4 水俣病かん者の補償・救済について

4−1 水俣病かん者の補償について

Q4−1−1 見舞金契約(みまいきんけいやく)とはどのように結ばれたんですか?

A4−1−1 1959(昭和34)年12月30日、チッソとかん者との間で結ばれた補償契約が見舞金契約です。死亡者に30万円、生存者には年間で10万円という少ない金額だったこと、「今は水俣病の原因がよくわからない。将来、水俣病の原因がチッソということがわかっても、それ以上の要求はしない」と書かれていたことなどが問題でした。当時、多くのかん者はまずしくて正月をむかえる金がないという状態だったので、しかたなく契約を結んだのでした。

Q4−1−2 水俣病かん者への補償(ほしょう)は?
Q4−1−2 1993年の賠償金はいくらですか?

A4−1−2 かん者への補償はひとつではありません。熊本県や鹿児島県に水俣病と認定された患者はチッソと補償協定(ほしょうきょうてい)を結びます。補償協定を結ぶと1,600〜1,800万円の慰謝料(いしゃりょう=一時金)のほかに、医療費(いりょうひ=お医者さんにかかったときに支払うお金)や年金(毎月68,000円〜173,000円・2001年4月現在)などが支払われます。
 水俣病医療(いりょう)事業の対象と認められた人は一時金として260万円、ほかに医療費と療養手当(りょうようてあて=医者にかかるための交通費など=毎月17,200〜23,500円)が支払われます。
 このほかにも裁判で水俣病と認められて慰謝料をもらった人もいます。(参考)

Q4−1−3 1969年の裁判の慰謝料(いしゃりょう)はいくらですか?

A4−1−3 1969(昭和44)年にはじまった裁判を水俣病裁判とか一次訴訟(そしょう)とかとよんでいます。この裁判は1973(昭和48)年3月に判決があり、かん者が勝ちました。裁判所が認めた慰謝料は1,600〜1,800万円でした。でも、その後かん者たちはチッソと交渉して、医療費や年金も支払われるようになりました。

Q4−1−4 他県で水俣病になった人にも賠償金(ばいしょうきん)は支払われたんですか?

A4−1−4 水俣病の賠償金は水俣病をおこした会社が支払います。水俣病と認められているのは不知火海(しらぬいかい=八代海=熊本・鹿児島)の水俣病と阿賀野川(あがのがわ=新潟)だけです。ですから、水俣病と認められて賠償金を受け取ることができるのは熊本・鹿児島・新潟県に住んでいた人だけです。でも、そういったところからほかの県に引っ越した人の場合で水俣病と認められた場合にはチッソ(熊本・鹿児島県に住んでいた人)や昭和電工(新潟県に住んでいた人)から賠償金が支払われます。

Q4−1−5 水俣病の補償金は何に使うんですか?

A4−1−5 補償金と言ってもお金にはちがいはありません。「これこれに使わないといけない」というものではありません。生活費に使う人、借金を返すのに使う人、家を修理するのに使う人、船を買うのに使う人、お墓を立てるのに使う人などさまざまです。

Q4−1−6 かん者団体はどうして1995年10月の「最終解決案」を受諾(じゅだく)したんですか?

A4−1−6 チッソが赤字になった1977(昭和52)年ころから水俣病とは認められにくくなりました。同じところに住み、同じものを食べ、同じ病気にかかっても、申請(しんせい=水俣病だと思うから検査してほしいと申し出ること)が遅かった人は水俣病と認められませんでした。それで、チッソや熊本県と交渉したり、裁判に訴えたりした人がたくさんいました。でも、20年以上運動を続けても国も熊本県もチッソも水俣病と認めることも補償金を支払うこともしませんでした。その間にたくさんのかん者が死んだり、寝たきりになりました。国がかん者たちに示した水俣病解決策は決して満足できるものではありませんでしたが、もし、それをこばめば生きているうちに解決するとは考えられない状態だったからです。また、この解決策には「もやい直し」といって、かん者に対する差別をなくす運動に力を入れることが書かれていたのも大きな理由です。

4−2 水俣病の裁判について

Q4−2−1 水俣病の裁判について知りたい。
Q4−2−1 裁判の成り行きについて知りたい。
Q4−2−1 水俣病に関して行われた裁判等の様子が知りたい。
Q4−2−1 何件ぐらい裁判があったんですか?
Q4−2−1 水俣病関連で何件ぐらい裁判が行われたんですか?

