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1 水俣病の歴史について

1−1 水俣病の年表について

Q1−1−1 水俣病について教えてください。

A1−1−1 まずは、「水俣病について知っておいてほしいこと」や「水俣病10の知識」を見てください。

Q1−1−2 水俣病の歴史について教えてください。

A1−1−2 長い歴史があるので、ひとことで言うことはできません。ちょっとむずかしいかもしれませんが、「水俣病略年表」や水俣市のホームページにも年表がありますので、参考にしてください。

1−2 水俣病の歴史について

Q1−2−1 水俣病はいつごろ、どこで発生したのですか?

A1−2−12 1942(昭和17)年に、水俣市の月ノ浦(つきのうら)という漁村で発生したことがわかっています。(もう少しくわしい説明)

Q1−2−2 水俣病はいつごろ発生して、どのように広がったのですか?

A1−2−2 昭和16年・17年ころに水俣湾の近くで発生して、昭和28年ころから被害が大きくなっていました。昭和33年にチッソが有機水銀を含んだ排水を直接不知火海に流すようになったので、そのころから水俣の北にある津奈木町や南にある鹿児島県出水市にもかん者が出るようになりました。(もう少し詳しい説明

Q1−2−3 水俣病が一番最初に確認されたのはいつ、どこでですか?

A1−2−3 1956(昭和31)年5月1日が公式確認日とされています。そのとき確認されたかん者は水俣市月ノ浦(つきのうら)に住んでいました。

Q1−2−4 どのようにして水俣病が発生したのですか?
Q1−2−4 水俣病発生のしくみが知りたい。

A1−2−4 チッソという会社から流れ出た有機水銀が食物連鎖(しょくもつれんさ)によって、魚や貝が汚染(おせん)され、それらを食べた人や動物が水俣病になりました。

Q1−2−5 水俣病はなぜ発生したのですか?

A1−2−5 チッソという会社が直接の原因です。しかし、そのころの日本が貧しく、人々は「経済的に豊かになりたい」という気持ちが強く、国は「高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)」という政策で支えていました。そのことも大きな原因です。

Q1−2−6 水俣病が発生したときの様子を教えてください。

A1−2−6 はじめ、伝染病(でんせんびょう)ではないかとうたがわれました。そのため、かん者やかん者の家族は近所の人からもいやがられました。すぐに伝染病ではなく、うつらないことはわかったのですが、そのことを知らない人もいて、今でもまちがった意識を持っている人がいます。

Q1−2−7 他の工場も当時は海に工場排水を流していたんですか?

A1−2−7 水俣湾に工場排水を流していた工場はチッソ水俣工場だけです。ほかの地域でもほとんどの工場から出た排水は川を通じて海に流れ出ていました。

Q1−2−8 水俣病を発見した人はだれですか?

A1−2−8 昭和31年5月1日に、チッソ付属病院の細川一院長が「今までなかった新しい病気が出ている」と水俣保健所に申し出ました。だから、水俣病の発生を公式に確認したのは細川一院長です。

Q1−2−9 かん者が一番多く出たのはいつですか。

A1−2−9 昭和30年代前半(1956〜60年)と言われています。ある研究によれば、昭和20年代の終わり(1953年)ころから昭和51(1976)年ころまで発生がつづいたいうことです。全体的な調査がされなかったので、正確なことはだれにもわかりません。私たちがかん者から直接聞いたはんいでも、昭和25年くらいから昭和50年ころまで発病はつづいていたようです。特に昭和30年代に発病した(しびれが始まったという人が多い)人が多かったです。

Q1−2−10 いつごろ有機水銀が原因と解ったんですか?
Q1−2−10 水俣病の原因が有機水銀だとわかったのはいつですか、発生から何年目のことですか?
Q1−2−10 水俣病の原因が特定されるまでどれぐらいの年月がかかりましたか?

A1−2−10 熊本大学は1959(昭和34)年に有機水銀が原因らしいと報告しました。水俣病が公式に確認されてから4年目のことでした。しかし、チッソは有機水銀説に反対し、原因が広く認められるまでにはその後も長い年月がかかりました。政府(国)が水俣病の原因をチッソから出る有機水銀と認めたのは1968(昭和43)年でした。公式に水俣病の発生が確認されてから12年がたっていました。

Q1−2−11 水俣病の原因を解明したのはだれですか?

A1−2−11 たくさんの人が原因を見つける努力をしていました。有機水銀が水俣病の原因だということをつきとめたのは熊本大学の研究者たちでした。

Q1−2−12 水俣病で一番最初に死んだ人はだれですか

A1−2−12 水俣市出月で昭和23年々に生まれた女の子が昭和28年12月に発病し、昭和31年3月15日に亡くなっています。この女の子が公式には最初の水俣病患者と言われています。水俣病の公式確認のきっかけとなった水俣市月ノ浦に住んでいた女の子は、1956(昭和31)年4月28日、5歳のときに発病し、5月23日に亡くなりました。でも、それより15年くらい前の昭和16年や17年に狂い死にした人が何人かいます。その人たちが最初の死亡者かもしれません。

Q1−2−13 国はチッソが有機水銀を排出(はいしゅつ)しているのをわからなかったんですか?

