ミナロンCMソング

戦後、とくに朝鮮戦争後、肥料(硫安)の価格が世界的に値下げ合戦が始まり、チッソ(新日本窒素肥料株式会社)は肥料に代わる商品の開発が求められました。
チッソは2つの戦略に絞り込みました。一つがプラスチックの可塑剤(オクタノール・DOP)。もう一つがアセテート繊維です。
可塑剤は運良く世紀の大ヒット商品となりました。
もうひとつのアセテート繊維も高度経済成長の波に乗せてヒットさせようと、滋賀県守山市に新たな工場を建造し、また、それまでにない大胆な営業戦略を行いました。営業部長は島田賢一。のちに社長になって、水俣病の責任をとり補償協定に調印をすることになる人です。

商品名は「ミナロン」。
「ミナ」は水俣の「ミナ」。「ロン」は西洋の古い言葉で糸の意味だそうです。
キャンペーンモデルは映画女優の鰐淵晴子。
そしてこのYOUTUBEにあるCMソング。(テレビかラジオかは不明)

ミナロンCMソング

野坂昭如作詞、いずみたく作曲、北野路子&ブラックキャッツうた。
ソノシートはどのように販売(配布?)されたか不明。

ミナロンは水俣工場と守山工場で製造されましたが、原料の酢酸は水俣工場で製造されました。酢酸の原料はアセトアルデヒドで、触媒に水銀が使われています。
つまりミナロンも水俣病を生み出しながら製造されたことになります。

しかしミナロンを出した頃はすでに化繊の主流はナイロンになっていました。
ろくな業績を上げることができず、守山工場は子会社の旭化成に売却されていきました。

それにしても野坂のおやじ!これは作詞と言えるのか???

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