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3 水俣病の原因について

3−1 水俣病の原因について

Q3−1−1 水俣病の原因はなに?

A3−1−1 チッソ水俣工場から流れ出た有機水銀(ゆうきすいぎん)が魚や貝にたまって、その魚や貝を食べた人や動物が水俣病になりました。

Q3−1−2 これを川や海に捨てたら水俣病が発生する、という物はあるんですか?

A3−1−2 水俣病の原因は有機水銀(ゆうきすいぎん)です。有機水銀を海に(新潟水俣病の場合は川に)流したから水俣病がおきたのです。

Q3−1−3 なぜ有機水銀が体の中に入ると水俣病になるんですか?
Q3−1−3 なぜ、有機水銀で水俣病になってしまうの?
Q3−1−3 有機水銀はどのように身体に害を与えるんですか?

A3−1−3 有機水銀(ゆうきすいぎん)がからだの中にはいると脳(のう)に行きます。脳の細胞(さいぼう)に有機水銀が入りこんで、細胞(さいぼう)をこわしてしまいます。特に手足の感覚や目や耳の神経、運動にかかわる部分の細胞(さいぼう)に入りやすかったので、そういう部分に障害が現れます。それが水俣病です。

Q3−1−4 水銀は体内のどこにたまるんですか?

A3−1−4 肝臓(かんぞう)などの内臓にもたまりますが、脳の中に入っていくことが有機水銀のとくちょうです。内臓とちがって脳に入りこんだ有機水銀はなかなか出ていかないといわれています。

Q3−1−5 水銀が体内に入っても、外に出ることはないんですか?

A3−1−5 尿(おしっこ)や汗といっしょに少しずつ出ていきます。でも、脳の中に入りこんだ有機水銀はなかなか出ていかないといわれています。

Q3−1−6 メチル水銀が頭までいくとどうなるの?
Q3−1−6 有機水銀はどうして脳の神経をおかすんですか?

A3−1−6 メチル水銀(=有機水銀)が脳(のう)に入ると、脳の細胞(さいぼう)にくっつき、中に入りこみます。そして脳の細胞をこわしてしまいます。そして、こわれた細胞が関係していた体の部分がうまく動かなくなります。メチル水銀(有機水銀)は脳のきまった場所にくっつきやすい性質があります。くっつきやすい場所は手足の感覚、目や耳や運動にかかわる部分です。だから、手足の感覚がにぶくなったり、目や耳や身体の運動に障害をおこすのです。

Q3−1−7 水銀が体内に入ってどれぐらいで症状がでてくるのか?
Q3−1−7 水銀汚染(おせん)された魚を食べてからどのくらいで水俣病の症状が出るんですか?

A3−1−7 よくわかりません。有機水銀が体の中に入って、だんだんたまってある量になると発症(はっしょう:症状が出ること)すると言われています。発症する有機水銀の量は25ミリグラムとも言われています。この量は、水俣湾がひどく汚染(おせん)されていた昭和31年ころだと、大きめの魚を1匹か2匹食べればこえてしまう量です。でも、人によって出方は様々なようです。同じ家族で、同じ魚を、同じように食べても早く発症する人とずっとおくれて発症する人、重症になる人とわりと軽症ですむ人がいます。

Q3−1−8 有機水銀を出した工場の名前は?
Q3−1−8 水俣病の原因を作った会社の名前は?

A3−1−8 チッソ株式会社水俣工場です。新潟水俣病の場合は昭和電工鹿瀬(かのせ)工場です。

Q3−1−9 なぜ、工場が出す排水にふくまれるメチル水銀が原因だと解ったの?

A3−1−9 熊本大学で水俣病の原因を研究していました。そして、有機水銀が原因らしいと気がつきました。水俣湾の近くで水銀を使っている工場はチッソ水俣工場だけでした。

Q3−1−10 なぜ、工場排水にメチル水銀が混ざってしまったんですか?

A3−1−10 アセトアルデヒドという物質を作っているときに水銀(無機水銀)を触媒(しょくばい)として使っていました。そのとき、一部が有機水銀(メチル水銀)に変化して、そのまま排水に混じって海に流れ出てしまったのです。

Q3−1−11 水銀汚染(おせん)された魚を食べたら全員水俣病になるの?

