患者の集団検診

今週末は患者の集団検診。
遠方から来られる方の電話での聞き取りは割りと大変。

当日は、8人か9人の聞き取りと検診をする。「8人か9人」というのは、まだ迷っている人がいるから。そんな迷えるおじいちゃんの話を簡単に聞く。

日曜日に初めてお会いするからまだ見ぬ人のおじいちゃん。特徴は、車いすということと、そして被爆者ということ。

10代終わりのあの日、原爆が落ちた。汽車に乗り、実家のある不知火海沿岸にようやく辿り着いたが自身も被曝していた。

生きることで精一杯だった。海で獲れるもので生きた。しばらくして、今度は水俣病がやってきた。

そんなおじいちゃんが、子どもさんの被害のことで相談。

「●●さん、申請されてください。だってこれだけ症状があって、これだけキツい思いをしてきたんだから」

「原爆手帳をもらったのに、水俣病の申請なんて申し訳なくてしきれまっせん。だけど我が子にだけは安心して生きてほしい」

そんな思いで被爆二世、60代の我が子を連れてくる。おじちゃんの枠は、あけておきたい。

私のこの短い経験の中でだが、こんなケースは他にもあって。
「森永ヒ素ミルク中毒事件」で被害にあった50代の胎児性患者。
「淀川大気汚染」でぜんそくを持ち水俣の母の実家に連れ帰られて被害を受けた小児性患者。
「新潟水俣病」とのダブルパンチ。

「知的障害」「ダウン症」との合併の人たちがいる。
新潟水俣病とダブルの人を除く彼らの症状は、行政から水俣病と認められづらい。

うまいこと自分の状況を伝えられない。うまいことシステムを利用できない。そんな彼らはどこへ向かえばいいのか。

詳しい話はまた当日。

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