原田正純さんのこと

今日は原田正純さんのお命日。水俣病に携わり、胎児性水俣病研究の第一人者で医者の原田さん。水俣病を治すということが今の医学ではできない中で、一人の「私」がどう患者と向かい合うかを考え、周囲を巻き込んだ。何度も水俣病裁判の証言台に立ち、患者の被害について証言をした。

水俣病に関心を持ち始めた若い頃、質問をしに行った私に3時間近くユーモアを交えて語り、水俣病事件の基礎を叩き込んでくれたのは、今も生きている。残された原田さんの痕跡に、例えば資料に文章に触れたくなって、相思社の資料検索システム、opacで「原田正純」を探すと1841件も出てきた。とても読み切ることはできないけど、興味が湧いたものを読む。

例えば今年のそれは、1968年の医学論文だったり、1969年の「水俣病裁判支援ニュース『告発』」の創刊号での30代半ばの原田さんの澄んだ言葉だったり、1971年の「不全型水俣病の解明」という文書だったり、訴訟派や自主交渉派の患者たちをいかにして支えるかの模索だったり、同時期の潜在患者訪問記だったり、裁判での証言録だったり。それに相思社機関誌『ごんずい』に寄稿してくれた文では、ご自身の人生を振り返り、考証館への辛口コメントも。こういう文章は珍しい。

最後に見つけたのは相思社理事長、富樫貞夫が2012年、原田さんが亡くなられたときに書いた追悼文。同時代、第一次訴訟を支えるために作った水俣病研究会で医学と法学、それぞれの立場で水俣病事件と生きた原田さんと富樫さん。その富樫さんのキレッキレで、絶対に彼にしか書けない原田さん評は、圧巻だった。原田さんの文章と対にして読むと、原田さんの生き様や文章が違う見方で読める。

原田さんの著作や講演録を読んでほしい ↓

 https://bit.ly/3zwTDN4

『いま、「水俣」を伝える意味 原田正純講演録』は、水俣病だけじゃなく、カネミ油症まで詳しく記録されていて、根底でつながっている様々な社会の事件を考えるきっかけになる。購入くださった方へは、読んだ上記資料の一部を、勝手に付けます。

今日は不知火の海を見て祈ります。

以下は、2011年2月のインタビュー

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