A3−1−11 ひどく汚染された魚を大量に食べたときに水俣病になります。少ない量だと害はありません。魚に限らずすべての生き物(人間も)にはわずかですが水銀があります。でも、健康には影響はありません。

Q3−1−12 有機水銀以外で、水俣病の原因はあるんですか?
Q3−1−12 メチル水銀以外に、水俣病の原因はあるの?

A3−1−12 水俣病の原因物質は有機水銀(=メチル水銀)です。それ以外の物質では水俣病にはなりません。

Q3−1−13 工場排水以外の原因で水俣病にかかった人はいますか

A3−1−13 水俣病の原因は有機水銀です。有機水銀をふくんだ魚や貝を大量に食べておこる中毒です。工場排水でなくても、有機水銀が魚や貝の中にたまるようなところであれば水俣病はおこるかもしれません。アマゾン川(ブラジル)などでは金をとるときに使った水銀が有機水銀となって魚にたまり、その魚を食べた人が水俣病になったと考えられています。

Q3−1−14 海の水を飲んだら水俣病になりますか?

A3−1−14 海の水にもわずかですが水銀はふくまれています。でも、ほとんどが無機水銀ですし、量もわずかですから、海の水を飲んでも水俣病になることはありません。

Q3−1−15 どんな動物でも水俣病になってしまうんですか?

A3−1−15 有機水銀をふくんだ魚を大量に食べれば水俣病になる可能性はあります。水俣湾や不知火海の周辺では、ネコやカラスなどの鳥が水俣病になりました。ほかにも犬や豚(ぶた)が死んだという話も聞きます。

Q3−1−16 今でも水銀を海に流している工場はありますか?

A3−1−16 チッソ水俣病工場も今は水銀を使っていません。日本では水俣病が発生してから水銀に対する規制(きせい)がきびしくなったので、国内では水銀を流している工場はないと思います。でも、規制のゆるい外国では今もあると思われます。

3−2 水銀・有機水銀について

Q3−2−1 水銀にはどんな種類があるんですか?

A3−2−1 金属水銀(きんぞくすいぎん)と水銀化合物(すいぎんかごうぶつ)に分けられます。水銀化合物は無機水銀化合物(むきすいぎんかごうぶつ)と有機水銀化合物(ゆうきすいぎんかごうぶつ)に分けることができます。有機水銀化合物にはメチル水銀化合物やエチル水銀化合物などがあります。水俣病の原因となったのは、有機水銀でそのほとんどがメチル水銀だと言われています。

Q3−2−2 水銀はどのような物に含まれているのですか?

A3−2−2 海水の中にもわずかですが水銀はふくまれています。動物(人間も)にも水銀はふくまれています。量が少なければ害はありません。みなさんが見ることができるのは体温計に入っている金属水銀くらいでしょう。

Q3−2−3 温度計などに入っている水銀は、水俣病とは関係ないんですか?

A3−2−3 体温計などに入っている水銀は金属水銀です。水俣病の原因となったのは有機水銀(メチル水銀)ですから、直接の関係はありません。

Q3−2−4 水銀は何から出来るんですか?

A3−2−4 水銀はむかしからある物質(ぶっしつ)で何かが変化してできるものではありません。通常は無機水銀化合物(むきすいぎんんかごうぶつ)の形で岩石の中にふくまれていたりします。それに熱を加えたり化学変化をさせたりして金属の水銀を取り出します。

Q3−2−5 海や川にも水銀はあるんですか?

A3−2−5 海や川の水にもわずかですが水銀がふくまれています。でも、人間やほかの動物に害になる量ではありません。

Q3−2−6 有機水銀ってなんですか?

A3−2−6 水銀化合物の一つです。水銀が炭素や水素とくっついてできます。A3−2−1も参考に見てください。

Q3−2−7 メチル水銀ってなに?

A3−2−7 有機水銀化合物の一つで、水銀と炭素や水素がくっついてできたものです。メチル水銀やエチル水銀をまとめてアルキル水銀とも言います。A3−2−1も参考に見てください。

Q3−2−8 有機水銀ってどんな形なんですか?