A1−2−13 遅くとも1959(昭和34)年はわかっていました。

Q1−2−14 排水が原因とわかったとき、すぐに海に流すのをやめたのですか?

A1−2−14 チッソは水銀の入った廃水を流し続けましたし、国や熊本県もとめませんでした。

Q1−2−15 排水の中に有毒な物質が含まれていないか、なぜ検査しなかったのですか?

A1−2−15 検査というか、調査・実験はしていました。有毒であることがわかったあとも、そのことを隠して流し続けたのです。

Q1−2−16 水俣病の原因がわかったとき、水俣市民はどう思ったんですか?

A1−2−16 水俣病の原因がチッソであることは昭和32年頃にはチッソ工場の人だけではなく、水俣市民も気がついていたようです。チッソ工場は水俣で一番大きく重要な工場です。チッソがあったから水俣は村から町、そして市への大きくなっていきました。チッソがあやしいとわかったときからチッソ工場の人たちだけではなく、市役所の人もそれ以外の市民も水俣病のことを言わなくなっていきました。市民の多くはチッソを守りたいと思っていました。水俣にはチッソ工場で働いている人やその家族も多かったからです。だから、チッソ工場に漁民が押しかけたときも、かん者が座り込んだときも、漁民やかん者を応援する人はほとんどいませんでした。

Q1−2−17 水俣病が起こってしまった時、水俣市民の人達はどんな環境対策を行ったのですか?

A1−2−17 その当時は公害という言葉もありませんでしたし、環境が大切だという考え方もありませんでした。ですから、何もしませんでした。

Q1−2−18 水俣市にはいくつぐらい工場があったんですか?

A1−2−18 大きな工場はチッソという会社とそれに関係する会社だけでした。

Q1−2−19 工場は原因がわかったあとでも、なぜ有機水銀を流しつづけたんですか?

A1−2−19 有機水銀を出す元になったアセトアルデヒドは国にとって重要なものでしたし、チッソにとっては作れば売れる・もうかるものでした。それで国はチッソに中止させませんでしたし、チッソもアセトアルデヒドを作り続け、その結果有機水銀は流れ続けました。

Q1−2−20 工場から出る水銀汚染(おせん)された排水はどうやって処理しているんですか?

A1−2−20 廃水の処理はされませんでした。

Q1−2−21 水俣湾の水銀汚染(おせん)のようすを教えてください。

A1−2−21 チッソから流れ出た有機水銀は百間(ひゃっけん)排水口から水俣湾に流れ出ました。排水口の近くには有機水銀をふくむヘドロが4メートルもつもっていました。排水口の付近は汚れて、ひどいにおいもしていました。それ以外のところは見た目にはそんなに汚れてはいませんでしたが、貝はぜんめつし、魚も弱ったり死んだりして海に浮きました。

Q1−2−22 水銀汚染(おせん)によって自然への影響は?

A1−2−22 まず、海草に影響が出ました。魚や貝が弱ったり、死んだりしました。魚や貝を食べた鳥やネコが死にました。汚染(おせん)のひどいときには水俣湾やその近くの貝(アサリ・ビナ・カキなど)はすべて死んでしまいましたし、漁村のネコも全滅しました。生き物たちが元に戻るまでには何年もかかりました。

Q1−2−23 水俣病で苦情などはでたんですか?

A1−2−23 まず、海が汚れて魚がとれなくなったので、昭和32年の1月に漁師さんたちがチッソに「海をよごさないように」と申し入れました。8月にはかん者の人たちが集まって会を作りました。昭和34年7月に熊本大学の調査でチッソの責任がうたがわれるようになったので、漁師さんたちはチッソに押しかけて、海をきれいにすること、補償金を支払うことなどを申し入れました。その年の11月になって、かん者の人たちもチッソに補償を申し入れました。

Q1−2−24 熊本県と新潟県だけに発生していますが、特別な工場でもあるんですか?

A1−2−24 熊本にはチッソという会社があり、新潟には昭和電工という会社がありました。その会社から有機水銀が流れ出し、水俣病を引きおこしました。

Q1−2−25 どうして、1953年頃から水俣病は増えたんですか?

A1−2−25 水俣病の原因である有機水銀の流れ出す元になったアセトアルデヒドという物質の生産量がそのころから増えてきたからです。

Q1−2−26 どうして、水俣病が発生したときすぐに原因が解らなかったんですか?

A1−2−26 人類にとってはじめての病気だったので、原因をつきとめることは簡単ではなかったのです。

Q1−2−27 どうして20年もたってから工場はメチル水銀を流したことを認めたんですか?

A1−2−27 チッソは自分から原因を認めたわけではありません。1968(昭和43)年に政府(国)が水俣病の原因を有機水銀と認めたのです。そして、1973(昭和48)年に裁判の判決があり、チッソも責任を認めなければならなくなりました。

Q1−2−28 一番最初に水俣病が確認されたのはネコだそうですか、なぜですか

A1−2−28 ネコは体の大きさのわりにたくさんの魚を食べるからです。人間が発病する前に、海が汚れ、海草が死に、魚が弱り、魚を食べた鳥やネコが発病しました。それらが水俣病の前ぶれでした。そのときに対策(たいさく)を立てていれば大きな被害にはならなかったでしょう。

Q1−2−29 どれぐらいの猫が死んだのですか?

