福岡(am7:05)全日空→(am9:00)成田空港(am11:35)全日空→(pm0:00)ロンドン・ヒースロー空港(pm2:00)→(pm2:15)パディントン駅→アポロホテル
飛行機が早いのでam5:00起床。6時くらいの地下鉄で福岡空港へむかう。預けたスーツケースは、行きは税関フリーなのでロンドンで受け取りだった。成田空港の国際線出発はけっこうすごい人数で時間がかかるが、手続きは簡単。タックスフリーでタバコを買う。10箱1700円安い。しかし飛行機に乗り込むまでの時間が長い。ポケモンジェットだったのでその子は大喜び、乗ったら見えないけどね。
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| 成田出発 |
しかしエコノミーの座席は狭い。これで12時間かと思うとかなりしんどいだろうなと思ったが、その通りだった。飛び立ってすぐに斜め前の姉ちゃんが隠れるように携帯でメールを打っていたので、「それはやめてくれ」と言う。団体旅行の添乗員が何度も携帯の電源を切るように話していたが何を考えているのか。しばらくするとロシアが眼下に見えて来た。寒そうな雪が積もっているが、人家らしきものは何も見えない。うーんロシアは広い。人工物は道のみだ。
飛び立つとすぐに朝食(昼食ではないのかと思ったが、すでにロンドン時間なのかな、時差9時間なのでロンドンは午前3時)だった。提供された食べ物は、午後1時頃に食事、午後7時頃にアップルパイorカップヌードル、午後11時頃に軽食が出た。飲み物はアルコール飲料を含めて無料。座席毎にパーソナル・モニターがあって、ビデオや映画やゲームができる。その子はビデオがうまくいかないとベソをかいている。午後2時30分頃から午後10時頃までは窓のブラインドを閉めて、明かりも大方が消えて睡眠時間だった。しかし眠れない。座席は狭いしどんな格好をしても寝にくい(ビジネスだったらいいのになあ)。紀恵さんはこの時点で、ヨーロッパには二度と行かないとのたまう。思考停止したと言いながら、秦の始皇帝氏だと冗談を言っている。
午後10時過ぎにデンマーク(たぶん)の海岸が見えた。まっすぐな海岸線の内側に湖が見えたと思ったら、イギリスが見え始めた。ロンドンあたりの上空から、整然と並んだ住宅地が見える。確かに日本とはなんか景色が違う、当たり前か。その子はついに床で3時間くらい続けて眠る。これが一番寝やすい体勢だが、大人には無理。
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| ロンドン上空から |
ロンドン・ヒースローに着いた時間は、日本時間午前0時、ロンドン時間午後3時。とりあえず今日は、日本時間を念頭に置いて行動する。イミグレーションでは飛行機の中で書いた入国カードを渡して、目的・滞在日数を聞かれた。家族での行動なので、ほとんど難しいことはなくスムーズに進行する。荷物を取り上げるがチェックはなし。出たところにあったアメックスのエクスチェンジで、トラベラーズチェックを100ポンド現金化する(手数料かからず)。