A3−2−8 見た目には白い粉のようで、砂糖や塩とあまり違いがありません。

Q3−2−9 有機水銀に汚染(おせん)された水は見分けがつかないんですか?

A3−2−9 海の水にはわずかですが水銀がふくまれています。水銀は量が少ないと害はありません。水銀の量が増えても見た目には変わりませんので、見分けはつきません。

Q3−2−10 メチル水銀は何を混ぜたら出来るんですか?
Q3−2−10 有機水銀の原料は?

A3−2−10 有機水銀(メチル水銀)は無機水銀が変化してできます。でき方は様々で、工場の中でできる場合もありますし、海の中で自然にできる場合もありますし、生き物の体の中でできる場合もあります。水俣病の原因となったメチル水銀はチッソ水俣病工場で無機水銀が化学変化をおこしてできたものです。

Q3−2−11 有機水銀ってどんな所でつかっているんですか?
Q3−2−11 メチル水銀は家庭のどこに使われていますか?

A3−2−11 メチル水銀は猛毒(もうどく=非常に強い毒)なので、家庭でもその他でも使われることはありません。昔は毒の強さを利用して農薬として使われていたこともあります。

Q3−2−12 メチル水銀はどのような工場から出るんですか?

A3−2−12 チッソ水俣工場や昭和電工鹿瀬(かのせ)工場ではアセトアルデヒドという物質を作っているときにメチル水銀ができて、海や川に流れ出ました。ほかにもセメントを作っている工場から流れ出たこともあったようです。

Q3−2−13 原因のメチル水銀は何に使われていたんですか?
Q3−2−13 チッソ工場では有機水銀を何に使っていたんですか?

A3−2−13 チッソや昭和電工でメチル水銀を使っていたわけではありません。アセトアルデヒドを作るときに無機水銀を触媒(しょくばい=反応を早めるための物質)として使っていたのが、化学変化をおこして有機水銀(メチル水銀)に変化してしまったのです。

Q3−2−14 チッソから出された有機水銀の量はどのくらいですか?
Q3−2−14 八代海に流された有機水銀の量は?

A3−2−14 わかりません。数100キログラムとの説もありますが、それ以上だったかもしれません。今のところだれにもわかっていません。無機水銀の形で流れ出た量は数10トンとも数100トンとも言われていますが、これもよくわかりません。

Q3−2−15 チッソ工場から出された水銀はどうなってしまうんですか

A3−2−15 工場から流れ出た水銀は水俣湾にヘドロとなってたまりました。一部は潮(しお=海の水の流れ)によって、不知火海に運ばれ、さらに東シナ海に流れ出ていったと思われます。水俣湾の底にたまった水銀ヘドロは浚渫(しゅんせつ=海の底をさらうこと)して、水俣湾の埋立地(うめたてち)に閉じこめてあります。

Q3−2−16 なぜ、メチル水銀は体に悪いんですか?
Q3−2−16 有機水銀とはどのような害があるんですか?
Q3−2−16 有機水銀がどのように水俣病を引き起こしたんですか?
Q3−2−16 有機水銀は身体のどこにたまるんですか?
Q3−2−16 メチル水銀は体内でどうなるの?
Q3−2−16 有機水銀は体の中でどうなるの?
Q3−2−16 有機水銀は脳にどのような影響を及ぼすの?
Q3−2−16 メチル水銀は脳のどこに影響を及ぼすんですか?

A3−2−16 無機水銀や金属水銀は体の中に入っても、脳(のう)にまでは行きませんが、有機水銀(メチル水銀)は体の中にはいると脳に入っていきます。そして、脳の細胞(さいぼう)をこわしてしまうので、様々な障害(しょうがい)をおこすのです。特に手や足、目や耳の感覚、体の運動にかかわる部分に障害が出ます。Q2−2「水俣病の症状」も参考に見てください。

Q3−2−17 有機水銀で一番最初に被害を受けたのは何ですか?
Q3−2−17 メチル水銀が人間と自然に与える影響は?
Q3−2−17 有機水銀は自然にも影響があるのか?
Q3−2−17 有機水銀はどんな影響を与えるんですか?
Q3−2−17 有機水銀を植物にやったらどうなってしまうんですか?