A1−2−29 死んだネコの数はわかりません。でも、不知火海(しらぬいかい・八代海ともいう)沿岸のネコはほとんど死んでしまいました。また、実験に使われたネコもたくさん死にました。相思社にはそれらのネコをまつった「猫の墓」があります。

Q1−2−30 なぜ、会社や工場は隠したんですか?

A1−2−30 わかるとアセトアルデヒドの製造をやめないといけなかったでしょうし、責任をとらなければならなかったでしょう。悪いことをしているといううしろめたさもあったかもしれません。

Q1−2−31 なぜ、熊本県なのですか?

A1−2−31 水俣病の原因となったチッソという会社があるからです。

Q1−2−32 水俣病が公害病と認定されるまで、なぜ16年もかかったんですか?

A1−2−32 水俣病が世界ではじめてだったことと、公害病と認めると経済的にマイナスになると考えたからだと思います。

Q1−2−33 水俣病の原因の工場排水はどのくらい流されたのですか?

A1−2−33 チッソから流れ出た排水の量はわかりません。排水の中にふくまれていた水銀は70トンとも150トンとも、それ以上とも言われています。

Q1−2−34 昔はなぜ、公害が少なかったんですか?

A1−2−34 公害は産業の発達と関係しています。大きな工場などがなかったときは公害はありませんでした。明治時代になって、鉱工業が発達し、公害が発生しました。最初は鉱山で被害が発生したので、「鉱害」と呼ばれていました。

Q1−2−35 水俣病の動物への影響について

A1−2−35 水俣病は有機水銀に汚染された魚介類をたくさん食べることでおこる食中毒ですから、人間以外にも魚をたくさん食べる動物なら水俣病にかかる可能性はあります。よく知られているのはネコです。昭和30年代の初めには水俣や南不知火海沿岸地域の漁村に住んでいたネコは全滅したと言われています。カラスなどの鳥が急に落ちてきたという話もたくさんあります。漁村では犬やブタもたくさん死にました。

1−3 被害の広がりについて

Q1−3−1 水銀汚染(おせん)は他の地域にも広がったんですか?

A1−3−1 チッソ工場の排水が水俣湾に流れ込んでいるときは、水俣湾の周辺だけに被害が出ていました。1958(昭和33)年に排水が直接不知火海(八代海)に流れ出るようになってから、北や南の町にもかん者が出るようになりました。

Q1−3−2 水俣市の近辺の町でも水俣病かん者はでたんですか?

A1−3−2 不知火海(八代海)の南がわ三分の二の沿岸地域にかん者は出ています。でも、最初水俣病が水俣で発見されて水俣の漁師さんたちがとっても困ったようすを知っていましたから、ほかの地域ではかん者が出たことをかくすことが多かったのです。

Q1−3−3 被害を受けた地域はどんな所?
Q1−3−3 水俣病の発生分布図は?

A1−3−3 「認定患者分布図」を見てください。この地図で広がりはわかると思いますが、水俣市以外は未認定かん者の方がずっと多いので、認定かん者数の数がかん者数と同じではありませんし、比例しているわけでもありませんので、注意してください。

Q1−3−4 どのようにして広がっていったのか?

A1−3−4 水俣湾には水俣市以外の漁師さんたちも魚をとりに来ていました。その人たちも水銀に汚染(おせん)されているとは知らずに魚をとったり、食べたりしていました。1958(昭和33)年から1959年まで、チッソの排水は直接不知火海(八代海)に流れ出ていましたから、そのときは水俣市の北や南の地域も有機水銀に直接汚染(おせん)されていました。

Q1−3−5 なぜ、他の県には影響がないの?

A1−3−5 水俣病はチッソ工場から不知火海(八代海)に流れ出た有機水銀が原因ですから、不知火海に面した地域だけに被害が出ました。だから、熊本県と鹿児島県にだけ被害が出たのです。

1−4 水俣病の病名について

Q1−4−1 なぜ、「水俣病」という名前になったんですか?

A1−4−1 水俣病は水俣市で見つかったのが世界で最初だからです。

Q1−4−2 「水俣病」以外に呼び方はあるの?

A1−4−2 広い意味では「有機水銀中毒」といっても間違いではありません。でも、水俣病は工場から流れ出た有機水銀が魚や貝にたまって、その魚や貝をたくさん食べたためにおきる病気だというとくちょうがあります。有機水銀中毒は農薬を作っていた工場などでもおきていますが、症状もちがったところがありますし、その影響は全然ちがうので、やはり「水俣病」と呼ぶしかないのです。

Q1−4−3 どうして「チッソ病」とはしなかったのですか?

A1−4−3 水俣病が発見された当時はチッソが原因であることがはっきりしなかったからです。1956年に水俣病が発見されたときから、多くの人はチッソを疑っていました。しかし、チッソの流したメチル水銀が水俣病の原因だと政府が発表したのは1968年のことでした。


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