんで、そげん畑ばっかり行かんばんとか。畑行けば、弁当持って行かんばんど?うちが大変じゃっでって思っとったばってん、なーん自分がそげんなればな、やっぱ畑のが気がすーっとする。やっぱ畑やみかん作りが生き甲斐じゃってな。