A3−2−17 何を被害というのかによってちがうでしょう。水俣病の場合は海が汚染さ(おせん)れ、海藻(かいそう=海の植物)に異変(いへん=おかしくなること)がおこり、魚や貝が弱って浮いたり死んだりしました。汚染された魚や貝を食べたネコや鳥や犬や豚がおかしくなったり、死んだりしました。そして、人間にも被害が出るようになったのです。

Q3−2−18 メチル水銀をどのくらい飲むと水俣病になるんですか?

A3−2−18 25ミリグラム(1グラムの40分の1)で水俣病になるかもしれない、200ミリグラム(1グラムの5分の1)で死ぬかもしれないと言われています。でも、たいていは、一度に大量の有機水銀(メチル水銀)が体に入るのではなく、長い時間(時には何年にもわたって)をかけて、少しずつ体にはいるので、少しずつ体がおかしくなってくることが多いようです。これを長期微量汚染(ちょうきびりょうおせん)と言います。

Q3−2−19 メチル水銀が脳(のう)の神経(しんけい)をおかすだけで死んでしまうんですか?

A3−2−19 脳は人間だけではなくすべての動物にとって一番大切な場所です。脳がひどくおかされると食べることも呼吸することもできなくなります。だから、死んでしまうこともあるわけです。でも、そこまでひどくならない場合には(この方がずっと多いのですが)手足がしびれたり、目が見えにくくなったり、耳が聞こえにくくなったり、思うように体が動かせないとか、様々な症状(しょうじょう)がでるのです。

Q3−2−20 有機水銀はなぜ、体外に出て行かないんですか?

A3−2−20 有機水銀(メチル水銀)も尿(おしっこ)や汗(あせ)といっしょに少しずつは出ていきます。髪(かみ)の毛に入って出ていく場合もあります。でも、脳(のう)の細胞に入った有機水銀はなかなか出ていかないと言われています。

Q3−2−21 有機水銀が含まれている海水の処理はどのようにしたのか?

A3−2−21 海水に含まれていた水銀は海の流れとともに水俣湾の外に出ていきました。特に処理をしたわけではありません。問題があるのは水銀をふくむヘドロの処理です。

3−3 水銀ヘドロについて

Q3−3−1 土の汚染(おせん)について知りたい。

A3−3−1 チッソ水俣工場から流れ出た水銀は水俣湾の底にヘドロとなってたまっていました。このヘドロは深いところでは4メートルにもなり、500ppmをこえるものもあり、とても危険でした。熊本県は水俣湾の一部を埋め立てて、その中に水銀ヘドロを閉じこめました。この工事には485億円というお金と14年もの年月をかけて行われました。水俣湾には58ヘクタールの埋立地が出現しましたが、その底には今も水銀ヘドロが沈んでいます。この水銀ヘドロがふたたび海へ流れ出るのではないかと心配する人も多くいます。

Q3−3−2 水俣湾のどのへんが一番、水銀汚染(おせん)されたんですか?

A3−3−2 チッソ水俣病工場から流れ出た水銀はヘドロとなって水俣湾につもりました。チッソの排水が水俣湾に流れ出た場所を百間(ひゃっけん)と言います。このあたりには4メートル以上のヘドロがたまっていました。ヘドロは水俣湾全体に広がりましたが、海の底がへこんだ場所ほど水銀ヘドロは多くたまっていました。

Q3−3−3 まだ、海底には有機水銀を含んだヘドロがたまっているんじゃないんですか?
Q3−3−3 水俣湾の土の処分は終わったんですか?

A3−3−3 海底のヘドロに含まれていたのは有機水銀ではなく、ほとんど無機水銀ばかりでした。熊本県が水俣湾の一部を埋め立て、その中に25ppm以上の水銀ヘドロを閉じこめる工事をしました。水俣湾に残っていた25ppm未満の水銀ヘドロもじょじょに流れ出て今では10ppmをこえるような水銀ヘドロはなくなりました。(参考)

Q3−3−4 ヘドロを処分すれば汚染(おせん)はなくなるんですか?

