みなまたゼミをやってみた

小泉初恵

考証館で解説している時、あるいは水俣のまちを案内している時、もどかしい気持ちになることがある。時間が限られているからか、私の言葉が薄っぺらいからだろうか。「良くわかりました」と納得してお客さんたちが帰った後は、特に伝えたいことが伝えられなかった気がするのだ。あー何か足りない、と頭を抱えていたところで実践学校にたどり着いた。相思社では1977年から実践学校という取り組みがあった。2週間ほど相思社に滞在し、水俣病の勉強だけでなく援農や漁業の手伝いをしていた。相思社に残る資料を見ていたら、年毎に凝ったテーマが設定されていたり、水俣への移動手段としてヒッチハイクが推奨されていたりして面白い。夜な夜な焼酎を飲みながら書いたと思われる参加者の日誌を見れば、水俣に住み着いているあの人この人も実践学校に参加しているではないか。

考証館を見学し、町を歩き、人の話を聞くだけに終わらない実践学校のようなことができないだろうか。水俣の暮らしと自然に触れるような。そして、そこから自分の生き方を考えるような。私が言葉で伝えきれていないと感じていることをそのまま伝えるには、水俣に滞在して感じてもらうのが手っ取り早い。考証館や水俣で答え合わせをしようとする「あっち側」にいる彼らを「こっち側」に引き込んで、一緒に悶々としたい。ぼそりと独り言のような話をしたところ、ガイアみなまたの高倉鼓子さんとからたちの大澤菜穂子さんが「やりなよ!」と背中を押してくれた。そして、マイルドな実践学校、その名も「みなまたゼミ」を企画し、3人の学生が参加してくれた。プログラムの内容は、荒木洋子さんの型にはまらない語りから始まり、鼓子さんのみかん山作業で汗を流し、フィールドワークや他大学との交流もできた。早朝の太刀魚づりは中村雄幸さんにお世話になった。別々の専攻や研究分野を持っている3人との出会いは、私にとって水俣を新しい切り口で眺めるきっかけになった。それぞれ水俣で得たことが、どこかで何かとつながればいいなと思った。

田畑さん感想

私は水俣病の証言に関する本を読み、水俣に直接行ってみたいという思いが強くなり、3泊4日の「みなまたゼミ」に参加しました。
そのゼミの中で印象的だったのは、タチウオ釣りをしたときのことです。まだ日も出ていない頃に相思社を出発し、月浦港から海へ出ました。海の方を見ると、船の光が小さく点滅していて、既に漁に出ている人たちもいました。その日は月が明るく、タチウオは明るいと海の底へ潜ってしまうと聞き、少し釣れるか不安になりながらも、3人で5匹も釣ることができました。
真っ暗なときに港から出たのに、気付くと、だんだん明るくなり、東からは太陽が昇りはじめ、西には青い空に月が出ていました。お話を聞くと、今の海は透明度があり、とても綺麗だけれど、漁をする人はプランクトンがいて濁っている海のことを「きれいに濁っている」ということがあるそうです。
私が読んだ『証言 水俣病』(栗原 彬編)の杉本栄子さんの証言の中には、今は埋め立てられた百間港を「不知火海一帯を支えてくれた宝庫の海」と呼んでいます。そのときに「宝庫」と呼ばれるような海はどのような海だったのだろう。ここで生きていた人、今も生きる人にとって不知火海はどのような海なのだろうと思ったことを思い出しました。漁師としての生活を支えてくれた海、毎日の食卓にあがる魚や貝、たくさん魚が獲れたときは近所の人にあげていたこと、それぞれの人の記憶にそれぞれの豊かな海の記憶があること。確かにここで生きた人たち。
3泊4日の「みなまたゼミ」を終え、たくさんのことを教えて頂き、メンバーと多くの議論を交わしたことを思い出しました。強く思うのは「水俣病はまだ終わっていない」ということです。これからも私たちは水俣病と向き合う必要があります。そのときに私も互いを思い合い、強く優しい心を持っていたいと思いました。相思社の皆さん、お話を聞かせて頂いた皆さん、議論を交わした「みなまたゼミ」のメンバー、3泊4日本当にありがとうございました。また皆さんに会える日を楽しみしています。

翔平さん感想

今回,水俣ゼミに参加し地元の人の生活を間近に感じることのできる体験をした.その中で,関わらせていただいた方たちは皆何らかの形で水俣病にかかわってきた人たちだった.良くも悪くも,水俣病を取り囲んで,できたコミュニティだと強く感じた.荒木さんや上野さんのお話も,ガイアみなまたでの体験も,中村さんの船での釣りとお話も,フィールドワークもどれもが非日常の体験で4日間では頭が消化しきれないほどの濃い体験だった.今回,水俣ゼミに参加した私を含めた3人と小泉さんはそれぞれ全く違う立場にあった.また,3人の過去の話などを聞いたら,自分の人生がちっぽけのように感じた.これは自分の今までの人生を否定しているのではなく,世の中がどれだけ面白くもあり,辛くもある体験に満ち溢れているかを知るいい機会となった.私以外の二人とは違い,水俣病に関することが直接研究に関係することはないですが,将来研究者になりたい身としては自分の研究がどうあるべきかを考える時間がとることができたことは貴重だった.私の小さい頃の研究者像は,研究室に籠り実験の日々みたいなことをおもっていました.それ自体には間違いはないと思うが,水俣ゼミを通じて私は現場を重視しない研究者には絶対にならないと決めた.現場に問題が生じるのは当然のことだが,それを無視して研究を推し進めてしまうのは,公害を起こしかねません.問題は即対処する.それが研究者になりたい私が過去の公害から学んだことの最も重要なことです.

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