溝口秋生さんのこと

今日は溝口秋生先生の命日です。朝から先生の家に行って、お参りをさせていただきました。あの日の水俣はカンカン照りだったけど、今日は土砂降りの雨でした。先生が亡くなって4年が経ちました。

幼い頃に書道を教えてくれた先生は、幼い私も、思春期のトゲだらけだった私も、自分が傷つくことをいとわずに抱きしめました。飄々と生きて、筆舌し難い経験をしながそれをおくびにも出さず、でも人としての怒りをもって闘った先生。血の通わない、人間不在のその場所に、灯をともした先生を心から尊敬しています。その灯に導かれるようにして、私は自分を問われ、どう生きるかを考えました。

先生が顔を出し、実名をさらし、たったひとり、自分をかけて、家族のために水俣病裁判を闘っていることを知らなければ、私は今も、水俣で生まれた自分を恥じながら、出身を隠し、どこか遠くで生きていたことでしょう。先生が「ひとり」として、水俣病事件に立ち向かっていること、それに呼応するようにして応援に来ていた見知った人たちが私に「故郷」を思い出させたこと、自らの存在、患者の存在、水俣病事件、水俣という地、そこに向ける目が変わっていく瞬間。こどもの頃に感じた水俣病にまつわる混乱を整理し、理解を深め、そして受け入れていく過程。その時間のすべてに先生がいました。先生のように、私も生きたいと思います。人間不在のその場所に、ひかりを。

ところで先日、秦岳志さんが編集・構成を務めた『水俣曼荼羅』(原一男監督)という映画を見ました。三部作、六時間。長いようだけど、これは水俣病事件のごく一部です。それでも当時を思い出すには十分な時間でした。映像というのは不思議です。一瞬でその頃に引き戻されるような感覚に陥りました。そこにはまだ若い、と言っても70歳になった頃の先生がいました。

映画は、登場人物たちの喜怒哀楽を丁寧に捉えながら、激しい場面、悲しい場面は誰もが見やすいよう、考え抜かれて編集されていました。これは完璧に、秦岳志さんの編集です。庭にいつも置いている一斗缶に火をおこして、それにあたりながら「みっちゃんはいっちょん習字ばせんやった」というようなことを言っていたことに笑いました。青春をおくった奈良へのお礼参りに同行した生駒秀夫さんも主役級で登場です。生駒さんが、茂道の豊かな海について語ったあと、船上からその海に飛び込んだときに着ていたTシャツは『相思社30周年記念Tシャツ」で生駒さんのお気に入りでした。今も明水園で着てくれているかな。あの瞬間、同じ場所にいたために、直視できない場面もたくさんあって、リハビリのような作品でした。だけどまた、見たいと思っています。

ともに書道を学んだ私の大好きな友達は、今も出身を隠して遠く都会で生きています。少しでも楽に幸せに生きられるなら、それもいいと思っています。だけど、友達が出自を隠さなくったって、楽に幸せに生きられるように、私はここでできることをします。

先生が亡くなられたときのことを相思社の葛西が書いた文章→ https://www.soshisha.org/…/%E6%BA%9D%E5%8F%A3%E7%A7%8B…

溝口先生の魅力爆発の文章→ https://www.soshisha.org/jp/archives/1902

『水俣曼荼羅』のページ→ http://docudocu.jp/minamata/

溝口訴訟判決のこと→ https://www.soshisha.org/jp/archives/2602

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