患者相談

今日のご相談は、水俣病の症状を小さなころから抱えた胎児性世代(50代)の女性。

水俣病について、どの程度の説明をしようか。そう思って「水俣病についてご存知ですか」とお尋ねすると、「家族から、水俣病は恥ずかしいもの、と聞かされて育った、ずっと見ないようにしてきた」ので情報は全くないという。家族は元チッソ。

話を聞いていくと、症状はボロボロ出てくる。小さな頃から転びやすい、耳鳴り、日々の頭痛、手足のしびれ、感覚障害などの症状に悩まされ、病院へ行っても原因不明と言われ続けて、薬を飲んでも治らない。おとなになってからは、家族を置いて入院することもあった。

水俣病被害者手帳をようやく申請した。民間の医師の診断書を取ろうと思い、若い頃からのかかりつけのお医者さんに診断書を書いてほしいと頼むと「水俣病に関するものは書けない」と断られた。「ずっと昔からのカルテも残っている。私の体の不調を一番知っているはずの先生の協力を受けられず見放された気持ちになった」という。

民間の診断書がないまま、熊本県の公的検診を受けた。原因を突き止めたい、聞きたいことも沢山あったが、検診は数分で終わった。話を聞いてもらえず、水俣病に関する質問をすると「ここでは答えられませんので」という答えが返ってきた。診断の結果は、「水俣病ではない」というものだった。

彼女は水俣市の漁村近くで生まれ育ち、幼い頃から魚を食べた。

水俣病の病像やケアの方法、原因や歴史について、知っている限りを話した。でも、この人には補償金はおりない。(何を持ってお役にというのかと自分にツッコミを入れながら)、「お役に立てずにごめんなさいね」と言うと「違うんです。話を聞いてほしかったんです。やっと話を聞いてもらいました」という。

患者達が自分の経験を語る場所が、ない。自身の水俣病に抱いていた思い、外で受けた差別、病気の苦しみなどを30分、40分と語られることもある。

特措法の申請者は6万5千人。でも町は、社会は、水俣病の話が普通にできる環境にはまだないように思う。水俣市では、マイノリティからマジョリティになりつつあるのに。

「私、脳梗塞になって…」「ペースメーカーを入れることになって…」「糖尿病で…」なんて話しは深刻でも相手の反応をそう気にせずにできるが、水俣病の場合は自身も差別や偏見を気にし、伝えられた側も差別をしたり、病院では受診拒否が起きたりもする現状がある。
病院と交渉するのも私の仕事だ。水俣病の病像を説明したり医療手帳や保健手帳の意味を説明するが、なかなか分かってはもらえない。

どうにかして、水俣病の話を普通にできる場所づくりを実現したい。水俣病患者に対する理解を広げたい。

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