A4−2−1 水俣病の裁判は20以上あります。かん者が勝った裁判もありますし、負けた裁判もあります。和解をして裁判をやめたものもありますし、今も続いている裁判もあります。(水俣病主な争訟)

Q4−2−2 水俣病の裁判で被告(ひこく)はどこ?

A4−2−2  熊本水俣病の場合はチッソや国や熊本県などです。新潟水俣病の場合は昭和電工や国が被告です。くわしくは裁判の一らん表(水俣病主な争訟)を見てください。

Q4−2−3 水俣病裁判ではどのようなことが争点(そうてん)になったんですか?

A4−2−3 最初の裁判(第一次訴訟)ではチッソの責任が問題になりました。その後の裁判では患者が水俣病なのかどうか、国や熊本県に責任があるのかどうか、損害賠償金(そんがいばいしょうきん=被告が患者に支払うお金)はいくらにするか、などが争点になりました。

Q4−2−4 水俣病裁判で原告の主張は?

A4−2−4 たくさんの裁判があり、それぞれに原告の主張はことなります。水俣病主な争訟

Q4−2−5 水俣病裁判での判決は?

A4−2−5 たくさんの裁判があり、それぞれに判決はことなります。水俣病主な争訟

Q4−2−6 水俣病裁判の賠償金はいくらですか?

A4−2−6 たくさんの裁判があり、それぞれに判決額はことなります。水俣病主な争訟

Q4−2−7 熊本の水俣病が先に発生したのに、新潟市の方が先に裁判になったのはどうして?

A4−2−7 熊本水俣病が公式に確認されたのは1956年です。1959年にかん者たちは補償を求めてチッソと交渉を始め、座り込みもしました。しかし、応援してくれる人もなく、年末にチッソと見舞金契約(みまいきんけいやく)をむすぶしかなかったのです。こうして、補償問題(ほしょうもんだい)は決着(けっちゃく)し、その後水俣病は終わったとされ、熊本のかん者たちは沈黙(ちんもく)したのです。一方、新潟では1965年に水俣病の発生が確認され、1967年に裁判が始まりました。水俣のかん者たちも新潟のかん者たちの動きに勇気づけられて裁判をおこしましたが、それは1969年のことでした。熊本と新潟で水俣病が確認されるのに9年の開きがありますが、裁判をおこしたのは逆に新潟の方が2年早かったわけです。それはこの9年間の間にかん者を取りまく状況、社会の状況が大きく変化したからです。裁判は被害者・かん者の思いだけでできるものではないのです。

Q4−2−8 裁判になる前に、チッソに排水停止を訴えた人はいるんですか

A4−2−8 1959年に不知火海沿岸の漁民たちがチッソに排水停止を求めました。チッソが排水を停止しないので、漁民たちはチッソに押しかけて排水を停止させようとして大さわぎになりました。しかし、チッソは排水を止めなかったのです。そして漁民だけが暴力(ぼうりょく)をふるったとして、たくさんの人が警察(けいさつ)につかまりました。熊本県議会の中には「排水を停止すべきだ」という意見もありましたが、多くの議員はその意見に反対でした。この年にはチッソの排水が水俣病の原因であることは知られていましたが、国も排水を止めるようには命令しませんでした。そのために被害者は何倍にもふくれあがりました。

Q4−2−9 裁判に持ち込むまでにはどんな苦労があったんですか?