A3−3−4 危険性の高かった水銀ヘドロは水俣湾の埋立地に閉じこめましたから、危険性はずいぶんと低くはなりました。水俣湾には10ppmをこえるような水銀ヘドロはありませんが、それでもほかの海と比べると数十倍もの水銀が今も水俣湾の底にはたまっています。これはすぐに水俣病がおきるようなものではありませんが、汚染が完全になくなったとは言いにくいですね。

Q3−3−5 水俣湾の汚染(おせん)された土の処分はどうやって進められたんですか?

A3−3−5 まず、鉄の板を組み合わせて円筒形にしました。これをセルと言います。このセルを並べて水俣湾に打ち込み、水俣湾の一部を仕切りました。次に、巨大な掃除機みたいなもので水俣湾の底に沈んでいた水銀ヘドロを吸い取って、この仕切ったところに流し込みました。そして、その上に土をかぶせて埋立地にしたのです。

3−4 汚染(おせん)魚について

Q3−4−1 魚や貝が水銀汚染(おせん)されてても見分けがつかないんですか?
Q3−4−1 水銀汚染(おせん)された魚の見分け方はあるんですか?
Q3−4−1 水銀汚染(おせん)された魚は味が変わりますか?

A3−4−1 魚や貝に入った有機水銀の量が少ないときには、まったく見分けはつきません。水銀の量が多くなると魚は弱って海に浮かんできます。弱った魚はアミですくうこともできます。でも、魚としては新鮮なので(漁師さんたちは魚のエラを見ます。新鮮な魚はエラがきれいなのです)、食べた人も多くいました。味も変わりません。死んだ魚はだれも食べません。貝も水銀の量が多くなると口を開けたりします。

Q3−4−2 水銀汚染(おせん)された魚にはどんな影響力があったんですか?

A3−4−2 有機水銀に汚染された魚をたくさん食べて水俣病になったのです。たくさん水銀をふくんだ魚は弱ったり、死んだりしましたが、そういった魚を食べたネコや鳥がたくさん死にました。

Q3−4−3 水銀汚染(おせん)された魚を主にどんな人が食べたんですか?

A3−4−3 汚染された魚をえらんで食べる人はいません。汚染された魚をたくさん食べたのは、いつも魚をたくさん食べる人だったからです。一番魚をたくさん食べるのは漁師さんたちです。漁師さんたちの中には1日に1キログラム以上食べる人もいます。漁師さんたち以外にも魚が好きな人は、汚染されているとは知らずに魚を食べていました。

Q3−4−4 水銀汚染(おせん)された魚をなぜとったのですか?
Q3−4−4 かん者が出ても、魚をとっていたのか?
Q3−4−4 水銀汚染(おせん)されていると解った後も魚をとり続けたんですか?
Q3−4−4 水俣病の原因が魚だと解ってからも魚をとり続けたのはどうして?

A3−4−4 水銀に汚染されているとは知らずにとっていたのです。水俣病が発見されたので1957(昭和32)年から水俣湾では魚をとることをやめていましたが、1960(昭和35)年には「水俣病はもう終わった」と言われたので、漁師さんたちはふたたび水俣湾で魚を取り始めました。また、国も県も漁獲禁止(魚をとってはいけないという命令)をしませんでしたので、漁師さんたちは魚をとり続けていました。でも、ほんとうは魚は水銀に汚染されていたので、かん者が増えたのです。

Q3−4−5 水銀汚染(おせん)された魚は他県などに売られたんですか?

A3−4−5 漁師さんたちも魚を売る人も、魚が水銀に汚染されていることを知りませんでした。だから魚は地域の外にも売られていきました。でも、汚染された魚が水俣病の原因らしいとわかってからは買う人もいませんので、ほとんど売られることはありませんでした。ある魚屋さんは自分の売っていた魚が水俣病の原因になるとわかって、魚を買っていた人たちに「水俣病になっているかもしれないから調べてもらってください」といって回りました。

Q3−4−6 水銀に汚染(おせん)された魚はなぜ死なないんですか?

A3−4−6 体の中に入った水銀の量が少ないときは影響(えいきょう)はありません。水銀の量が少し多くなってくると弱ってきます。水銀の量がすごく多くなると魚も死んでしまいます。

Q3−4−7 魚以外にメチル水銀がたまる生物はいますか?

