【慰霊とは日々の暮らしの中にある】
乙女塚農園の田上義春さんの言葉です。5月1日、水俣病の慰霊祭が、乙女塚で開催されました。乙女塚は、1972年に水俣へ移住をした俳優の砂田明さんと哲学的な自然人で患者の田上義春さんが作った乙女塚農園にある塚です。21歳の若さで亡くなった胎児性水俣病患者の上村智子さんら乙女たちを悼んで作られましたが、「すべての生類を悼む」とうたわれています。
当日私は朝から準備を手伝ったり、相思社で受け入れている方々と行動をともにしたり、最近気になっている患者さんが初めて慰霊祭に参加をなさるということで少し緊張しながら到着を待ったり。そわそわとその時を迎えました。
毎年、同日同時刻に、水銀と汚染された魚たちが眠る水俣湾埋立地で行われている水俣市主催の慰霊式が延期で、その分のマスコミの人たちが集中し、それはもう圧巻でした。私の席は一番前でしたから、目の前にずらっと並んでパシャパシャと撮影をする人たちを見ていました。最初は同じ顔に見えたその人たちをじっと見て、「この塚の前でなにを思っているのだろうか」と心の中で一人ずつに問うてみると、一人ひとりの「顔」が見えてきました。すると、お坊さんのお経や鳥の声や雨の音をかき消すようにして聞こえていた大きなシャッター音が、少し気にならなくなりました。
一昨年亡くなった私の支えだったあの人や、水俣病とは認められず悔しい思いで死んでいったあの人や、幼い頃に母を劇症型の水俣病で亡くしたあの人の心やを思い、無念の中死んでいったすべての生類に祈りました。
今年の水俣市主催の慰霊式は延期となりました。天皇の即位を祝うため。そして環境大臣や熊本県知事が参列できないから。誰のための、何のための水俣病犠牲者慰霊式、5月1日は、水俣市の、慰霊式実行委員会の姿勢が形となって表れた日でもありました。
※水俣市の慰霊碑には、認定患者の名前だけが、納められています。現在、認定患者は2,283人、水俣病の症状が認められながら国に認定をされない未認定患者が65,000人、これまでの認定申請者は80,000人。「認定患者だけでなく、認定されない患者の名前も奉納して」との声が大きくなっていますが、その声は受け入れられぬままもう何年もの時が経過しています。すべての生類をともに悼むことのどこに問題があるのでしょうか。あるのです。チッソ(JNC)に、環境省に、熊本県にとって、認定患者と未認定患者を同じ扱いにしてしまうことには問題が。頭がぐるぐるしています。