A4−2−9 裁判は被害者・かん者の気持ちだけではおこせませんし、勝てません。水俣はチッソによって大きくなった町ですから、チッソに対して裁判をおこすことはとなり近所の人たちを敵にまわすことでもあるのです。ですから、かん者たちが裁判をおこすまでにずいぶんとなやみましたし、苦しみました。最後まで「裁判はいやだ」というかん者の方が多く、裁判をおこしたのは少数派のかん者でした。じっさい、裁判をおこしたとたんに近所の人があいさつもしてくれなくなったということもありました。

Q4−2−10 水俣病の裁判が終わってからはどうなったんですか?

A4−2−10 たくさんの裁判がありますから、その影響は違っています。裁判の種類については「水俣病主な争訟」を見てください。
 一番有名なのは水俣病第一次訴訟(みなまたびょうだいいちじそしょう)で、この裁判はかん者側が勝ちました。判決のあと原告かん者はチッソと自主交渉をしていたかん者といっしょになって水俣病東京交渉団をつくって、チッソと補償交渉(ほしょうこうしょう)をしました。そしてチッソと補償協定(ほしょうきょうてい)を結びました。この補償協定には一時金だけではなく、年金や医療手当などかん者が生きている間の補償などについて取り決められました。

Q4−2−11 裁判はどうして20年もかかったんですか?

A4−2−11 水俣病の裁判はたくさんあります。4年くらいで終わった裁判もあるし、20年近くかかっている裁判もあります。裁判が長くかかるのは日本の裁判制度のためです。三審制(さんしんせい)といって、一審(地方裁判所)、二審(高等裁判所)、三審(最高裁判所)で争わなければならないということや原告ひとりひとりについてくわしく調べるために原告が多いと時間がたくさんかかるということなどがあります。

Q4−2−12 水俣病裁判が起こされたことで、被害は減ったんですか?

A4−2−12 水俣病の裁判で原告が勝ったことによって、企業(きぎょう:会社のこと)が公害に気をつけるようになったということはあると思います。そのことによって少しは公害の被害者が増えにくくはなったとは思います。

Q4−2−13 今でも裁判は続いているの?

A4−2−13 「水俣病主な争訟」を見てもらうとわかると思いますが、今(2002年1月)も関西訴訟は続いています。

4−3 水俣病の認定制度について

Q4−3−1 水俣病認定制度はいつから始まったのですか?

A4−3−1 1959年12月25日に厚生省(こうせいしょう:今は厚生労働省)に水俣病患者診査協議会(みなまたびょうかんじゃしんさきょうぎかい)が作られてからです。これはチッソからの要請で見舞金契約(みまいきんけいやく:1959年12月30日)によってお金を支払うべきかん者を決めるためのものでした。水俣病の認定制度は「かん者かどうか」を決めるためではなく、「お金を払うべきかどうか」を決めるためのものです。

Q4−3−2 何を基準に水俣病かん者と認定しているんですか?

A4−3−2 認定制度は「かん者かどうか」を調べるのではなく、「お金を払うかどうか」を決めるためのものですから、チッソの経営状態やチッソやかん者を取り巻く社会状況によって変化します。社会がかん者の味方をすれば基準がゆるくなります。チッソが赤字で苦しくなったり、政府がチッソの味方をすれば基準がきびしくなったりします。今は1977年に作られた「判断条件」をもとに認定することになっていますが、実際にはそれ以上にきびしい条件となっています。 

Q4−3−3 水俣病のかん者さんはなぜ、水俣病に認定してもらいたいんですか?

A4−3−3 水俣病になるとお医者さんにかかるお金がいるようになります。ひどくなると働けなくなったり、寝たっきりになったりします。働けなくなると生活できませんから、水俣病の原因を作ったチッソにお金を出してもらうしかありません。お医者さんにかかるお金もチッソに出してもらうのがあたりまえでしょう。水俣病に認定されるとチッソからお医者さんのお金や生活費を出してもらえるからです。

Q4−3−4 「水俣病」と認定されないのはどうして?

