日吉フミコさんがお亡くなりになりました

水俣病患者支援の先駆者である日吉フミコさんが、本日11月7日14時半ころ、老衰のため亡くなられました。103歳でした。
日吉さんは水俣市の小学校教員だった1963年、教え子を見舞った水俣市立病院で、胎児性水俣病患者を見舞う北星学園女子高校(北海道)の生徒と出会います。
水俣病の存在を知り、衝撃を受けた日吉さんは、「患者のために」と水俣市議に立候補、初当選を果たしました。水俣でははじめての女性議員だったのではないでしょうか。
水俣病事件に対して不誠実な議会で、市長に対して積極的に発言したことで二度の懲罰動議に発展しましたが、日吉さんはのちに、「名誉なことであった」と語っておられました。

日吉さんは68年1月12日、石牟礼道子さんらと初の患者支援組織「水俣病対策市民会議」を結成、会長に就任され、患者を支え続けました。

水俣病第一次訴訟勝訴後は、水俣病センター相思社設立に携わり、74年から89年までは、理事をつとめていただきました。

95年には、公害や労働災害問題に力を尽くした個人や団体に贈られる「田尻賞」を受賞しておられます。

支えていただいた日吉フミコさんのご冥福を深くお祈りいたします。

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