地下鉄(アンダー・グラウンドと表示されているが、話し言葉ではチューブ)が安いのだが、もう一つ分からないのでヒースロー・エキスプレスでパディントンへ行くことにする。切符の買い方などはスムーズ、アダルト(15ポンド/1人)2・チャイルド1、「子どもの年齢は」と聞かれるので9歳と応える。ヒースロー・エキスプレスは早い、線路の回りは煉瓦や石作りの家ばかり「同じ家ばかりでこれじゃあ設計者は不要だね」「そういえばイギリスの家は、なんとかスタイルなんとかスタイルと数種類くらいらしいよ」といい加減な会話を交わす。鉄道の壁面はおなじみの落書きで埋まっている。どうもロンドンの暮らしはストレスが多いようだ。パディントン駅からアポロホテルは、近いようなので歩くことにする。しかし実際には2キロ以上はあった。娘は回りが外国人ばかりなので、少々びびっている。紀恵さんは飛行機の疲れと、想像をたくましくした魔都ロンドンに「もう帰りたい」とのたまう。来たばかりじゃないか! 近くまでくるとローズ・ブライト・テラスという通りの名前を確認して歩く。
アポロ・ホテルは改装中でペンキの匂いが気になった。部屋は地下の3人部屋だった。予約は3ベッドだったがダブルが一つとシングルが一つの部屋だった。予約と違うので早速クレームを付ける。難なくエキストラベッドを、ラテン系のお兄ちゃんが持ってきてくれる。これで紀恵さんは、追加支払いになるのではないかと心配が生まれる。バスはシャワーだったが、お湯が出たり出なかったりなかなか苦労することになる。近くのスーパーマーケットで、サンドイッチや飲み物やリンゴを買ってきて夕食とする。イギリス時間(以降同じ)午後6時寝る。妻子はさっさと寝てしまっているが、緊張と疲れでなかなか眠れなかった。
午前4時起床、かなり早くに目が覚めてしまった、朝食は8:30なのに。B&Bのブレックファーストはコンチネンタルスタイルで、パンと飲み物とシリアルだけ。ドイツ人の団体がけっこう騒がしい。どうも大人で、集団で行動するのはドイツ人と日本人らしい。ドイツ人のおじいさんに、自分は日本に行ったことがあると話かけられる。
今日のスケジュールは、テムズ川クルーズとグリニッジ天文台あたり。地下鉄ベイズウオーター駅からウエストミンスター駅までサークルラインで移動する。地下鉄はエリア1内相互大人2ポンド、子ども60シリング。自販機で買ったが、どうも要領がわからないアジア人だと思ったのか、駅員さんが寄ってきて説明してくれる。様々な切符の自販機があり、日本語対応の自販機もよその駅にはあったが子ども切符が買えないのもある。その地下鉄の中で「ジャップ」と誰かが私たちに聞こえるように話している、気分が悪いがどいつが言ったのか分からない。後で聞くと紀恵さんは、これでだいぶショックを受けたらしい。また駅に止まる度に何か放送しているが、うまく聞き取れない。「ワンスアゲイン?」「オキシゲン?」まさか地下鉄だから酸素不足に気をつけろじゃないとは思いながら、ヒアリングは全くダメだ。この疑問は後にロンドン在住の森さんに会ったときに解消、「マインド・ザ・ギャップ(段差に注意)」だったが、なんでこれが「ワンスアゲイン」と聞こえるのか!
バッキンガム宮殿は混雑することもあり、あまりにもお上りさんなので止めてホースガードを見に行く。馬に乗った近衛兵(だろう?)が、重厚な建物(じっさいはロンドンの建物はどれも煉瓦や石作りの重そうなものばかり)の入り口にがんばっている。その子は念願のビッグベンを見て大喜び、写真を撮りまくる。テムズ川クルーズは大人6.5ポンド(子どもはほぼ半額)だった。川の回りの建物などがいろいろ見えて面白かったが、後半は倉庫みたいな建物ばかりでこれは蛇足コースじゃないかと思った。しかしクルーズ船の中がとても寒い、ヨーロッパ人は寒さに強いのだろうか?