A3−4−7 メチル水銀(有機水銀)は食物連鎖(しょくもつれんさ:生き物どうしの食う・食われるの関係)によって、濃縮(のうしゅく:だんだんとたまってこくなっていくこと)されると考えられています。最初、有機水銀は植物プランクトン(小さな小さな生き物)に入りこみ、それを食べた動物プランクトン(小さな生き物)に水銀がたまります。それを小さな魚が食べて、それを大きな魚が食べて、それを人間やネコが食べて、だんだんと水銀が多くなるわけです。ですから、それぞれの小さな生き物にも水銀がたまっていくわけです。

Q3−4−8 仕切り網は効果あるんですか?

A3−4−8 まったく効果がなかったとは言えないでしょうが、あまり有効だったとは思えません。小さな魚は網の目をすり抜けますし、船が通るために仕切り網がないところもありましたので、そこから出入りする魚もいたでしょう。一番大きな意味は「仕切り網があるから安全だ」という気持ちにさせたことでしょう。

3−5 チッソについて

Q3−5−1 チッソ水俣工場はいつできたんですか?

A3−5−1 チッソはもともと水力発電の会社でした。この会社は1906(明治39)年に作られました。この電力を使ってカーバイド(アセチレンガスの材料で、電気の代わりにアセチレンはガスを燃やして明るくしたり、化学肥料の原料になったりします)を作る会社としてチッソ工場が水俣へやってきたのは1908(明治41)年のことでした。

Q3−5−2 チッソという工場は何を作ってる工場なのですか?

A3−5−2 最初は水力発電の会社でした。水俣に工場ができたころはカーバイドを作り、化学肥料を作っていました。そのあと総合電気化学会社となり、化学繊維、化学調味料、火薬なんかも作っていました。水俣病の原因となった水銀はアセトアルデヒドを作るときに使われました。アセトアルデヒドはプラスチックを作るときに使われました。

Q3−5−3 水俣病が出はじめたのは、チッソ工場ができてからどれぐらいたってからですか?

A3−5−3 水俣にチッソ工場ができたのは1908(明治41)年で、アセトアルデヒドを作り始めた(このときから水銀を使い始めた)のが1932(昭和7)年です。1942(昭和17)年には水俣病(そのときは水俣病という名前はついていません)が出ていますから、チッソ工場ができてから34年、水銀を使い始めてから10年ということになります。

Q3−5−4 チッソ工場はなぜ、海にメチル水銀を流したんですか?
Q3−5−4 チッソ水俣工場はどうして有機水銀を海に流したんですか?

A3−5−4 アセトアルデヒドを作るときに触媒として使っていた水銀がメチル水銀(有機水銀)に変化して海に流れ出たのです。だから、最初はメチル水銀(有機水銀)を流すつもりはなかったし、気がついていなかったのだと思います。でも、少なくとも1959(昭和34)年にはアセトアルデヒドを作るときに流れ出た排水が水俣病の原因ということを知っていたのに、1968(昭和43)年まで流し続けていました。想像ですが、「大した被害にはならないだろう」と考えていたのではないでしょうか。

Q3−5−5 チッソ工場の従業員は有機水銀を排出(はいしゅつ)していることを知っていたのですか?

A3−5−5 一般の従業員はたぶん知らなかったでしょう。でも、社長や幹部の人たちは知っていたと思います。

Q3−5−6 チッソ工場はメチル水銀が人体に悪影響だ、と知っていたのですか?

A3−5−6 水銀が体に悪いことは昔から知られていますし、メチル水銀(有機水銀)が猛毒であることも知っていたはずです。

Q3−5−7 チッソには有機水銀を出さないようにする設備はなかったんですか?

A3−5−7 最初のころはまったくありませんでした。1959(昭和34)年にサイクレーターという設備を作りましたが、これは水銀を取りのぞく力はありませんでした。1966(昭和41)年に完全循環型(かんぜんじゅんかんがた)といって、りくつの上では水銀が流れでないようになりました。でも、よく事故がおこり、そのたびに水銀は流れ出たといわれれています。水銀が出なくなったのは1968(昭和43)年にアセトアルデヒドを作るのをやめたときです。

Q3−5−8 水俣病に対して、工場の対応は?

