東京から来た人たちに

東京から来た人たちに、水俣のことを「チッソの城下町だった」と解説していたら、隣で聞いていたチッソの元労働者のおじいさんが、「なるほどね、チッソのまわりをぐるり用水路が取り囲んでいるからね、お濠があって、その中にチッソがあって、確かにお城だわな」と、やわらかく、明るく、ゲラゲラと笑いました。

それから顔をキリリと引き締めて、「でもね、とんでもないよ。俺たちが経験してきたことはね、城下町なんて生ぬるいもんじゃない。俺たちがどんなひどい目に遭ってきたか。水俣は、植民地なんだよ。チッソはね、日本の社会の縮図なんだよ。俺たちが、チッソの奴隷だったんだ」と、ゆっくりと、厳しい口調で言いました。

おじいさんの言葉は、発するたびに、ずしん、ずしんと、私の胸の深いところに落ちてきて、申し訳なくて、泣きたくなりました。

ほんとうに、そんなに単純なことじゃないのに。何も分かっていない自分が、これまでどれくらいおじいさんのような人の存在を無視して解説してきただろうと気が遠くなる気持ちがして。

チッソで働いた人がどんな被害を受けたのか。おじいさんたちが、そのチッソの中でどんな風に抗ってきたのか。

植民地という言葉をほんとうに理解できるまで、おじいさんの話を聞いて、もしも理解の途中だとしても、聞いたこと、そのときに感じたことを、明日からまた伝えていきたいと思います。

おじいさんは、そのあとまた、ゲラゲラと笑いながら、水俣のおもしろい言い伝えを教えてくれたり、冗談を言ったりしてひとしきり笑わせてくれて、本人はそんな気はなかったかもしれないけど、私は励まされました。

このおじいさんは、いつもこうで、チッソからひどい扱いを受けつづけた時代にも、こうして笑い飛ばして、励まし合って生きてきたんだと思います。

水俣病と出会うことは、大変なこととか、つらいことを目の当たりにすることでもあるけれど、学んだり、喜んだり、幸せを感じたりすることもたくさんあって。

そして今日もかかわり続けていられるのは、こういうあたたかい人たちの言葉や態度、サポートのおかげなんだとつくづく思うのです。

違和感を言葉にしてくれたこと、そのあと丁寧にフォローしてくれたこと、そして経験をしていない私が語るのを許してくれること。ほんとうに、ありがとう!

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