グリニッジに着いたらいきなりカティーサーク号(東インド会社の強盗船)があった。腹が減ったのでレストランを探していると、大盛なんとかと書いてあるチャイニーズがあったので、値段が安そうなのと労働者らしき人が食べていたので入る。フライドライスやヌードルがどれでも6ポンド位だったので、近くで食べている人の量を見て海鮮フライドライスと海鮮ヌードルを二つだけ頼んだ。大正解だった。味はgood。それでもこの食事は、夕食が食べられないほど響いた。
予定ではグリニッジ天文台に行く予定だったが、その子がナショナルギャラリーへ行きたいというので計画変更。グリニッジ駅からブリティッシュ南西鉄道でチャリングクロス駅へ。イギリスではどこでもタバコは吸えないと覚悟していたが、どこでも吸っているではないか。繁華街でも歩きながら吸っている、これでは日本のほうがまだましって感じ。トラファルガー広場の高い塔の上に誰かいるのだが、紀恵さんは「ナポレオン?」なんて言っている「ナポレオンはフランス人だろう、ここはイギリスだからネルソンだろう」と私、いい加減な会話。
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| ナショナルギャラリー |
ナショナルギャラリーは入場料無料だった。イギリスの公営の博物館はすべて無料らしい(日本でも博物館法ではそのように規定されている)。入り口で絵画の解説を日本語で聞ける無線音声ガイドがあった。無料だけれど3ポンド程度の寄付をお願いされる。係の人が日本人で思わず3台分で10ポンド出してしまった。しかし解説してくれる絵は30枚程度で、絵ばかりでなく画家の説明などもありけっこう長い。ゆっくり絵を眺めたいならば、音声ガイドではなく日本語版の図録を買って、それを読みながら見ていく方法のほうが良いと思う(3月27日にはそのようにした)。また日本語も含めて数カ国語のギャラリーパンフレットがある。
巨大なギャラリーの中は60室くらいに分かれていて、昔の絵画(1250〜1500)、ノースウイング、ウエストウイング、イーストウイング(基本的には年代)に分かれている。壁面に釘で展示して部屋の壁は穴だらけだった。チェーンで吊っている部屋もあった。教科書やどこかで見たような絵がたくさんあった。入場者は多いが結構静かにみていた。監視員に「この絵はどこにあるのか」と聞くと、ナンバー幾つの部屋だとよく知っている。
どの絵が良かったかというと、日本で好評の印象派の絵はロンドンの雰囲気の中ではもう一つかな。私が良いとおもったのは、ターナー(「坊ちゃん」以来だな)の帆船の戦艦が蒸気船に引かれて解体場所に向かっている絵と、レンブラントのジェダイ・マスターを描いた絵。どう考えてもレンブラントの時代には、スタ―ウオーズはできていないから、ジョージ・ルーカスがこの絵を参考にしたのではないかと考えるのが妥当であろう。もう一つはナショナルギャラリー人気ナンバーワンの、レディー・ジェーン・グレーが首を切られようとしている絵。最初見たときは指を詰めろと言われているのかと思ったが、よく見ると首を詰めろなんだよな。図録の解説者は、史実と異なっている(屋内ではなく外で処刑されたこと。処刑人があまりにもすっきりしていることなど)ことなどから、あまり良くないと思っていると書いてあったが、庶民はやっぱり惹かれるんだろうなあ。私の好きなブリュ−ゲル(子)がないではないか。16世紀までは圧倒的に宗教絵が多く、それ以降になると生活や仕事や日常的な物が描かれた絵が出てくる。ジョン・カンスタブルの「干草車」は、19世紀当時のイングランドの自然と仕事のあり様を想像することができてお好みだ。その子は「モナリザはどこ」なんて言っていた。紀恵さんは、線のはっきりしない印象派的な絵がお好みだったようだ。これは日本に帰ってから話したことだが、日本人が印象派を好むのは、たぶん温帯モンスーンの風土に水っぽい印象派の絵が合っているのではないかと思った。冷涼なヨーロッパの気候(ラテン系の地中海を除く)では、印象派は水っぽくてあまり文化的対応がないと勝手に思った。
