永野の韓国訪問記【蔚山(ウルサン)編】

2019年11月4日(月)、蔚山の斗東(トドン)小学校の特別な配慮により、講演をしました。韓日の関係が愛と平和で包まれることを強く願う私にとってもそれは、特別なものでした。

現地の「蔚山ジャーナル」の]이동고記者の記事が掲載されました。

미나마타병센터 나가노 미치씨, 두동초 어린이들과 만나다

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【水俣病センター永野三智さん、斗東の子供たちと会う】

斗東小学校は、蔚山の教育委員会のモデル校として革新教育をしており、講演はその取り組みのひとつという位置づけ。

永野の韓国出張報告 蔚山編|水俣病センター相思社

私を学校に紹介してくれたのは、「蔚山未来共生研究所」の代表で、この学校の保護者、キム・ジンヒさんです。三年前におこさんを連れて、キム・ユンスクさんや蔚山の仲間たちと水俣へやってきてくれました。穏やかで愛にあふれるジンヒさんと相談し、講演のタイトル「水俣の声に耳をすませてください」を決めていましたが、前日に再会し、どんなにか日本との関係改善を願っているかを感じました。

講演前、小学校の周辺の美しい農村を案内してくれました。ジンヒさんはいま、その村に住み、村の人びとと移住してくる若者たちを結ぶまち作りをしています。おばあさんたちの歴史を聞き書き残しています。こどもたちの放課後の居場所づくりをしています。講演の前、村のむかしの公民館に連れて行ってもらい、昔使われていた道具や、村歩きと聞き取りをする写真を見せてもらいました。

ジンヒさんの丁寧な通訳で、水俣病の歴史、休憩、患者さんのこと、質問の流れで講演は進みました。

蔚山の斗東小学校での講話|水俣病センター相思社

永野の韓国出張報告 蔚山編|水俣病センター相思社

蔚山の斗東小学校での講話|水俣病センター相思社

喜怒哀楽をしっかりと表現しながら、物語を紡ぐように話をしました。こどもたちは、ジンヒさんの通訳を聞くと、直前の私と同じ表情をし、ため息や驚きの声をあげました。休憩では、こどもたちが集まって、勉強した日本語を披露してくれました。手をつないだり、小さな質問が嬉しかったです。

次のコマでは、つい数日前にお会いした、魚売りをしていたお母さんの話をしました。二番目の子を身ごもっているときに、行商を始めた。夫が自転車で仕入れに行った魚を、しょけという竹ザルに入れて、担いで売った。自転車がバイクになって、バイクがトラックになってからは、自分でも仕入れをした。そして、次に生まれた赤ん坊が障害を抱いた。魚売りをしていた頃は、力があった。魚を食べ続けたら、手がもやもやとして、きかなくなった。こどもの頃は千人針が得意だったがそれができなくなった。手をガス台の火に入れても分からなくて、やけどをすした。トースターでパンを焼くときに熱いところに手を置いて、水ぶくれになった。鎌で手を切っても分からない。手が震える。頭が痛い。体がだるくて疲れやすい。味や匂いが分からない。そんな症状が、もう50年近く、続いている。しかし、魚を売ったことへの自責の念で、声をあげることはなかった。私が魚を売ったから、あの家に胎児性患者が生まれたのだ。私が魚を食べさせたから、こどもたちが水俣病になったのだ。私が魚を食べたから、障害を持って生まれたこども。その話を、初めて聞いた。お母さんにとっても、初めて話した言葉の数々。

質疑応答では、現在の魚の水銀値や水俣病患者の年齢、水俣は有名な場所か、日本といえば?、韓国で好きな料理は?というものに加えて、安部政権への評価、竹島は誰のものか、と多岐にわたりました。

日本といえば何ですか、の質問に戸惑い、あなたは何だと思いますかと尋ねると、「福島です」との答えでした。

そのあとの時間は、校長先生と、幼稚園や図書室や教室を回りました。図書室はお母さんたちが管理しアイディアを出している施設で、家庭的でより本が身近に感じられる作りでした。

校長先生は、普段から自分の考えを押し付けず、いつも、こどもに何が必要かを観察している人だと聞いていましたが、実際に話してみるといつも相手の目を見て話をし、熱心に聞いて熱心に応える先生に、信頼や尊敬をされるのは当然だと思いました。

蔚山の斗東小学校での給食|水俣病センター相思社

蔚山の斗東小学校での給食風景|水俣病センター相思社

蔚山の斗東小学校での給食風景|水俣病センター相思社

永野の韓国出張報告 蔚山編|水俣病センター相思社

昼食は、あたたかな食堂での給食(!)でした。最初はジンヒさんは労働者の飯場に連れて行ってくれようとしていましたが、校長先生のあたたかな誘いを受けることになりました。食堂は座敷スタイルで、誰も彼も、児童も幼稚園児も警備員さんも運転手さんも事務員さんも先生も、時間をずらしながらみんな同じところで食べました。トッポギやキムチ、味噌汁やおやつのような海苔の天ぷらなど、美味しいものばかり。

校長室にお茶を飲みに行ったところで、ムン・ジェイン大統領と安倍首相のサプライズ歓談、韓日両国関係の懸案は対話を通じて解決しようと話をした、というニュース速報を校長先生が伝えてくれました。
永野の韓国出張報告 蔚山編|水俣病センター相思社学校に到着したときも、校長先生は正門前で待っておられましたが、帰りもわたしたちが見えなくなるまで見送ってくれました。

別れ際、校長先生とジニさんが何かを話していました。ジニさんは涙ぐんでいました。車に乗ったあと、ジニさんが、来た道とは違う、紅葉のきれいな山道を通りました。きれいですね、というと、「この道はいつもは通らない、迂回路なんです。いつも通る道には、日本に対してのひどい言葉が並んでいるから、通るときに、永野さんには特に丁寧に説明してほしいと校長先生が言われました。だけどその後に、別の道を通って帰ったら見なくて済みますから迂回して行ったらいいと道を教えてくれました」と言いました。二人で同時に泣き出しました。

こどもたちと学校の先生たち、保護者のみなさんの親切に、言葉にできない感謝をいだきました。わたしたちは、国に惑わされることなく、平和な世界を作っていけます。そう思った時間でした。

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