見舞金契約の12月

先日、小学校の先生から見舞金契約の金額のことで質問を受けた。
それをきっかけに、そういえば見舞金契約はこの寒い年の瀬に結ばれたのだなーとしみじみしている。

見舞金契約とは、チッソと水俣病患者家庭互助会の間で、1959年12月30日に結ばれた契約だ。
患者に支払われるお金は「お見舞い」であって補償金ではないため、謝罪や因果関係があきらかにされておらず、金額は不当に低い。後に1973年の第1次訴訟判決で公序良俗に反するため無効とされる。

亡くなった人は30万円、生存者は成人10万円(年金)、未成年3万円(年金)。これが見舞金の金額である。文献によっては未成年1万円という金額がでてくるが、これはあっせん案として出されたものだ。見舞金契約を取りまとめたのは、県知事ら5人からなる「不知火海漁業紛争調停委員会」であり、この調停員会は漁民が漁業補償を求めて工場に乗り込んだ時にもあっせんを行った。このあっせん案では、未成年の患者は1万円という金額が出されるが、これに対して1万円はあまりにも少ないだろうと患者は訴え、最終的には3万円に落ち着いた。金額も問題だが、金額以上に問題だったのは4条と5条だった。しかし、この条文については問題として取りざたされることがなかった。

 

4条 甲(チッソ)は将来水俣病が甲の工場排水に起因しないことが決定した場合においてはその月をもって見舞金の交付は打ち切るものとする。

5条 乙(患者)は将来、水俣病が甲の工場排水に起因することが決定した場合においても新たな補償金の要求は一切行わないものとする。

 

正月のモチ代もないという途方に暮れた年末、それも契約が交わされたのは12月30日だ。とにかく!どうにか!という心境だったのだろう。そんな状態で、難しい言葉が出てくる契約書の内容を隅々まで理解し、将来の可能性まで考えることはできなかっただろうと想像する。

この契約書の原本は相思社の資料庫にはないが、裁判資料としてチッソから提出された写しがある。考証館には見舞金の受給者証書のコピーが展示してあるが、そこに日本赤十字社という記載がある。なぜ見舞金契約に赤十字がかかわっているの??と疑問に思っていたが、最近詳しい人に解説してもらう機会があった。患者が直接チッソに見舞金を受け取りに来れば、チッソ工場のせいで水俣病が起きているという印象を与える(その通りなのだけれど)。それを避けるために直接チッソから患者へお金を渡すのではなく、公的な機関を通すことを要求したのだろうと聞き、納得した。

この契約を交わす前に、チッソはすでにネコ実験によって工場排水が原因であることを突き止めていた。この時点では、原因であることを隠したまま騒ぎを鎮め、責任から逃げ切れると考えていたのだろうか。

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