しかしあまりにも多すぎて見切れない。東京の西洋美術館(こちらの方が、照明や陳列のレベルは圧倒的に高いように思う。イギリスではほとんど感じられないサービス精神からすれば、日本のサービス精神と対応しているのかもしれない。ではアメリカはどうなんだろうと気になった。メトロポリタン美術館に行く口実ができた)くらいのほうが、見るにはお手頃で疲労感が少ないような気がする。ここにはもう一度来ようと言い合って帰る。
昨日フロントで聞いていたベイズウオーター駅近くのコインランドリー(とは書いていない、ただのランドリー)に洗濯物を持っていく。するとそこの親父が、「これならスモールだから7ポンドで洗っておいてやるよ」と言うので時間節約のためお願いした。夕方取りにいくことにする。紀恵さんは高いじゃないと思ったらしいが、実はこれは自分でやっても同じくらいかかる。たぶん手数料は1ポンドくらい。
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| ハイドパーク2 |
今日は悪名高い大英博物館見物だ。ホテルのすぐ南にあるハイド・パークを散歩してから行く。ハイド・パークの桜はけっこう咲いていた。まだこの時期は春といえども早く、木の芽吹きやたくさんの花は咲いていなかった。桜の下で写真を撮っていると、犬の散歩中の白人女性が「撮ってあげましょうか」といって3人並んで写真を撮ってもらった。ハイド・パークは広大で、日本的に考えると大都市ロンドンの中にある公園というサイズではない。しかし大きな木(ポプラ系?)が整然と並んでいるあたりは、さすがイギリスって感じだった。犬が多数散歩している。ほとんど首輪は付けておらず、自由に走り回っている。どうもこれがよくしつけをしてあるイギリス・スタイルらしい。公園のあちこちに緑色の小さなポストのようなものがあったが、最初はゴミ箱と思っていたがこれは犬の糞入れだった。しかし公園の中には犬の糞がけっこう散乱していて、歩く足元や座るときには気をつけないとちょっとやばい。リスを見ることができて、妻子は大喜びだった。
ハイド・パークの北西の端から、その子待望の二階建てバス(大人1.2ポンド子ども料金は取られなかった?)でトッテナム・コート・ロードを目指す。後ろの席から日本語が聞こえてくる。この時期けっこう日本人が多いようだ。そういえば来る飛行機の中はほとんど日本人だったし、女性が8割以上だったようにおもう。
大英博物館(The British Museum)はイギリス・ヨーロッパ各地からの、修学旅行(森さんに聞いた)の学生が多く、ナショナルギャラリーに比べるととても騒がしい。静かに見ることは難しい。さすがに植民地から強奪(それなりの理由はあるらしいが)してきたものが、所狭しとならべられている。けっこうお値打ちのものがあるわりには、警備が厳しいとは感じなかった。特にミイラのエジプト・コーナーは大人気だった。こどもたちが走り回るは、スケッチするわ、先生がああだこうだと解説するわ、ほんとうに落ち着きのない場所だった。ローマのコーナーでは、ユリウス・カエサルの石像で、肩を組んで写真をとった。
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| ユリウスカエサルと俺お前 |
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| ロジェッタストーン |
いちおうロジェッタ・ストーンも見た。軽食を食べたのだがフランスパンのサンドイッチ2個と飲み物3人分で20ポンド、これは高いよな。ここで私はカバが動くボールペンなどの典型的なお土産を買った。細野不二彦『ギャラリーフェイク』にでてきたカバのフィギュアも買った。
紀恵さんの感想「ありとあらゆるモノがモノとして陳列されていて、あまりにも雑然としているので見にくかった。照明やモノとモノのスペースなどは、全く考えられていない。特に感じたのエジプト・コーナーで、ミイラはモノであるとともに死者なのに、そういった配慮は全くなく、石や宝石と同じ感覚で並べてあった事には抵抗感がある。例えばこれが日本ならば、適切な距離とあまり明るくない照明と距離を保って、死者への配慮を感じさせる展示になると思う。多分イギリス人の他の文化に対する思想や、大英博物館の設立精神とも関連しているんじゃないだろうかと思う等々」。