A3−5−8 最初は水俣病をおこしたことも、責任があることも認めませんでした。チッソ工場で使っている水銀があやしいといわれたときには、いろんな説を出して反対しました。1959(昭和34)年にはアセトアルデヒドを作るときに流れ出た排水が原因だと知っていながら、そのことをかくして「見舞金契約」(みまいきんけいやく)を結びました。そのことは1973(昭和48)年の裁判の判決で強く批判されました。

Q3−5−9 チッソが「いろんな説を出して反対」とありますが、具体的に教えてください。

A3−5−9 1959年7月、熊本大学は「水俣病の原因は有機水銀と思われる」と発表しました。そしてチッソ水俣工場が水銀を流したのではないかとうたがわれました。チッソは有機水銀説は間違っていると反論し、「水俣湾に沈められた爆弾が原因ではないか」と主張しました。10月にはネコ実験によって工場排水が原因であることがわかっていましたが、そのことをかくしたまま、11月には「水銀に汚染された魚は他の地方にもいるのに病気は出ていない。工場で使っているのは無機水銀なのに、魚が有機水銀に汚染されることの説明がない」などと主張しました。翌1960年には東京の大学の教授を使って「アミン中毒説」を出したこともあります。

Q3−5−10 チッソ水俣工場の社長の名前を知りたい。

A3−5−10 水俣工場には工場長はいますが、社長はいません。チッソは東京に本社があり、今の社長は後藤舜吉といいます。

Q3−5−11 チッソ社員の中で水俣病になった人はどれくらいいましたか?

A3−5−11 水俣病患者の数そのものがはっきりしないので、チッソの社員の中でどのくらいの人が水俣病にかかったのかはわかりません。チッソの社員も水俣に住み有機水銀に汚染された魚を食べた人もたくさんいたと思われます。私が知っている患者の中にもチッソに勤めていた人は何人もいます。

Q3−5−12 また、チッソはその社員にどのような対応をしましたか?

A3−5−12 特に対応はしていません。認定されたかん者に対しては社員であってもなかっても補償は同じです。

Q3−5−13 社員は訴えたりしなっかたのですか?

A3−5−13 チッソの社員だから会社を訴えたという話は聞いたことはありません。しかし、原告はたくさんいましたから、その中にチッソの社員や元社員がいたことも事実です。水俣では自分がチッソの社員だったから、あるいは家族が社員だったから認定申請をしなかったという話はたくさん聞いています。

Q3−5−14 当時の水俣市にとってチッソは大きな影響(えいきょう)や依存(いぞん)があったようですが水俣病が認められたときの水俣市のチッソや住民への対応はどのようなものでしたか?

A3−5−14 水俣病の原因がチッソのたれ流した有機水銀(ゆうきすいぎん)だと認められたとき(これを「公害認定」といいます)、かん者の人たちは「これでチッソにものが言える」と考えました。しかし、水俣市や一般の住民は喜びませんでした。かん者たちがチッソを相手に裁判をおこしたとき、水俣市(役所の一部の人)は「裁判をしてもムダだからやめなさい」というような働きかけをしました。そういった動きによって裁判に参加しなかったり、取りやめたかん者もいました。

Q3−5−15 チッソは有害なメチル水銀を海にそのまま流していたそうですが、会社側は、水俣湾がヘドロでいっぱいになっても、水俣病が認定されるまでそんな悪影響がでるとは予想できなかったのですか?

A3−5−15 水俣病が公害病と認定されたのは1968(昭和43)年ですが、少なくとも1959(昭和34)年までにチッソは水俣病の原因が工場にあることを知っていました。知っていながら1968年まで水銀を流し続けたのです。たぶん、「そんなに大きな問題にはならないだろう」と考えていたのだと思います。チッソだけではなく国も知っていたのですが、同じように考えていたのだと思います。被害者のことより、チッソが作る製品(プラスチックスを作る材料)の方を大事だと考えていたのです。

3−6 水俣病の責任について

Q3−6−1 だれが一番悪いんですか?

