1974年 水俣の映像

10万件以上の映像がアーカイヴされているフランス国立視聴覚研究所(INA)のサイトを何気なく検索していたら、1974年の水俣の映像が出てきました。

相思社ができた年だなぁと思ってみていると、当時の「みなと祭り」の映像やそこにいる田中実子さんの姿が映っていました。
初めてみる映像ですし、相思社の映像のアーカイブにはおそらく無いものでした。

番組のタイトルは「18年後の水俣」。
公式確認(1956年)から「18年後」の 1974年ということだと思います。

データを見ると、番組を制作したのはORTFという当時のフランス国営放送。
田中実子さんのことを間違えて上村智子さんと紹介しているところなどみると、やはり自前で撮影・制作したものなのかなと思います。

驚いたのは、加藤周一がいきなり登場してくるところ。発音は悪いですが流暢なフランス語でインタビューに応じています。

ニタニタ笑ってインタビューに答えているのは当時のチッソ工場長吉川悦郎氏かと思われます。
オーハシという医者は、当時の水俣市立病院の大橋院長でしょうか。

映像の冒頭に出てくる「みなと祭り」というのは1956年に始まった祭りです。水俣港が貿易港として開港したことを祝う祭りでした。 同年に水俣病が公式確認されており、まさに「光と影」という感じが際立っています。「みなと祭り」は「恋龍祭」と名前を変えて今も続いています。

ちょうど明後日が恋龍祭で、地元の子供たちが今から楽しみにしています。

INAのサイトは映像がよく止まります。
こちらのほうでサクサク観ることができます。

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