午後5時大英博物館前で、坂西君の友人森さんと待ち合わせ。向こうから腰にアジア風の布を巻いた女性がやってきた。その子がめざとくみつけ「あれって森さんじゃない」と言ったが、大正解。森さんとは坂西君の結婚式で隣のテーブルだったが、たしかにイギリスから来た人がいたことは覚えているが、顔まではお互いに覚えていなかった。夕食にはちょっと早かったので、近くのカフェに行ってだべる。紀恵さんは昨日の地下鉄の中で「ジャップ」と言われたことや、改札でお金を拾おうとしゃがんだら後ろの女性から、「クイックリー、クイックリー」と言われて背中を押されたことなどを一気に話していた。森さんからロンドンのそうした事情や、せわしい行動などは「あるある」と言われて「そうなんだ」と納得していた。白人と非白人の微妙な関係や、地下鉄等でのイギリス人の秩序だった行動。例えば数年前までは、IRAの爆弾闘争で地下鉄に爆弾らしき物があると放送されると、パニックになることなく整然と落ち着いて避難すると聞いて驚いたこと。日本では間違いなくパニックになって、おしあいへしあいとなり事故となってしまうだろう。この相違が何に由来するかよく分からないが、私は昔見た映画「パトリオット」のアメリカ独立戦争の一コマに敵味方が整然と一列に並んで、同時に発砲して前列が倒れると、次の列が先頭になりまた発砲を繰り返す。この事態に耐えられなくなった方が、パニックを起こし逃げることによってその戦場の勝敗が決する。秩序とパニックは相関関係にあって、プレッシャーの大きさが事態を支配するのかなと思う。
その後レスター・スエアの方の歩いて、トルコ人の経営するフィッシュ&チップスの店に行く。森さんはロンドンに友人が来ると、イギリス名物のフィッシュ&チップスのこの店に来るとのだと説明してくれる。フィッシュはタラやカレイ数種の中からサイズを選んで、またソースを選んで注文する。私はカレイのミディアムを、紀恵さんとその子はタラのラージを注文した。フッシュとポテトの量に一瞬無言になる。大きい! 私はけっこう美味しい思ったが、紀恵さんは「これは一回でもういいって感じ」だった。しかし見知らぬ土地で、知り合い(その時になったのだが)に会うことの心強さは、何にも代え難い。一応私がそれぞれ対応しているとはいえ、本当にはどうなのかよく分からない不安は、特に紀恵さんにはあったのではないだろうか? 魔都ロンドンの救いの神は、間違いなく森さんであった。
朝食後またまたコインランドリーへ行く。今度は時間があるので自分でやってみた。洗剤は50ペンス、小さい洗濯機が3ポンド大きい洗濯機が4ポンドだったのだが、間違って小さい洗濯機2台に入れて2ポンド損した。おじさんと外で少々会話する、ロンドンも春になったとかこれからアイルランドに行くつもりだとか、アイルランドは良いところだ等々。乾燥機は40分2ポンドだった。「時間がかかるのでコーヒーでも飲んで来いよ」とおじさんが言うので、クイーンズ・ウエーあたりのビューロ・エクスチェンジにTCを交換しに行った。一応交換レートの高そうな店を探したのだが、150ポンド交換して手数料を5ポンド取られた。けっこう高い手数料と思うが、こういうことにあまり時間を使いたくない。乾燥は40分では生乾きだったので、追加料金を入れようとするとおじさんは「無用」といって延長のボタンを押してくれた。
都市観光は疲れるので、今日は午前11時に出発。おなじみ(おいおい2回目でおなじみかよ)のハイド・パークをハイストリート・ケンジントンに抜けて、地下鉄でウエストミンスターへ行く。ウエストミンスター寺院は前から見るとばかでかい。日光東照宮のようなモノだ。中にはいるとまたまた日本語対応の無線ガイドがあったが、1台だけ借りる。中はゴシック建築の、どうやって建てたのだろうと思わせるほど複雑で大きい。チャーチルの墓だニュートンの墓だとか、誰それの礼拝堂だと並んでいるが、もう一つイギリスの歴史を知らないので、それがどういう意味を持っているのか分からないから面白くない。だいたい庶民は決してここの墓に入れてくれないだろうと思うと、あまりいい気分ではなかった。
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| 国会議事堂前の座り込み |