A3−6−1 「悪い人がいた」というふうには考えない方がいいと思います。水俣病の直接の原因はチッソ工場ですから、チッソ工場が一番悪いと言うことはできるでしょう。でも、水俣病が発生しているとわかりながら政府(国)はそれを止めませんでした。チッソという会社が日本にとってとても大事な会社だったからです。かん者が増えた一番の責任は国にあると言ってもよいでしょう。でも、その国の政策(せいさく)のおかげで、日本中が経済的に豊かになったのです。国民がお金持ちになることを望み、そういう政策を実行した政府が水俣病を広げたのですから、すべての国民に責任があるとも言えます。

Q3−6−2 チッソは水俣病の原因をつくったことを認めているの?

A3−6−2 最初は認めませんでしたが、裁判の判決できびしく批判され、認めないといけなくなりました。

Q3−6−3 チッソや国が責任を認めるまでどのくらいの期間がかかったんですか?

A3−6−3 裁判の判決でチッソの責任が決まったのは1973(昭和43)年です。最初に水俣病が発生したのは1942(昭和17)年と言われていますから、それだと31年ということになります。また、公式に水俣病の発生が確認されたのは1956(昭和31)年ですから、それからだと17年ということになります。国は水俣病の責任を正式に認めたことはありません。

Q3−6−4 工場はなぜ、水俣病の責任を認めなかったんですか?

A3−6−4 一番はお金のためだと思います。責任を認めると賠償金(ばいしょうきん:そんがいをおぎなうために支払うお金のこと)を支払わないといけないし、アセトアルデヒドを作るのを止めるともうからなくなりますから。

Q3−6−5 最初はどうして工場や国は責任を認めなかったんですか?

A3−6−5 チッソ工場については上の答えを見てください。国は今も責任を認めてはいません。国が責任を認めないのは、水俣病の責任を認めると水俣病以外のことにも責任を認めないといけなくなるからだと言われています。

Q3−6−6 チッソ工場はどのように責任をとったんですか?

A3−6−6 まず、裁判で負けて賠償金(ばいしょうきん:そんがいをおぎなうために支払うお金のこと)を支払いました。かん者たちはそれだけでは納得しませんでした。かん者たちはチッソ本社(東京にあります)に押しかけて、会社と交渉をして補償協定(ほしょうきょうてい:補償の細かい内容を決めたもの)を結ばせました。ですから、責任をとったと言うより、とらされたと言うべきでしょう。

Q3−6−7 裁判で勝訴(しょうそ)し、賠償金(ばいしょうきん)が入ったことで、水俣病をゆるしてしまうんですか?

A3−6−7 賠償金が入ったことで、水俣病やチッソをゆるす人はいないでしょう。いくらお金をもらっても、死んだ人の命も、健康ももどってはきませんから。かん者たちのうらみは消えませんでした。今も「チッソがにくい」と言っているかん者もいます。でも、うらんでいるだけでは生きてはいけません。「チッソに責任をちゃんととらせるべきだ、だから倒産させないんだ」という意見もあります。「チッソがちゃんと反省をして、水俣病の教訓(きょうくん)を生かして、二度と公害を出さない、環境にやさしい会社になることこそ、水俣病で死んだ人や苦しんでいる人に対する供養やなぐさめになる」という意見を持っている人もいます。

Q3−6−8 水俣病の原因をつくったチッソ工場に対して罰はないんですか?

A3−6−8 製造禁止とか工場閉鎖とかはされていません。かん者に対して賠償金を支払ったり、汚染した海から水銀を取りのぞく費用は負担させられています。賠償金(ばいしょうきん)を支払わせることは、ある意味では罰でしょう。チッソをつぶさないで賠償金の支払を続けさせることも罰と言えなくはないでしょう。

Q3−6−9 水俣病の原因を作った工場を今でもつぶさないのはどうしてですか?

A3−6−9 まず、チッソという会社をつぶすとかん者に対する補償金(ほしょうきん)が支払えなくなります。次に、「水俣病は国の政策によって大きくなった公害事件で、水俣地域全体も被害を受けた。チッソをつぶすと被害を受けた地域がさらに被害を受ける」ということも言われています。チッソは大きな借金をかかえていますが、「チッソをつぶさずにちゃんと借金を返させる方がチッソに対する罰になる」という言い方をする人もいます。「チッソはつぶしてしまえ」という意見もありますが、つぶさない一番の理由は「かん者に対する補償ができなくなるから」ということでしょう。


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