A4−3−4 水俣病に認定するということはチッソがお金を支払うということです。かん者をたくさん認定するとチッソが支払うお金がたくさんいるようになります。チッソが支払えるお金には限りがありますから、認定患者が多くなりすぎるとチッソが倒産してしまいます。チッソが倒産すると認定かん者にお金が払えなくなり、社会問題になります。それで政府は認定の基準をきびしくして、チッソが支払うお金が増えないように、チッソが倒産しないようにしたために、認定されないかん者が増えました。

Q4−3−5 1968年以前に未処分者がいるのはなぜか?
Q4−3−5 公害認定(1968年)以前に「認定」という言葉が使われているのはなぜ?

A4−3−5 1969年に「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法(旧法や救済法と呼ぶ)」が公布されましたが、水俣病の認定制度はこの法律のできる前に、1959年の見舞金契約の時に始まっているからです。 

Q4−3−6 1973年から申請者が増加し、棄却者も増加しているのはなぜ?

A4−3−6 1973年に水俣病第一次訴訟の判決が出され、補償協定書が結ばれました。このことによって認定されると補償金(一時金)や生活費(年金)、医療費がチッソから支払われることになりました。それで、それまで申請をためらっていた人たちが申請をするようになってきたからです。棄却される人が増えてきたのは1978年ころからですが、これは判断条件が出されて認定の基準がきびしくなったためです。 

Q4−3−7 認定審査会のメンバーは誰が決めるの?

A4−3−7 認定審査会は県の諮問機関ですから県(知事)が決めます。 

4−4 水俣病の責任と補償について

Q4−4−1 水俣病のかん者さんに対してチッソは何をしているんですか?
Q4−4−1 工場や県はかん者に対して何をしているのか?

A4−4−1 認定かん者に対しては補償協定書にしたがって、一時金、年金、医療費などを支払っています。医療事業の対象者に対しては一時金を支払いました。それ以外のかん者には名にもしていません。

Q4−4−2 国・県・工場はかん者に対してどのように賠償しているのか?

A4−4−2 チッソは上に書いたとおりですが、国や県は医療事業の対象者に対して医療費や療養手当を支給しています。

Q4−4−3 工場が原因で公害が起きているのに、市や県が賠償金を出すんですか?

A4−4−3 水俣病の原因となったメチル水銀を出したのはチッソ工場ですが、そのことを知りながら国も県もチッソ工場を止めませんでしたし、水銀に汚染された魚を食べることも止めませんでした。そのためにかん者はどんどんと増え続けました。ですから国や県にも責任があるのです。しかし、国も県もその責任を正式には認めていません。ですから国や県はかん者に賠償金を払ってはいません。医療費と医療手当を支払っているだけです。ただし、医療事業対象者にチッソが支払ったお金の大部分は結局国の負担となりましたから、実際には国からかん者に一時金が支払われたことになります。市は賠償金などは支払っていません。

Q4−4−4 工場は賠償金をどのくらい出したんですか?
Q4−4−4 工場からかん者さんへ払われた賠償金はいくらぐらいですか?

A4−4−4 チッソが認定かん者に支払った金額(一時金、年金、医療費など)の合計は1,200億円くらいです。

Q4−4−5 なぜ国は、チッソ工場が有機水銀を流さないように止めることができなかったんですか?

A4−4−5 水俣病が広がった時期は日本が敗戦後の経済復興(けいざいふっこう)や高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)の時代でした。国は住民より大工場・大企業を大事にしていましたから、チッソの味方をしていたので止めなかったのです。

Q4−4−6 なぜ、国は水銀汚染(おせん)された魚をとるのを禁止しなかったんですか?

A4−4−6 魚をとることを禁止すると、魚がとれなくなった漁師たちにお金(漁業補償:ぎょぎょうほしょう)を支払わなければならなかったからです。


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