途中でイリノイから来たというおじさんが、私たちが日本人と分かると「自分の母親は1920年代に日本に行ったことがある」「ここの寺院はうんうん」と話してくれるが、私たちがあまり理解していないようすだったので、「じゃあね」と去る。その後トイレが分からなかったので探していたら、白人のおじさんが「一方通行だから、出口はあっちあっち」と邪険に言うのでそのまま退場する。詳しくは分からないが悪意は分かるので、気分を害する。親切に話しかけてくれたイリノイのおじさんには悪いけど、その分ウエストミンスター寺院の評価も下げる。少し歩くと国会議事堂前でイラク戦争反対の座り込みを、たった一人でやっていた人がいた。さすがに運動家(?)の遠藤君も、国外退去なんてやばいので近づかなかった。でもがんばってねと思った。
ホテルに帰って昼寝をする。イギリスに来て初めて昼寝をした。夜、今日のおさらいをしているうちに紀恵さんは排外主義・ナショナリズム的主張になる。分からないでもないが、インターナショナリストを自認する私はつい反論する。しかし適度に止めたつもり、お互いに不愉快になってもしかたがない。ロンドンへ来て思うことは、イギリス人と何か話したりサ―ビスを受けたとき、「この対応って私たちがアジア人だから、なんか差別されているんじゃないだろうか」という思いがいつもつきまとった。一つは会話がうまくできないから単なる誤解もあるのだろうが、本当に差別的な対応をされているのかもしれないがそれが分からない。子どもの頃近くに在日の家族がいて、いつもは結構仲良く遊んでいるのだが、遊びに熱中してケンカになると「朝鮮」といって相手に打撃を与えたような記憶がある。私が言ったのか友だちが言ったの定かな記憶はないけれど、少なくとも同意はしていた。そうなると彼は、年上の兄弟を味方に呼んで私たちを脅した。私たちは逃げて、遠くからからまた「朝鮮人朝鮮人ってとこちかう。同じ飯くてとこちかう云々」とはやし立てた。私にすれば無知な子どもの日常の一こまだったが、彼にとってはどうだったのだろうか? 確かこの家族は、その後北の共和国に帰還したと記憶している。
もちろんその時そう思ったわけではない。日本に暮らす韓半島の人々や中国人に対して、差別的なまなざしや具体的な差別的対応が日常的に生起している中で、彼らにどのような心性が形成されていくのか?
私たちはロンドンのたった2、3日の経験から、白人の有色人種への差別的な対応(たんに過敏になっているだけかもしれないけど)で、けっこう嫌な気持ちになった。それで思わず「日本って良い国だ」なんて口走るようになってしまったが、これが長い長い日常生活の中で受けるプレッシャーの場合どんなものだろう? 私は在日の人々を差別するつもりはないと思って生きてきたけれど、やはり日本人であることには変わりはない。緒方正人ではないが「チッソは私であった」わけだから、心情的には安重根にシンパシーを感じても社会的立場は「伊藤博文は私であった」と考えた。
話が長くなるが、私がこの時住んでいたのは鳥取県の米子だった。当時(1955年から1961年在住)は日本海に李承晩ラインが引かれ、境港から出た漁船が数多く拿捕されていて、韓国ひいては朝鮮人に決して良い感情は持っていなかったように思う。今思えば李承晩は韓国でも決して良い政治家ではなかったのだろうが、そんなことは関係なく韓国・朝鮮人は全て李承晩のような極悪非道なヤツだと思っていた。しかし当時も韓国内部では独裁体制に対して、激しい反対闘争が展開されていた。同じように北の共和国が起こしている拉致事件をもって、北の共和国全てを極悪非道と思うのは少し違うのではないかと思う。確かに北で金正日への反対闘争は聞こえてこないが、では1930年代から敗戦までの日本で、天皇制と軍部暴走への反対闘争はあったけれど、外国に分かっていたのだろうか? 更に言えば大政翼賛政治体制にこぞって動員されていたのが、日本人ではなかったのか? そう思うと、北の共和国の政治を牛耳っている連中と、そこに住んでいる人々は別物だから、拉致事件の展開から経済制裁をすべきだという議論には賛成できない。例えばこれについてはアメリカやヨーロッパのNGOは、援助は確かに金正日を助けることになるかもしれないけれど、少しは人民にも回ることになるから継続すべきと、冷静な見解を持っていると聞いている。是々非々という言葉があるではないか。