住めば水俣(1)

葛西伸夫

私は、一九七〇年に東京で生まれ、四〇歳まで過ごしました。水俣に移住したのは二〇一一年の二月。それから八年以上の時間が経ちました。こんな私の素性を知ったひとから、移住のいきさつや水俣暮らしで思うことなどあれこれ聞かれ、話が盛り上がることがあります。そんなときの話を何度かに分けて書きたいなと思いました。でも、本当の書く動機は、多くの人に水俣に来てほしい、それも住みにきてほしいという願いからです。昨年末、香川県の離島である豊島に行って、瀬戸内国際芸術祭がもたらす活気によって移住者が増えているようすを見
てきました。それで、とにかく人がいなければ始まらない、人さえいればどうにかなる、という思いを抱きました。だから最初は「住めば都の水俣」というタイトルで水俣移住をお勧めする連載にしようと思ったのですが、実際はそれほどいい話ばかりではないのです。住んでみて、良いところも悪いところもある。その度合は人によっても違うでしょう。もっとリアルな移住案内にしようと思い、「都」を外しました。

第一回は具体的な話ではなく、移住(都会から地方への移住)をどう考えるかということを書きたいと思います。よく思い切って移住を決意したね、と言われます。確かに、ひとは(特に日本人は?)なかなか移住しません。かねてから私は、水俣のような地方の町での暮らしを望んでいたのと、水俣病への関心の、両方がありました。相思社はHPでいつも求人していたので何度か真剣に応募を考えてはいましたが、やはり実際問題となるとなかなか簡単には実行に移せませんでした。きっかけとなったのは、二〇一〇年の失業(勤務先の倒産)でした。四ヶ月間ハローワークに通い、わりと良い条件で正社員に採用された会社があったのですが、勤務してみたらどうしても肌が合わず、三ヶ月で辞めてしまい、切羽詰まった状況になり、ようやく決意をしました。
いま思うと、東京でサラリーマン生活を続けることにうんざりし、未来が見えずにいる不安が、その会社に対して「肌が合わない」と感じさせていたのかもしれません。サラリーマンが自分に合っているとは思えず、仕方なく続けていました
が、都会暮らしで具体的に嫌でたまらなかったのは、通勤の満員電車でした。赤の他人と数十分も体を密着する状態は、いま思い出してみても気持ちが悪いです。よく二〇年近くも我慢したものです。もう一つが家賃の高さです。これは都心に勤務する場合、その満員電車に乗る時間とおよそ反比例の関係にあります。郊外ほど家賃は安くなります。満員電車が嫌な私は、都心近くの賃貸マンションに住んでいたので、給料の多くが家賃に消えていました。その点、都市圏には届かない地方の町での暮らしというのは、満員電車からも高い家賃からも開放されるのです。水俣に移住したいと思う条件のなかで最も直接的なものはそれでした。都会も田舎も、物価にはそれほどの違いは無く、むしろ田舎のほうがお金
がかかる条件が少なくありませんが、それらを帳消しにして余るほど、家(賃)
が安いのです。水俣では、賃貸の場合、不動産屋を介さない契約なら一軒家を二万円台で見つけられるかもしれません。都会では生涯の時間をかけるくらいのローンを組んでマンションを買っても、毎月管理費がかかります。水俣ではその管理費くらいで一軒家を借りられるというわけです。運が良ければ、家賃は要
らないから住んでくれという家を見つけられる場合もあります。売家のほうも、新築はそれなりに高価ですが、中古は格安のものを見つけることができます。
相思社の給料は、東京都心では絶対に暮らせない額ですが、私は水俣に来てから貯めたお金で、土地(八〇坪)付きの中古住宅を相思社の近くに買うことができました。普通乗用車の新車くらいの価格です。

もっとも、田舎での不動産の安さはそれだけの理由があって、その最大のものは、収入を得る仕事が少ないということと、所得の低さでしょう。それは確かにそうです。しかし、仕事や収入というのは、どうにかなるのです。いっとき無くても、田舎では大丈夫なのです。どうにかなるさ、と開き直るまでには勇気が必要かもしれませんが、田舎の空気に馴染んで振り返ってみると、たいしたことではなかったことが分かります。喩えると、都会での生活は、常に泳いでいないと溺れて死んでしまう、深くて岸辺のない海を犬かきしているようなもの。一方、田舎での生活というのは、水底に足が届くところを泳いでいるような感覚です。この「足が届く」安心感は何にも代え難いです。都会で天職が得られた方や、すでに持ち家がある方はいいですが、そうでなく、ただなり行きで都会で苦労しながら働いて高い家賃やローンをを払って暮らしている方は、その必然性をいったん見つめ直してみるのもよいかと思います。都会暮らしというのは、仕事と住まいが相互に求める条件に縛られるものがあまりにも大きいです。いったい仕事のための家なのか、家のために働いているのか、分からなくなりませんか。そこから一度解放されてみてはいかが
でしょう。田舎には(いつの間にか主語が田舎に変わってしまいましたが……)、それだけではなく、多くの可能性が眠っていると思います。少なくとも、都会に居ては見えなかった、それらを探る時間が、田舎にはたくさんあります。いまちょっと足りないのは、人なのです。

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